「三種の神器」の初出が『平家物語』ではないかという根拠は、簡易な手法ではあるが、
新潮国語辞典の用例を調べたのである。
この辞典は用例に「もっとも頻繁なもの」ではなく「初出」つまり「もっとも古い例」を載せるのが方針である。
教科書等に載っているような、無視できない典型例は「初出」と併記されるから、「初出」が漏れることはないのだ。
それで、『平家物語』の成立は、鎌倉幕府の成立からどう見ても半世紀は後だろう。
1240年くらい。
つまり、1221年に起きた「承久の乱よりも後」なのである。
> 「後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが(中略)この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。」(徒然草226段)
後鳥羽院の御時、つまり承久の乱の直前に、すでに原型が出来ていた可能性もあるのだが、
承久の乱によって、宣旨も院旨もなしに、「三種の神器」の権威だけで、
後堀川天皇は即位したのであり、それによって「三種の神器」という概念が初めて確立し、
それが『平家物語』の中に、リアルタイムで盛り込まれたのではないか。
偶然の一致とは思えぬ。
つまり、安徳天皇都落ちのときには、「三種の神器」というものが皇位継承の印として、重要視されてはいなかった可能性もあるということだ。
もし「三種の神器」が承久の乱以前から皇位継承の証であったなら、公卿の日記などにも、前々から用例がなくてはなるまい。
どうかな。
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