国語

最近国語関係の本をいろいろ読みあさっているのだが、
国語教育とは道徳教育であるとか教養教育であると無意識のうちに考えられているようだ。
戦前、国語が国学と不可分な関係であったころはそれも当然であったかもしれないが、
戦後は国学が公の場では否定され、
道徳という科目が分かれ、歴史や社会も分かれ、
その上、哲学を含む倫理社会などという科目もできたというのに、
なぜ国語が道徳であり教養であり続けなくてはならないのか。
どこにも規定されてない気持ちの悪い暗黙の了解。

国語は語学の一種であって、英語などと同様に教えれば良いだけであり、
わざわざ国語に教養を要求する。
文芸作品に教養を要求する。
よく考えるとおかしな話だ。
なぜ自然科学や数学は教養を要求されないのか。

文芸は芸術の形態の一つであり、必ずしも、教養とは言えない。
道徳でもない。
どうも文学とか国語の扱われ方はおかしい。
根本的に何かが間違っているとしかいいようがない。

おそらくやはりこれも、
明治政府が国学と不可分な科目として国語というものを位置づけ、
戦後GHQが国学を否定した結果、
国語教育というものがなんだかすかすかになって落ち着かないので、
国学の代わりに道徳とか教養というものが国語に付加された、
その名残なんじゃなかろうか。
明治政府による教育の近代化が、
その本来の意味を失い、すでに不要になっているのにも関わらず、
存続し続けている例といえないか。

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