歌合

日本歌学大系第七巻、まだ読んでる。なかなか面白い。
佐佐木信綱の解題もじっくり読んだ。
戸田茂睡「梨本集」面白い。いままで知らんかった。

「梨本集」に[天徳歌合](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%B3%E5%86%85%E8%A3%8F%E6%AD%8C%E5%90%88)
とか高陽院歌合とか出てくるのだが、
この時代の歌は勝っても負けてもほぼすべてが勅撰集に採られていて、その勝負のレベルも極めて高くて驚く。
こういうものがあったから、明治時代まで歌合という遊びが残ったのだろう。

田安宗武は歌合をひどく嫌っている。
万葉時代には歌合などなかったという理屈。
わからんでもない。
しかし近世では、もはや、歌合とか歌道などという人工的な仕掛けがなければ和歌というものは延命できない状態にあった。
人工呼吸器、生命維持装置のたぐいだ。
それをいきなり外せというのは酷だ。
生命維持装置が無くても生きていける方法を先にみつけてから言うべきだろうと思う。

おそらく日本人がみな自然と和歌を詠めたのは人麻呂の頃から上の天徳歌合のあった村上天皇くらいまでのことだろう。
民衆の関心は静かに和歌から離れていった。
昔の良い歌は一般人がたまたま良く詠んだ歌が後世に残ったもの。
今の良い歌は絵師がうまく巧んでかいたもの。
確かにそういう違いはある。
だが、「やまと歌」は、いにしえから伝わる大和言葉だけで歌われる日本固有の文芸だったために、
それを惜しんで延命措置が続けられてきたのだ。

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