北条早雲

司馬遼太郎の「歴史と風土」を読んでいるのだが、「せまってこない風景」という文で、
北条早雲、後北条氏の祖、について

> 小田原から伊豆の山河が、たとえばこれを書こうというとき、どうしてもピンとこないんです。

とか言っている。
そりゃまあ司馬遼太郎の勝手な感性だと思うんだな。
伊豆・小田原がピンとこなければ多分鎌倉もピンとはこないはずで、頼朝も書けなきゃ北条氏も書けないだろうと思う。
事実彼はこの時代のものは義経しか書いてないはず。
関東に土地勘がたぶんあまりない。
伊豆は温泉が出て太陽が明るくてオリーブの花がきらきら光ってて、なんていうふうにしか見えてない。
吾妻鏡もろくに読んでないんじゃなかろうか。
或いは、日本外史の後北条氏など読むと実にいきいきと楽しそうに書いてあるのだが、
だからこそかもしれんが、司馬遼太郎にはつまらなく感じるのだろうな。

> 観光地として私も好きなところです。しかしそこから歴史を動かす力が出てきたという雰囲気がどうしてもわたしには感じられない。
なんとなくそらぞらしくて、印象が希薄なんです。
つまり人間のあぶらぎった、人間の血とか汗とかがこびりついた、そういう生命感みたいなものが伊豆の山をみていてもなにか薄い感じがするんです。
これはどういうことでしょうか。
越後や土佐へいくとせまってくるものがあるのですが ― これがよくわからない。

ふーん。
「オリーブの花」なんていったい誰にどこに連れていかれたんだろう。そんなもの見たこともないが。
そんな「そらぞらしい」ところには私は一度も行ったことないのだが。
たぶん、修善寺に行くにしても、ただの温泉場と思えばそうしか見えないし、
稲村ヶ崎から由比ヶ浜まで歩いても、ただのサーフィンと海水浴場の町にしか見えんだろうし、
腰越辺りをとおってもここで義経が追い返されて宗盛だけが鎌倉に送られたってことを知らなきゃただ江ノ電が路面走ってる町にしか見えんわな。
たぶん、関心のないことには徹底的に無関心なだけじゃないのかな。
小林秀雄だと長いこと鎌倉に住んだだけあってそのへんの描写はすごみがあるんだがなあ。

ああ、もしかして川端康成の「伊豆の踊子」のイメージで見ているとかかな。
読んだことないからわからんが。

関東でも、調布や府中の辺りはよく調べて新撰組など書いたりしている。
大国魂神社の暗闇祭りの描き方など実にうまいんだが。
ちょっと売れっ子になるとおかしな取材旅行に連れ回されて、
変な印象しか残らなかった、そういうことじゃないのか。

北条早雲は宋学好きだったから、司馬遼太郎にはピンとこなかったんだろうと思うよ。
彼は、宋学は水戸学、水戸学は戦前史観だと思っている。
宋学の影響を受けた武将はたくさんいるのだが、おそらく司馬遼太郎はそのすべてが理解できてないと思う。

ていうかまあ、司馬遼太郎は大阪の人だから、
たとえば子母沢寛みたいな江戸気質な作家のような歴史小説は絶対書けないと思うよ。
ある意味、そういう深みのなさ、軽さが司馬遼太郎が受けるとこなんだろうな。
彼の発言はすべてが軽すぎる。

追記: オリーブはともかくとして、伊豆にはミカン畑はたくさんある。
レモンもたまにある。
佐奈田与一が討ち死にしたのもそういうなんの変哲もないミカン畑だった。
司馬遼太郎にはミカン畑と合戦がイメージとして結びつかないのだろう。
むろん頼朝の時代にミカン畑なんかあるわけがない。
だが伊豆の山を歩いてみればよかったのだ。
頼朝の気持ちになって。
自分の足で歩いてみればだんだんにわかる。

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