[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)に表紙絵と挿絵と写真を追加した。こういうのもありかなって思う。まだ若干加筆している。
もっとまじめに挿絵を描いても良いのだが・・・。彩色したりペン入れしたりとか。
ともかく、山崎菜摘のほうは挿絵を入れたりとかして、いろいろ遊んでみよう。
夏風邪
肺が苦しくて、少し食べただけでおなかが張る。
発熱、頭痛、鼻、喉などは大丈夫。だが、だるい。
ここしばらく気温の差がはげしかったのにTシャツ一枚で我慢していたせいだろう。
おそらく何度もぶりかえしてこじらせてしまったのだと思うのだが、
症状が風邪とわかるほどまとめて出てこないのでわからなかった。
安静にしていると割と平気というか、つまみだけで酒飲んでると気付きにくいというか、
なんか食べたり歩き回ったりすると、腹がはって、息苦しくて、しんどい。早く帰って寝たい。
スース
パブーで山崎菜摘名義で[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)を公開。
小林旭の演歌が似合いそうなしぶい短編にしあがりました(笑)。
スースはもともと全然違うプロットの話だった。
> 純子は別れた夫からいつもあだ名でスースと呼ばれていた。その前の夫には、純子と呼ばれ、そのまた前の夫にも純子と呼ばれた。しかし、その前のOLだった頃や、学生時代、子どもの頃は、ずっとスースと呼ばれて来た。独身の頃の名前が須山純子だったからだ。友達は皆、純子をあだ名でスースと呼んだ。前の夫たちの間に子はいない。
スースは、自分の半生を振り返って、自分ほど家庭の妻に向いてない女はいない、しかし、私ほどいつも安易に家庭に入ってしまう女もいないのではないか、と思い始めていた。恋多き女、ただそれだけなら、こんな苦労はしない。結婚せずにいろんな男を渡り歩いていればよいのだが、いわゆる「世間」というものが、男と女を、「結婚」とか「家庭」という枠組みにはめようとする。それでたいていの男女はうまくしっくりと行く。
とか(笑)。だが、あまりに陰々滅々とした話だったために、ほったらかしていたのである。
今回別のネタと組み合わせて、さっさと無料公開することにしたわけだ。
アルプスの少女デーテ
[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)をパブーで山崎菜摘名義で公開。
これは、2008年頃に別の場所に公開していたもので、私が書いた小説と言えるものの中では最初期のものと言える。
難四之可他延
近代デジタルライブラリーに[難四之可他延](http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_jp_num=41001712&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=)
というものがある。
「なしのかたえ」と読み、「梨の片枝」という意味らしい。
三条実美の私家集で、彼の死後、高崎正風が編纂したものらしい。
うわー。すげえマニアック。
しかも、崩し字で書かれているで簡単には読めないのだよ。
この際、崩し字覚えようかい。
将門記
* [将門記(現代語訳)](http://hanran.tripod.com/japan/masakado11a.html)
* [将門記 (原文)](http://www.j-texts.com/chuko/shomon.html)
* [口訳・常陸国風土記](http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm)
ふーむ。
行方(なめかた)郡というのは、今の霞ヶ浦と北浦に挟まれた半島部分で、その南端が潮来、西岸に行方市がある。
> 郡の西の渡し場から望む行方の海には、海松や、塩を焼く藻はあるが、魚に珍しいものはなく、鯨も見ない。
とあるから、行方の西、つまり今の霞ヶ浦は、塩辛い海だったが、鯨は来ない。
しかるに、麻生と呼ばれた行方郡南部、潮来の北辺りでは、
> 池の南の鯨岡は、古へに、鯨がここまではらばって来てそのまま伏せって息絶えた場所である。
とあるから、この辺りまで鯨が来なかったわけではなさそうだ。
大岡昇平『将門記』にはここらの内海のことを「流海(ながれうみ)」と呼んだという記述があるが、
ググっても全然でてはこない。
しかし、wikipedia の「香取海」の項を見ると、
> 流海(ながれうみ)、浪逆海(なさかのうみ)、内海(うちつうみ)とも呼ばれた。
などと書かれている。しかし、いずれも常陸国風土記に出てくる名称ではない。学術用語なのか。
将門記の記述でもよくわからない。
いざ調べてみると、わからんことだらけだ。
華国鋒
毛沢東は1893年生まれで1976年82歳で死去。
当時の中国としては十分高齢なほうだっただろう。
鄧小平は1904年生まれだから、当時すでに72歳。
若いと言われた華国鋒も1921年生まれだから、当時55歳。
江沢民は1926年生まれなので、華国鋒と江沢民はほとんど同年代。
華国鋒は毛沢東の死後、四人組を追放して、最高権力者となるも、
鄧小平と対立して事実上引退。しかし、2008年まで生きていて、実権はなくとも失脚したわけではなかったらしい。
鄧小平、江沢民、胡錦濤と国家主席が三人代わって、
87歳まで長生きしたことになる。
なんか不思議な人だな。
『毛沢東の私生活』によれば、毛沢東が瀕死の床についていて、
鼻から胃にチューブを通して栄養を送り込みたいと主治医の李志綏が提案したとき、
華国鋒がまず自らチューブを通す実験台になったという。
毛沢東の孝行息子的存在だったのだろう。
李志綏は、華国鋒が毛沢東の後継者になったのは、適任だった、などと言っている。
周恩来は1898年、林彪は1907年、劉少奇は1989年生まれ。
スーパーホーネット
うるさすぎる。
ていうか、市街地上空を飛ぶのは、おかしいだろ。頭おかしいだろ。
ファントムは許せる。ふつうに。
ボーイング747ならまだ許しても良い。しかしF-18は許せない。
米軍様が、日本を守ってくれているのだなと、感謝したい気持ちがあるとして、
しかし、
F-18だけは絶対許せない。
諡号
花山院師賢は後醍醐天皇から「文貞公」という諡号を贈られているのだが、正二位のままになっている。
臣下で諡号をもらうのは、摂政・関白、あるいは太政大臣に限られていて、
[Wikipedia臣下の諡](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%A1%E5%8F%B7#.E8.87.A3.E4.B8.8B.E3.81.AE.E8.AB.A1)
には、九例。いずれも、従一位か、贈正一位。
摂政・関白・太政大臣は、生きてるうちに従一位でないとおかしいのでないか。
皇族だと正一位、臣下だと従一位とか。
そんな決まりはないですか。
ほんとは贈従一位くらいもらったのではなかろうか。
花山院師賢は南北朝のごたごたの時のマイナーな人なので、敢えて wikipedia に加筆すべきかどうか、迷う。
夫人
ベンジャミン・ヤン著『鄧小平 政治的伝記』など読む。
この人は、共産中国で、四人組に迫害・投獄された人らしい。で、
彼自身が、鄧小平の生まれ故郷で取材したが、誰一人として、鄧小平の家系が客家だとは証言していない、という。
これは驚くべきことである。
というのは、英語、中文、日本語、どの Wikipedia でも、鄧小平は「四川省広安県の裕福な客家系地主の家庭に生まれる」と書いているからである。
私もてっきり彼は客家だとばかり思っていた。
また、乾隆帝の血を引いているという伝説もあるらしい。
それはそうと、日本人も西洋人も夫婦は同姓であるから、特に問題ないのだが、
中国人は夫婦別姓であるから、
毛沢東の夫人、つまり江青は、江夫人ではなくて毛夫人と書くのだよなあ。
まさに「夫の人」だわな。
毛第四夫人とか。
江青女史とは言うが、江青夫人と書くのは間違いだよな。
なるほど、最近は「江青女士」と書くのか。ふーん。
ところで、「レナール夫人」の名前が『赤と黒』の中でたった一度だけ出てくるというのだが、
いくらググってもわからない。
レナール夫人というのは町長の名前がレナールだから、その奥さんというに過ぎない。