国家というものが、「暴力」を独占する唯一の存在だと言ったのはたぶんマックス・ウェーバーで、
『職業としての政治』だと思う。
と思ったら、それをすでに記事に書いている人がいた。
ウェーバーは、
「近代主権国家を合法的な暴力行使を独占する組織と位置付けた」
のである。
どういう場で言ったかはわからないが、文脈的には失言だったのかもしれない。
しかし、ここまで話がでかくなったら仕方ない。
堂々と、反論すれば良いのに。
いちいち、補足する必要もないと思うが、マックス・ウェーバーと共産主義、もしくは共産党とは何の関係もない。
というか、『職業としての政治』のもとになった演説は、第一次世界大戦でドイツが敗北して、
共産主義にかぶれた学生たちに向けて警句として放たれたものだ。
ウェーバーはばりばりの反マルキスト、右翼、帝国主義者、国粋主義者、大ドイツ主義者だった。
ビスマルクの信奉者だったと思う。たぶん。
共産党の議員たちは、純粋に、政治学を専攻した人間として、擁護してくれたのだと思う。
でも多くの代議士には、そのくらいの常識もない。
そういう意味では、一番まともな政治家は共産党員なのかもしれん。
ていうか、国会議員やジャーナリストは『職業としての政治』くらい読まんのか。
岩波文庫で、簡単に手に入るのだぞ。
暴力を飼い慣らすために国家というものができて、国家よりも上位の政治システムはまだ出来てないのだから、
国家が暴力を行使する権利を独占するのは当たり前であり、
そのために、文民統制というシステムがある。
その最高司令官が内閣総理大臣だ。
良くできたシステムだ。
それを、否定したいのか、なんなのだろうか。
たとえば頼朝は暴力を独占した。幕府というものだ。なんの正統性もない。しかしうまく機能したのは、
頼朝が、政治の本質を把握してたからだろう。違うかな。
まあしかし、菅直人が、自衛隊の最高司令官だという自覚がなかったのには、苦笑した。