室町時代

忘年会があってスピーチとかがあったわけなんだけど、
室町時代は政治は貧困で人民をいたわるという思想がなかったが文化が栄えたみたいな話があり、
だから室町時代と今の時代は似ているなどと言ってて、
みんなあっそうみたいな感じで聞いていたわけですが。

確かに以前私も漠然とそんなふうに思ってたような気がするので偉そうなことは言えないのだけど、
つまり、足利義政は政治を顧みず銀閣寺なんか作っちゃって遊びほうけていて、
応仁の乱みたいな内戦がなんか大義名分もなくだらだら何十年も続いて民百姓は困り切った、京都は荒廃し人民も困窮した、
だが能や茶の湯や書院造りなど現代まで続く日本文化の基礎ができた、
などというステレオタイプなイメージだと思うんだよね。

確かに室町時代の政治は混乱していたが、それが政治が貧困だったという言い方はどうだろうか。
たぶん足利義政は特別無能でも怠惰でもなく、ある程度賢かったから政治に嫌気がさしただけなんじゃないか。
義政は将軍としていろいろ仕切ろうとしたのだが、誰も言うこと聞いてくれない。
畠山氏の相続問題に中途半端に介入したもんだから、細川氏と山名氏の代理戦争に発展。
当時の守護大名は後の戦国大名の卵みたいなもんで、鎌倉時代の御家人に比べればはるかに力をもっていて、
簡単に足利将軍の言うことを聞かない。
足利将軍が天下に号令しても、鎌倉幕府の北条氏みたいには言うこと聞いてくれない。
ていうか、足利義持の時代にそれやろうとして失敗してからぐだぐだになった。
じゃあ有力守護大名が足利将軍を廃して、あるいは執権みたいにして実権を握るかというとそんなこともしない。
ただだんだんに将軍家が弱体化して有名無実化しつつ、一方で大名は完全に世襲になり、自分で勝手に所領を経営し、
勝手によその国を併呑したりする。
或いは家人がいつの間にか領主になったり。
将軍家には事後承諾。いわゆる下克上。

で、これが政治的に貧困かというと、それまでの日本の政治に比べると、むしろ豊かと言った方が当たってる。
だもんだから文化的にも発展があったのだと思うのよね。
それまでは源氏か平氏かとか、天皇家か藤原氏かとか、将軍家か執権かとか、割と対立の構図は単純だったのよね。
それはつまり家父長制でもって人の集団ができてたからだと思うし、
逆に、人の集団が血縁に寄らねば作れなかった。
目上の人に絶対服従しないと飯が食えない。
そのため一族郎党の権限が嫡子に集中するようにできていた。
頼朝はそれを最大限に利用したんだと思うが、そういう発想ってどちらかと言えば人類の歴史以前からあったんじゃないの。
人の集団が血縁によらない機能集団になってきたのは北条氏以後だよね。
足利幕府だともう、足利氏以外に管領やらなにやらたくさん有力な氏族が出てくる。
これって実は社会がものすごく複雑で高級になってきた証拠だよね。

でさらに、室町時代と日本の戦後社会を比較したときに、ほとんどまったく何も共通点がないって気にもなる。
ものすごい勢いで中世の統治システムが崩れていき、群雄割拠と地方分権が進んでいた時代と、
敗戦によって政治的には腑抜け腰抜け状態となったが、経済的には焼け野原から復興して大国になってバブルがはじけたという今の日本。
やっぱり全然似てない。
何をもって似ているというのかさっぱりわからん。
たぶん、「経済一流政治三流」と「政治貧困文化爛熟」ってのが似てると言いたいのだろうが。

ていうか、室町時代の政治が貧困ってのは、いつの時代と比べて言っているのかね。
平安、院政、鎌倉、南北朝、戦国、江戸、明治、いつの時代だろうか。
どれが特に優れているとも言えないよな。

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