亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

賊軍の合祀

10.16.2016 · Posted in 雑感

10月13日の産経新聞に全面広告の意見広告が載っていた。

ご存知ですか?

靖国神社に祀られているのは官軍のみで、賊軍と称された方々が祀られていないことを・・・

これは10月4日の 靖国神社150周年 西郷隆盛や幕府軍の合祀計画が急浮上 という記事、 10月12日のNHK報道 「西郷隆盛や白虎隊も靖国神社に合祀を」亀井氏ら と関連するものであろう。

西郷隆盛、白虎隊、新撰組、江藤新平らは、靖国神社には祀られていない。 ただし靖国神社の同じ境内の中にある、鎮霊社には祀られている。

私は、靖国神社の合祀者を増やすのは反対だ。 そういうことを言い出すと、 東京裁判で有罪判決を受けて死んだ政治家(軍属ではない)や、 民間人の挺身隊なども合祀し、 戦争に巻き込まれて死んだ、東京空襲の死者や原爆被害者などみな合祀しようという話になり、 さらには日本国民全員が靖国神社の氏子であるなどと解釈する者が出てくる。 それは明らかに昭和天皇が望まなかったことだ。 昭和天皇によれば明治天皇も、民間人を合祀することには反対であった。

亀井静香が言う、

靖国神社は日本人の心のふるさとのような所だ。この問題には、右も左もなく、国民の中にも理解が広がっていってる

というような、軍人と民間人を際限なく混同するような思想は間違っていると思う。

もし必要ならば、鎮霊社の扱いをもっと大きく丁重にすれば良い。 原則を変更すべきではない。

cf. 靖国神社合祀御衣黄

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読者

10.13.2016 · Posted in 雑感

思うに、通りすがりの読者も読者のうちである。 読み間違いする読者も読者のうちである。

あなたは誤読してますと指摘してはならない。 誤読もまた読者の権利なのだから。 そして誤読されないような文章を書こうと努力しても無駄だ。 大いなる徒労だ。 誤読されない文章が書きたければコンピュータ言語で書くしかない。 人間は誤読が大好きなのだ。 著者は読者が誤読することまで責任を負わなくてよい。 文章を書くところまでが著者の責任だ。

松岡正剛というひとが何者かは知らないが彼もしばしばはなはだしく誤読している。 白洲正子も。丸谷才一も。 読書体験というものはその大半は誤読で成立していると思えるようになってきた。

誤読を容認し、多くの人の目にふれるようにするのが大事だ。 だから、あなたが読もうとしている私の本はあなたが読みたい本ではないかもしれませんなどと指摘する必要はない。 大きなおせっかいだ。 自分から自分の本を読まれる機会をそぐようなことをしてはならないと思った。

比較対象にするのもおこがましいが、私は本居宣長と立場が似ていると思う。 もし宣長を誤読する人を宣長の読者ではないとすると、宣長の読者はほとんどいなくなってしまう。 もちろん宣長の理解者がいないわけではない。 しかしその思想の根本のところは理解されているとはいいがたい。 宣長は、世間の人はこう考えているが実際はそうではないよ、ということを言う人である。 しかし世間の人は宣長がいくら一生懸命そう主張していても、そうは読んでくれない。 自分に理解しやすい良いように解釈して読んでしまう。

平田篤胤や賀茂真淵などの場合誤読されるような心配はあまりない。 というのは彼らはある意味誰でも思いつくようなことを書くひとだからだ。 誰も思いつかないことだからこそ書こう、 というスタンスだと誤読は増える。

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北大の件

10.07.2016 · Posted in 雑感

国立大学というものはどこでも昔から近隣住民と仲良く付き合っていこうと努力してきたわけで、 今回急にこの話が出たのは、札幌でも都市部に共働き夫婦が増えて、保育園や幼稚園の需要が増えて、 新たな認可があいついで、 たまたま近所に北大のキャンパスがあったからそこへ毎日のように遊ばせにいくようになったことに起因すると思われる。

であればこれは明らかに行政の問題であって北大の責任ではない。

保育園や幼稚園は児童らを引率してしかるべき公園に連れて行って遊ばせなくてはならない。 そのために地方自治体は税金を投入しているのだから。 そういう一部の団体のために北大も一般の近隣住民を迷惑を蒙っているのである。

ふつうは近所の住民が花見したりぎんなん拾いに来るくらいで国立大学が目くじらを立てることはない。

そして保育園や幼稚園からの苦情をことさらとりあげて北大のせいにしている新聞報道は、 何か意図的なミスリーディングを企んでいると言わざるを得ないだろう。

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10.02.2016 · Posted in 雑感

Kindle Unlimited やアマゾンプライムビデオという新サービスが始まっただけで、 私の映画視聴や読書の量、幅がまったく変わってしまった。 そしていままで見たことのない作品をたくさん見るようになった。 同じ事は J:Com で CATV を見始めた頃にもあった。

私はもう本など読まないつもりだったのに、こんなに読むようになったのは不思議だ。

同時に思うのは、仮に、仮にだが、たとえどんなに私の作品が勝れていたとしても、 それが他人の目に触れない限りは存在しないのと同じなのだ。 新サービスによって人の目に触れるようになり多少は読者が増えるかもしれない。 それは KDP や Kindle Unlimited などですでに体験したことでもある。

そして Kindle Unlimited のおかけで、ブログレベルのしょうもない本が良く読まれている例もよくみかけるようになった。 そんなのググればいくらでも書いてあるじゃんみたいな内容の本が KDP で出版して、有料なのだが、 Kindle Unlimited 対象なのでランキング上位にあがってくる。

人の目にどうやって触れるようにするか、いかにして人の目に触れる機会を増やすかということは、 非常に大きな問題だ。 私は二冊、紙の本を書かせてもらった。 KDP と何が違うだろうか。同じ人間が書いたものではないか。 しかし、紙の本のほうが明らかに人の目に触れやすいし、流通しやすいのだ。 むろん紙の本には編集者や出版社、書店、業界が介在し、助言や助力がある。 たいへん感謝している。 しかしそれでも KDP とこれほど差がつくだろうか。 そしてほぼ確実に予測できるのは、同じ私の本であっても、 マーケティング次第で、もっと売れるはずなのだ。 コンテンツのクオリティとは別の何かが必要なのは明らかだ。 それは何年もやってて身に染みた。

「潜入捜査官マリナ」は探偵もの、刑事もののジャンルで敢えて書くことによって、 そちらのジャンルの読者の目に触れようとしたものだ。 官能小説、大衆小説を読もうと思った人はあてが外れたかもしれない。 でも一応作品解説みればある程度わかるよね? だがあまり節操なくいろんなジャンルに手を出すのは恥ずかしい。

個人出版にできることは限られているってことを、いまはひしひし感じてる。 アマゾンがまた何か新しいサービスを始めて、世の中への露出が増えないかなあみたいな他力本願なことを考えたりする。 たまたま誰かアルファブロガーかなんかの目に触れてレビュー書いてもらえないかなあなんてことも考える。 ま、ともかく、焦らず、自分が良いと思うものをこつこつ書いておくしかないのかもしれん。

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feedly再開

10.02.2016 · Posted in 雑感

なんか昔 google の feed reader があってそれがサポート切れしたんじゃなかったっけ。

それで feedly というのが出て来て乗り換えて暫く使っていたのだが、使うのやめにした。

しかし今の時代もブログをせっせと書いている人もいて、読んだほうが良い気がして feedly を再開した。 昔の subscribe がそのまんま残っていたので、やや手直し。

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10.02.2016 · Posted in 雑感

tanaka0903.net が固まっていた。 JetPack とか All in One SEO などのプラグインのせいであるのは明らかだ。 いまどきアフィリエイトもやらずに、非力なレンタルサーバーで、プラグインも使わずに、 wordpress を使い続けることにどんな意味があるのだろう。 だがまあ、ともかくこのまま使い続けてみようと思う。 もしかするともう少しうまい方法がみつかるかもしれない。 facebook と連携なんてアホなことをやるのはやめた。

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10.01.2016 · Posted in 雑感

保育園だが、駅前の商業地に建てれば誰も文句の言いようがないのだが不動産が高い。 逆に第一種低層住宅地なんかはもともと閑静な住宅街であって地価も高いから、 というより地価が高すぎてここにも保育園は作りにくい。 私の予測では、そのどちらでもない、駅から近からず遠からずみたいな、 比較的土地が安くて規制が緩いあたりをねらって保育園を作ろうとするのだろうと思う。

共稼ぎ夫婦が子供を預けるのだから、保育園は駅近にあれば良いに決まってる。 ビルの中に作れば良いのだ。 それをなまじ住宅街の中に作ろうとするから住民の反発を受けているに過ぎないのではないか。

風俗店やパチンコ店が住宅街に進出しようとすると、世論は住民の味方をするが、 保育園が入ろうとすると、保育園の味方をする。 「待機児童の削減」とか「少子化対策」という耳障りの良い言葉を使って。 そういうのをダブルスタンダードっていうんじゃないの?

私はずっと自分は右翼だと考えているのだが、 たまに自分は左翼なんじゃないかと思うことがある。

ま、問題は住宅地なのか商業地なのかグレーな土地が存在してるってことで、 そういうところに保育園が進出するのは是か非かということだと思う。 行政と住民と事業者がじっくり話し合って解決していくことだろう。 そしてそういう問題は杉並とか世田谷などごく一部の特殊地域にしか発生しない問題だ。 たいていの世論は、当事者ではないヨソモノが、 議論の余地なく住民が悪い、年寄りが悪い、老害だ、 ということにしてしまう。 なぜなのか。

もともと小学校や中学校があってその周りに家を建てるのは建てるほうの勝手だが、 家を建てたとなりに学校を建てるとしたらもといる住民が怒るのは当たり前だ。 昭和の復興期と今じゃ事情が違うのも当たり前だ。 昔、町の子供は空き地、つまり資材置き場で遊んでいた。 ドラえもんやど根性ガエルなんかが描いた杉並区には、 そういう工事現場に土管が置いてあったものだ。 私も子供の頃は田んぼを埋め立てる土砂捨て場のようなところで、 粗大ゴミを集めてきて「秘密基地」を作って遊んだ。 そんなことが今の時代に許されるわけがない。 他人の私有地を子供の遊び場みたいに使えるはずがない。よほどの田舎じゃなきゃ。 当時はきっとたくさんの子供が怪我をしたり死んだりしたはずなのだ。 あの頃は子供もたくさんいたから多少死んでも問題になりにくかった。

保育園の問題だって、昔は子育ては郊外や田舎に家を買ってやるのが当たり前だったから、 問題にならなかったのだ。 今は無理矢理35年ローンかなんか組んで都心に住みたがる夫婦が多すぎる。 都心に依存しすぎているんだ。 そのことのほうがずっと大きな問題のはずじゃないか?

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10.01.2016 · Posted in 雑感

このブログとfacebookを連動したのだけど、 いまいち使い道がわからない。 いっそのことこのドメインもブログも廃止してfacebookあたりに一本化しようかとも考えている。 hatena にすることも考えたが、使い勝手がいまいちでやめた。

このドメインは私が死ねば3年以内に消滅して archive.org にしか残らないだろうし、 独自ドメインを持っている意味もない気がする。 レンタルサーバーを持ち続けて、linux なんかの最新動向においついていくことにも、 いまさらあまり意味がない気もする。

booklog あたりに昔 puboo で書いてたころの残骸が残っていて、 ぜんぶざっくり処分したいのだが手も足も出ない。 いろんなことをやるたびにネットに残骸が残っていくのは気持ち悪いが、 私以外の人は特に気にしないだろうし、 気にする人がいたとしても、そんなに大した問題でもないから放置するしかない。

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じっくりやるしかない。

09.23.2016 · Posted in 雑感

まあ、そんなに売れない。

しかたないことだ。しばらく放置しよう。 無料キャンペーンも考えたが、たぶん効果は無い。 ダウンロードされても積んどかれて終わりだ。 多少なりともレビューを書いてもらわなきゃ意味がないのだが、たぶん書かれないだろう。

たとえば「マリナ」だけ常時無料というのは少しやってみたいのだが、アマゾンが公式に認めていることではないし、 私としてはやらないでおきたい。

kdp も最初の頃は珍しがってレビューを書いてくれる人がいたが、 今じゃ電子書籍が多すぎていちいち見てレビューしてくれない。 今の時代に評価されることはないのは覚悟している。 しかしそのうち別の時代がくるかもしれない。 世の中はいまだにおそろしく保守的だ。 団塊の世代も、若者も、いまだに新聞とテレビに思想を支配されている。 特に「一部伏せ字」なんてのが売れてるのを見ると世の中はまだこれからずっと暗黒時代が続くのだろうと思わざるを得ない。未来に闇しか見えない。

実はまだちょこちょこ書き足している。 何年か後に、思い出して、最新版をダウンロードしなおしてもらえるとうれしい。

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ハルパロス

08.16.2016 · Posted in 雑感

「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨うまい口を見附めっけた。飯場の帳附ちょうつけだがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」 「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」 「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋わらじだ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業ちからわざじゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合よりあいだからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」 「結構です、やりましょう」 「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」 「それでたくさんです」 と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固もとより行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。  翌日あくるひから自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附ちょうつけを始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑けいべつしていた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古けいこを始めた。南京米ナンキンまいも食った。南京虫ナンキンむしにも食われた。町からは毎日毎日ポン引びきが椋鳥むくどりを引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後のち東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。

これは夏目漱石『坑夫』の終わりの部分だが、金庫番ハルパロスは実はこの辺がモデルになっている。

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