江戸時代まで、あるいはおそらく戦前までは、漢文のテクストとして、論語や大学のような中国の古典ももちろん利用されてはいただろうが、
それと並行して、吾妻鏡の腰越状だとか、日本外史などが利用されていた。
つまり、当時の武士というのは事務仕事もしなきゃならないが、日記にしろ公文書にしろ漢文で書く。
漢文で日常的な作文をしなくちゃならないのに、
ただ中国の古典だけ読んでいて書けるはずがない。
公家が書いていた漢文の日記だとか、あるいは吾妻鏡のように漢文で書かれた公文書なども当然参考書にしたわけだよ。
ところが戦後の日本の教育では日本人の漢文というものがまったく排除されてしまった。
しかも近代や現代の中国語を教えるわけでもない。
ただ単に浮世離れした漢籍だけを教えるようになった。
これでは日本人にとっての漢文体というものがまったくわからんようになっても仕方ない。
せいぜい森鴎外とか中島敦とかそういうふうなところからしか「日本人の漢文体」を習わない。
漢文体に接しない。
頼山陽が詩人であったということと、日本外史が漢文のテクストとしても使われていたということは非常に重要な意味があると思う。
日本外史が日本の漢文体に与えた影響はおそらくものすごく大きい。
しかし今の国語教育にはその観点が完全に欠落している、と思う。
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