しばらくツイッターの固定表示でカクヨムへリンクしてたのだが、
ほとんど誰も読まないことがわかった。
たぶん、私が書いたものは何でもとりあえず目を通すという奇特な人は3人くらいしかいない。
無料だろうとなんだろうと。

だから、私が書いたものを読者に読んでもらう、読ませるためには、
まったく別の努力をしなくてはならない。

洋物のKDPの新着無料タイトルを見てみるとレズビアンものばかりだ。
内容は、よく読んでないが、かなりロコツなもののようである。
これが日本のKDPになると、あんなふうな感じになるわけだ。

何を書けばよいのだろう。
正直悩む。
『エウメネス』の続編を書けばある程度は売れるだろうと思う。
そして私としては、それは、ギリシャ古典とかギリシャ哲学とかいう「ギリシャ神話」を完全に破壊するためのものにするつもりでいる。
そのために、ディオゲネスとアリストレテスをペルシャ風の僭主として描こうと考えている。
ディオゲネスはアナトリアのシノペの出身であり、彼の思想はたぶんインドかペルシャから伝わってきたものだ。
当時のギリシャ人、とくにアテナイ人がディオゲネスを理解できなかったのは当然で、
逆に、アレクサンドロスはある程度までディオゲネスを理解したはずだ。
アレクサンドロスの思想はかなりペルシャに近い。
そしてアリストテレスはまあ間違いなく、アナトリアの僭主の養子であって、
アレクサンドロスの家庭教師になったのも、おそらくはアレクサンドロスがアナトリアに進出する意図を持っていたことと無関係ではないのだ。
ここまではある程度史実に沿っている、と思っている。
だがそこから先もっと脚色して、暴れさせる。
エウメネスはアリストテレスの遺志を継いでアナトリアの僭主となる。アレクサンドロスのディアドコイ、というよりは。
そういう構成になるだろう。

アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師だったから有名なのにすぎない。
アリストテレスの百科事典なんてものは完全に後世の捏造だ。
前にも書いたが、アリストテレスの本名はニコマコスで、ニコマコス倫理学だけがかろうじて、
彼自身か、彼の父か、彼の子か、あるいはその三代で書き残したものであろうと思う。
プラトンの出自に関して言えばほとんどすべて空想の産物だ。

クセノフォンという人はいた。ペルシャのキュロス王子の傭兵となったクセノフォンという人が。
彼はソクラテスの弟子だっただろう。しかし、クセノフォンの著作が彼自身によるものかどうかはかなりあやしい。
アナバシスは口述筆記のようなものだったはずだ。
それ以外の彼の著作はおそらく他人がまとめたものだ。
プラトンの著作も、アリストテレスの著作もおそらくそう。

当時のデモステネスとかイソクラテスは確実に存在した弁論人であり、
イソクラテスは当時としては完全な学者だった。
だがイソクラテスの人気も知名度も非常に低い。なぜか?
公の場で弁論したこともなく、その書簡もほとんどが信用するに足りない。
あとからにいくらでも偽造可能な証拠しかないのだ。

当時、アテナイに住んでいて、
アテナイのエクレシア(民会)と完全に没交渉でいられた学者や言論人がいたはずがない。
だから、もし実在するのであれば、エクレシアとのなんらかのインタラクションが記録に残ってなくてはならない。
イソクラテス、デモステネス、ソクラテスにはある。
ディオゲネスにはたぶんあると思う。
ディオゲネスはテーバイの娼婦との関係などの逸話が多く残る。アレクサンドロスと会ったのもたぶん事実だろう。
しかしプラトンとアリストテレスにはない。たぶんまったくない。逸話の断片すらない。
プラトンはソクラテスの裁判に出席していたという。ほんとだろうか。
プラトンが実在していたとしても、アテナイにはいなかったとしかいいようがない。

プラトンというのは、反イソクラテス学派(おそらくは親デモステネス学派)全体、多くの無名の学者の総和をひとりの人格で表したものだろう。

ほかのひとがどうかはしらんが私はまあ、基本的に、書き手の書きたいものと読み手の読みたいものが合致した場合に読めば良いという考え方だ。
私が読んできたものはだいたいそういうものであったと思っている。
だからそれ以外の読み方も読ませ方もしないつもりだ。
そして PPAP みたいになんかわからんが偶然売れる可能性が0でないのなら書き続けてみようというだけのことだ。

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