里内裏

投稿者: | 2009年12月18日

たとえば保元の乱で後白河天皇は高松殿、崇徳上皇は白河殿にそれぞれ布陣するわけだが。

ここで高松殿とか白河殿というのがよくわからない。
御所だとか内裏だとか書いているものもある。

調べていくと、高松殿というのは源高明が最初に作った豪邸であるという。
その後、天皇や上皇などが住む屋敷としても利用されたとある。
つまり、平安宮の内裏というのは火災で焼失したりして実際にはあまり機能してなかった。
なので、実際に天皇や上皇や法皇が居住していた屋敷が御所とか内裏と呼ばれていて、
平安宮の内裏と区別して里内裏と言ったのだそうだ。

白河殿というのもこれまたもともとは藤原氏の別荘だったのだが、
天皇家と藤原氏は姻戚関係にあり、当時は天皇も入り婿みたいにして妻もしくは母親の屋敷に住んだはずだから、
いつの間にか上皇の御所として使われるようになった。

とまあ、見ていくと、平安京みたいなのっぺりした市街に普通の寝殿造りの屋敷があって、
それが戦の本陣になったというのは、後世の常識から言ってまったくあり得ない。
そもそも本格的な戦闘が起きるとは思ってなかったのではないかとしか思えない。
こういう状況では先に敵の屋敷に火を付けた方が勝つに決まってる。
作戦という以前の問題だ。
為朝、義朝でなくても、とにかく今すぐ、夜中で良いから、敵の本陣に先にしかけた方が勝つに決まってる。
平治の乱でも似たようなことをやっている。

ていうかこの内裏とか里内裏とか離宮とか別荘とかいろいろありすぎてよくわからんのですが。

もし平安宮がきちんと壕があり、城壁があれば、保元・平治の乱などというものは起こりえなかったし、
また天皇がきちんと御所と兵士を掌握するシステムならば、
単なる天皇と上皇の戦いというものもあり得なかっただろう。
古来、皇族どうしの権力闘争というのはなかったわけではなかろうに、
なぜそうやって権力をきちんと守っていこうという方向に努力がなされなかったのだろうか。
やっぱ不思議だよね。

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