相変わらず、関東大震災のことを調べているのだが、
東京女子高等師範学校とは今のお茶の水女子大学のことだが、
1923年に震災でほとんど焼失しているはずなのだが、
大塚への移転は1932年となっている。
その間、女高師はいったいどういう状況だったのだろうか。
移転先、つまり現地は、もともと震災当時は東京陸軍兵器支廠というものだった。
これが女高師と陸軍憲兵大塚分遣隊という二つの敷地に分かれたのであると言う。
netでもいろいろ調べてみるがよくわからん。
[お茶の水女子大学生活科学部本館](http://maskweb.jp/b_ocha_1_1.html)によれば、
> 1923年(大正12年)の関東大震災により校舎が焼失したため、 1928年(昭和3年)に現在地への移転を決定し、1936年(昭和11年)に移転を完了しました。
などと書かれているから、お茶の水から大塚へ移転するのが決まったのが 1928年、移転は徐々に進んで 1936年に完了したことになる。
その間、たとえば1923年から1928年までの5年間はいったいどういう状態だったのだろうか。
1932年とは、移転が始まった年、ということか。
不思議すぎる。
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