亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 10月, 2016

10.26.2016 · Posted in 読書

思うに、エヴァはいきなり使徒が襲来して、進撃の巨人ではある日いきなり巨人が人間を食べ始める。 あるいは、目が覚めたら見ず知らずの他人と密室の中にいたとか。

ゼビウスも、あれは売れたからあとからノベライズしただけで最初からプロットがあったわけではあるまい。 最初からあったか後付けかはともかくそういうものを世界観と言うらしい。 ゲームという分野の中でそれをやったのはゼビウスが最初だろう。 だから、ゲーム以外の分野にも適用範囲を拡げて、ゼビウス方式とでも名付けると良いかもしれない。 とりあえずなんか食いつきの良い作品を作ってヒットさせる。 ヒットしてからディテイルや続編や関連グッズや世界観なんかを作る。

初代のガンダムはよく出来ていた。 人類の歴史の必然の上で戦争が起きて中立国のサイド7にも飛び火したという設定になっている。 しかし主人公のアムロは第一話でいきなり戦闘が始まりいきなりモビルスーツに乗ることになる。 周りの状況はともかくとして、主人公はいきなり未知の世界に投げ込まれるのである。

やはりプロローグというものはある程度、いきなり読者を、視聴者を作品の世界の中に投げ込まなくてはならないから、 突然イベントが発生して、そのイベントがどうなるか、なぜ起きたのか、 興味を持たせるためにある程度未知のままにしておかねばならない。

だが凡百の作品はそこまでお膳立てをしているのではない。 めんどくさいからいきなり架空の世界に転生したことにする。 つまりはご都合主義で済ませる。

或いはストーリーを考えたり記述するのがめんどくさいので、 世界観だけ一生懸命に凝る。 世界観という言葉が生まれたのはストーリーと世界観が分離した証拠であり、 それは作者や読者がストーリーか世界観のどちらかにより関心を持つようになり、 もういっぽうをめんどくさがるようになった、ないがしろにするようになったからである。

カフカの変身などがいきなり転生ものの古典と言っても良いかもしれないが、 あれはまあ、当時いきなり転生するってことがすごく珍しいストーリーとして成立し得たってことと、 世の中がいきなり様変わりすることが現実世界でも起きてたからそのメタファーでもあったのだろう。 今の世の中はどちらかといえば現実がいきなり変わることなど期待できず、 現実から逃避したいから転生するわけである。 現実というややこしくめんどくさいものと格闘するのがいやだからファンタジーに逃げる。 その「現実めんどくせえな」という匂いがしただけで私はそれを読むのがいやになる。 いやになるというか、作者の勝手な妄想世界に付き合わされるのは時間の無駄だという気になる。

実際ストーリーと世界観にまるごとくいついて全体を咀嚼し消化するのはけっこうな労力だ。 だからパーツに切り分けて鑑賞する。 そういう流れが生まれてもしかたない。 例えば太田道灌というたった一人の人を知るにも南北朝を知り、室町、戦国を知り、 鎌倉や川越や江戸城を知らなくてはならない。 道灌が落とした数十の関東の古城と敵将を知らねばならない。 その上、和歌も知らねばならない。 たぶんほとんどの人は疲労困憊すると思う。 だからこそ私には太田道灌が書くに値する魅力的なキャラに見えるが、 読者にわからせるのはほぼ諦めている、と言っても良い。

私の場合、実在の世界に完全に埋没したストーリーを書くから世界観というのは現実そのもの、 歴史そのものであるけれど、 しかし私が書く歴史小説は私が発見した、あるいは再発見した歴史を書くのだから、 私の考えた世界観と言えなくもない。 ハルパロスやアルトニスやエウドキアなどは実在のキャラではあるが、 まだ誰も書いてないから手垢がついてない、私が創ったキャラだということになる。 ほんとはエウメネスもそのはずだったのだが、漫画がすでにあったし、 そもそもプルタルコスでは英雄として描かれていたのだった。

富野由悠季は現実から逃避したいからではなくて現実そのものを、自分の歴史観と世界観で描きたいのだが、 現実そのものを子供向けロボットアニメで描いてはシャレにならないので仕方なく虚構を使ったのである。 だからああいう作品になった。

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10.24.2016 · Posted in kindle

著者セントラルのランキングは1時間おきに更新で、 KDPの販売データ一覧は1日に1度くらいの更新らしいんだが、 ランキングが微妙に増えてるなと思った作品が売り上げではまったく売れてないし、 KENP も無い。

ランキングが低いと KENP に変動がなくてもランキングが上がったりするということなのだろうか。 非常に紛らわしい。 アルゴリズム的になんか間違ってる気がする。

そんで逆に KENP を見るとまあまあ健闘しているように見える作品のランキングがあまり上がらなくなった。 アマゾンがなんかいじってるのに違いない。

エウメネスは1から3まで堅調。 続編を書けば読んでもらえるというのであれば書くしかないわけだが、 何を書こうか迷っている。 ガウガメラの戦いとかソグドの戦いならすぐに書けるのだが、 そっちに行く前にスパルタとかオリュンピアスとかアルトニスとかハルパロスとか、 そういうサブストーリーを書いてみたい。 エウメネスをガウガメラではなくてギリシャ本土に行かせて、 オリュンピアスやスパルタと絡ませたい。 となると、史実というよりはほとんどは創作で書くしかないことになる。 エウメネスはオリュンピアスと仲が良かった。 どこに接点があったのか。 史実は何も残ってないから想像で書くしかない。 オリュンピアスについても、従来、悪い女、悪い妻、悪い母としか描かれてなくて、 それらはおそらくどれも嘘なのだけど、 嘘だと断じる証拠がないと書きようがないんだが、 オリュンピアスはずっとエピロスという田舎にいたので、 実際何をした人かまったくわからない。

スパルタについて調べようとするとほとんど何もわからない。 アテナイ人と違ってスパルタ人はほとんど何も歴史を残さなかったからだ。 スパルタがそんな大したポリスであるはずがない。 私の直感ではそうなる。 しかしスパルタが大した国じゃなかったってことを書くにはそれなりの証拠が必要だ。 その証拠がなかなか集まらない。

アルトニスもよくわからん人だ。 単なる、エウメネスの良妻賢母、というわけではないはずだ。 ではどう描けばよいか? ていうかバルシネを描いた人は多い。 バルシネは派手な人だからキャラとしては描きやすい方だ。 バルシネの妹でエウメネスの妻であるアルトニスを描いた人はおそらくこれまで誰もいないはずだ。 ではどう描けば良いか? 私が書いたものの中では、アルトニスはレスボス島からアテナイに渡ってきて、 リュケイオンでエウメネスの学友だったことにしている。 ではそこからどう発展させれば良いか?

構想はいろいろあるが書き始めることができない状態。 歴史に残ってないものを勝手に補うというのはつまり歴史小説の中に時代小説やファンタジーを埋め込む手法であって、割と面白いのだが、そのチューニングには技巧を要する。 ウィキペディアの解説みたいな歴史小説を書いても仕方ないのは明らかだ。 史実は史実としてきちんと大枠を構築しておいて、 その隙間に、埋め草のように、フィクションのエピソードを埋めていく。風俗もできるだけ盛り込んで風味付けにする。そうするとゴージャスになる。

サイゾーやニューズウィーク、SAPIOなどの雑誌もランキング上位に浮上してこなくなった。 そのかわり変なやつが上がってくる。

MdN と CG World は読むようにしている。 CG World は最新号だけ unlimited を外しているのだろうか? よくわからない。 unlimited なので、雑誌は読まなきゃ損なのだが、 ル・ボラン、音元出版、時計Begin、眼鏡Begin など面白いっちゃ面白いが、 読んでるだけでおなかいっぱいになって、なんかどうでもよくなってしまう。

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桓武天皇

10.24.2016 · Posted in 歴史

桓武天皇はやはり異常だ。 皇統譜を書いているとよくわかるのだ。

桓武平氏と言っても、四系統ある。 第三皇子葛原親王、第九皇子万多親王、第十皇子賀陽親王、第十二皇子仲野親王。 このうち葛原親王系から将門と貞盛が出て、 貞盛から伊勢平氏が出て、清盛につながる。 古今集に出てくる平貞文などは仲野親王系。

平氏以外に、 第七皇子明日香親王から出た久賀氏、 さらに良岑氏がある。 良岑氏といえば遍昭以外知られてないマイナーな王族だがそれなりに子孫繁栄している。

桓武天皇の皇子から平城、嵯峨、淳和天皇が即位した。 嵯峨天皇にも皇子が多かった。 平城天皇と淳和天皇はさほどでもないが、平城天皇からは在原氏が出た。 嵯峨天皇は桓武天皇よりも極端で、皇子は多いが、仁明天皇以外の直系王族はほとんどがすぐに消えてしまっている。

ともかく桓武天皇時代の親王の数が異常に多いし、 親王以外の皇子はさらに多い。 桓武以前と桓武以後でまったく様相が異なる。 白河院時代に親王を極端に減らし、親王以外の皇子はみんな法親王にしてしまって、 皇室財産を緊縮したのとは大違いなのだ。

そもそも光仁天皇から桓武天皇に譲位した理由も謎だ。 光仁天皇の父・志貴皇子系統の皇族はいくらでもいたのに、 よりによってなぜ百済人の后の皇子が即位せねばならなかったのか。 たしかに志貴皇子は天智・天武系統の中では傍系なので、有力な后がいない。 しかし天武系は途絶えて藤原氏を后とする有力な皇子が無い中でなぜ桓武天皇が即位したのか。

おそらくだが、平安末期に平氏や源氏が擡頭してきたように、 この時代、百済人の勢力が非常に強かったのだ。 藤原氏などの名門貴族もその百済人たちの力を借りないと朝廷を操縦できない。 だから藤原百川など一部の藤原氏が桓武を擁立した。 さらに藤原冬嗣など百済人の血を引く藤原氏がその路線を継承した。

桓武天皇の時代は皇子の時代だったが、 王族の子孫が平氏となり源氏となることによって、 武士の時代となって、皇子は不要になってしまった、ということだろう。 桓武天皇の勢いは皇室には留まらずにその外の社会に波及して増幅していった。 もし桓武天皇と同じ規模で皇室が維持されていれば日本は大陸型の中央集権国家になっていただろう。 しかし皇室はたちまちにしぼんでしまい、無数の支族が枝分かれして繁栄することになった。 だから封建社会になった。

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10.23.2016 · Posted in 和歌

湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也

04-0631 宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者

うはへなき ものかもひとは かくばかり とほきいへぢを かへさくもへば

あるいは、

うはべ無き ものかも妹は かくばかり 遠き家路を 還さく思へば

あいそのない人だな、君は。私にこんなに遠い家路を帰らせようと思うなんて。

04-0632 目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

めにはみて てにはとらえぬ つきのうちの かつらのごとき いもをいかにせむ

伊勢物語73

昔、そこにはありと聞けど消息をだにいふべくもあらぬ女にあたりを思ひける、

目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂のごとき 君にぞありける

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在原元方

10.20.2016 · Posted in 和歌

だんだん見えてきた。

古今和歌集編纂の主役は、業平・棟梁・元方の在原氏三代と紀貫之。

伊勢物語は業平・紀有常コンビが中心になってできあがったもの。 古今集は元方・貫之。 棟梁は中継ぎのようなもの。 棟梁と貫之は寛平御時后宮歌合(宇多天皇の母班子女王主催の歌合)で知り合った。

有常と貫之は同じ紀氏だが、家柄は若干遠い(紀有常の祖父・勝長は、貫之の祖父のさらに祖父。 勝長-名虎-有常、勝長-興道-本道-望行-貫之。なお、本道-有友-友則)。 血筋が一本通っているのが在原氏。 貫之が元方に接近していろいろ昔のことを聞き出して伊勢物語の祖型を作った。 元方はほわっとした歌を詠む人だよな。

それで、伊勢物語自体は非常にもやっとしたもので、 わけがわかってない。 紀貫之が素稿を書いたのは間違いないと思うが、 それを後撰集や拾遺集時代のもやっとした連中がかなりリライトしている、というあたりが真相だろう。

在原元方は生没年不明だが、おそらく貫之とだいたい同じなのだろう。 藤原国経の養子になっているのは、元方の父棟梁がそもそも金が無いのと、国経が棟梁の娘を妻としたからだ。

国経は基経や高子の異母兄妹にあたるわけである。 国経や基経は高子のもとに忍んでくる業平の番人になっていたことになっている。 国経は当事者だし、棟梁や元方も事情を知らなかったはずがない。 だがどう考えても高子の話は変だ。

古今集に出て来る当代歌人の中で当時一番偉かったのは宇多上皇だけど、彼はなぜか古今集には一首も載せてない。 いくつか可能性があって、宇多上皇の歌は載っているのだが読み人知らずになっている、という説(自説)。 宇多上皇は元方と貫之をたてて自分は表にでなかったという説(これも自説)。

国経にしても時平にしても、摂家ではあるが、宇多上皇の時代にはそれほど権勢はなかった。 少なくとも国経と時平は歌人と言えるような人物ではなかった。 そうすると一番偉いのは元方だろう。 だから彼の歌が巻頭に出て来る。

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10.19.2016 · Posted in 雑感

まあ、旅券法と国籍法は、マスコミも芸能界も政界も真っ黒なんだろうな。

マイナンバー制度がここまで遅れたわけだよ。

グレーゾーン金利と同じで、いままでグレーで済ませてきた部分が、 マイナンバーのおかげでそうはいかなくなる。 広域暴力団指定でやくざが締め上げられているのと同じだよな。 世の名はだんだん変わっていくんだよ。 昔は許されていたではすまされない。 パチンコもそろそろだろうな。

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百済人と冬嗣

10.18.2016 · Posted in 歴史

おそらく百済人が天皇の国母となったことが主因となり、 多くの氏族が桓武に女御を入内させた。 同時にこの時期、藤原氏は天然痘の流行などの諸原因で奮わなかった。 桓武天皇で、天皇家は生物学的に多様化し、変質した。 外戚や摂関政治とは別の、大陸的な王朝が、 桓武天皇から始まる可能性があった。 しかし藤原氏に冬嗣が出て、皇位継承は再び、 飛鳥奈良時代のように、特定少数の外戚によって支配されるようになって、 良房以後道長までで摂関政治が完成する。

それで百済人や藤原氏以外の氏族が衰退していった理由は、 帰化が進んだためと、藤原氏が巻き返したからに違いないのだが、 ではなぜ藤原氏は、冬嗣は巻き返せたかというと、 冬嗣の母が百済人であったために、百済勢力は藤原氏の冬嗣と合体して、 言わば藤原氏の一氏族と百済人がハイブリッド化して、 摂家というものを作り出したのではなかろうか。 百済人は歴史から姿を消したように見えて、 実は外戚が藤原氏に収束する助けをし、 日本の上流社会に生き延びたのである。 高度な文化を持っていた渡来人だからこそできたことかもしれない。 彼らは日本に産業を興し、文明を発展させた。 藤原氏にしばしば見られるある種強引な政治駆け引きも、 実は大陸的政争のやり方がもたらされたものかもしれない。 と、考えると、やはり桓武天皇時代の外来文化の影響というのは、 今考えられている以上に大きかったと言わねばならないのではないか。 もし百済人(藤原氏)の影響がなければ、 しばらくの間、天武系と天智系の間で繰り広げられたような、 古い形の皇位継承争いが続いていたかもしれない。

摂家の異常な横暴さの理由はそのあたりにあるのかもしれない。

桓武天皇以来多くの皇子は百済系だった。 彼らは隠然とした摂家支持者だったかもしれない。 遍昭も良岑氏なので百済系。 源光(光る源氏?)も百済系。

冬嗣の父は藤原内麻呂、 母は河内系渡来人の飛鳥部奈止麻呂の娘・百済永継。

永継は冬嗣を産んだあと桓武天皇の愛人となって桓武良岑氏を産む。

桓武天皇と藤原内麻呂の関係が極めて良好であり、 かつその仲介役として百済人がいた。

紀名虎という人がいた。 彼は仁明天皇に娘種子を、 文徳天皇に静子を入内させた。 名虎は紀氏中興の祖であったが、 結局冬嗣・良房親子に負けた。 名虎の子・有常は急速に没落していき、 貫之や友則の時代の紀氏は、 藤原摂家にあごで使われる中流公家になってしまった。

紀氏には紀氏の文化があった。日本古来から続く文芸文化が。 しかし冬嗣にはその要素が乏しい。半分は大陸文化なのだから。 紀氏と在原氏が非常に接近した時代があった。その接点が有常だった。 紀氏、在原氏の他に奈良時代の文化を継承したのは、小野氏くらいか。 小野氏には篁と小町くらいしかいない。それ以外は忘れられてしまった。

伊勢物語や竹取物語、歌合などの過去との連続性を保った文化は、 紀有常というボトルネックを経て後世に伝承されたのに違いない。 有常の後継者として待ち構えていたのが貫之であった。

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10.18.2016 · Posted in 雑感

若い頃は、ていうか、30歳くらいだと、 まだ自分が何者かわかってないしこれからどうなるか予測がつかない。 50過ぎた今からみると、30のときにすべてがもう決まってた気もする。

ホルモンか何かのせいだと思うが30歳くらいまではとにかく何かになろうってのめりこめる。 自分がアクション映画の中にいるひとみたいに思える。

しかし50過ぎると、持病は抱え込むし、体力は落ちるし、酒を飲めば疲れるし、 いろんなしがらみで身動きとれないし、 どうやれば失敗するかわかってるから、行動範囲も狭くなるし、 どっか転居したり転勤したりもできなくなるからだいたいもう日常がわかりきってしまうし、 少し食べ過ぎるとすぐ太るし。

とにかく自分という体が動かない。思うように動かせない。 30歳の頃は400ccのバイクを5速で飛ばしてたようなもんで、 今は50ccのバイクを2速くらいでちんたらはしってる感じ。

定年まであと15年もあるかと思うと絶望する。

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10.17.2016 · Posted in 雑感

なんかもう蓮舫の顔をみたくないのだが facebook にどんどん流れてくるので困ってしまう。 記事は読んでもいいが蓮舫の写真が流れてこないようにできないのだろうか。

蓮舫についてケント・ギルバートがもごもごっと擁護するような発言をしたのは、 小野田紀美の件を知っていたからなんだろうな。

で、蓮舫は国会議員なんで、法務省とか警察とか検察が動くということはまあおかしいわけよね。 国会議員は国民の代表として選ばれているわけだから。 役人は基本的に国会議員には楯突かないでしょ。 議員は親分、役人は子分の関係なのだから。

田中角栄の時は異常だったけどねえ。

最悪、二重国籍でも、税務署がきちんと収入把握してて、出入国管理もきちんとしてりゃまあいいとして、 そこがぐだぐだ、というか説明できないんじゃアウトだよな。 マイナンバーはやはり必要なんだよ。

政治家なんて信用できないから、法律とか、マイナンバーなんかの制度が必要になってくる。 国籍法にしても同じ。 皇室典範でも憲法でも同じ。 そこである程度、おかしなことをしようというやつは振り落とされる。

ミステリーものは読者が多いというので、今回マリナを書いてみたのだが、 まあ、マリナはいきなり人が死んだりするわけじゃないんで、そんなにミステリーでもサスペンスでもないんだけど、 それで気付いたのは、 なるほどそのジャンルにはそこそこ読者がいて、読んでくれるのだが、 その読者というのも限られていて、 kindle で unlimited で読んでて刑事ものが好きで、 少し官能小説系なやつ(マリナは官能小説じゃないけどねっ)が好きな人の数というのは限られているのだ。 で、ある程度読まれるともう読まれなくなってしまう。 そこでおわり。

で、今の世の中、一番魚影が濃い漁場というのは、村上春樹や三浦しをんみたいな、 もやっとした小説を読む人たちであり、そこからラノベやBLなんかが派生してきているのを感じる。 読者を獲得しようと思えばそういう漁場にどんどんコマセをまいて釣り糸垂れるのが一番効率よく、 またもともと自分が村上春樹や三浦しをんのファンであれば、そういうふうにして小説を書き、営業するのは全然間違ってないと思う。 最近は村上春樹の影響力の大きさがなんか実感できてきた。 村上春樹は読まないんでよくわからないが、リバースエンジニアリング的に村上春樹という人が実感できてきた気がする。

でまあ、私は、村上春樹や三浦しをんみたいな小説を敢えて書かない人なんで、 読者がいるわきゃない。 しかし古代ギリシャものが好きな人というのは一定割合いて、 そういう人はほぼ確実にヒストリエを読んでいて、 その読者の一部が私のエウメネスを読んでくれていて、 だからエウメネスはときどき思い出したようにだれかが読んでくれる。

そうしてさらにその中のごく一部の人が私のほかの小説も読んでくれるという仕組み。

小説の作品数は多けりゃ多いほど良いように思う。 やっぱ新作は書かなきゃいけないわけよね、コンスタントに。

私が書いたもののなかでよく読まれているものとまったく読まれてないものの差は自分ではないのだが、 読者にはあるわけなのだ。 読まれない作品というのは、要するに、社会との接点がない作品だ。 世の中で読まれている特定のジャンルと関係ない孤立した作品。 他人と違うものを書きたいと思っている私にはかなりこれがこたえる。 今までになかった新しいものを書くのが novel だと思って書いても読まれはしない。 今までにあるものを少しひねった作品がどんどん読まれるのがつらい。

そんで30代の頃は毎日夕方に酒を飲めば発散できたのだが、 今はそれがうまくできない。体力が落ちたせいだろうと思う。 そうすると人間関係も希薄になっていく。 人間関係自体以前は未知な部分が多かったが経験が増えるにつれてこれ以上どうにも発展しないってことがわかってくる。 あちこち旅行もしたから最近はおもしろみもすくない。 小説もいろいろ書いてみて書いてもどうせ読まれないってことがわかってきたし、 仕事もこれ以上どうにもならないし、 健康状態はこれからどんどん悪くなるし、 急に大金持ちにでもならない限りこのさき面白いことなんかありゃしないってことがわかってくる。 執筆活動にのめり込んだりして現実逃避しても限度がある。

酒というものが持ってる魔法の力を使いすぎたかもしれない。

まあ、完全に煮詰まってるよな。

wolfenstein: the new order 買ったが全然面白くてやる気がおきない。 call of duty 4 みたいな、ミッションインポッシブルをゲームにしたみたいな、 イベントドリブンでチェックポイント制の展開になっててなえる。 fallout とは全然違う。つまらん。

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賊軍の合祀

10.16.2016 · Posted in 雑感

10月13日の産経新聞に全面広告の意見広告が載っていた。

ご存知ですか?

靖国神社に祀られているのは官軍のみで、賊軍と称された方々が祀られていないことを・・・

これは10月4日の 靖国神社150周年 西郷隆盛や幕府軍の合祀計画が急浮上 という記事、 10月12日のNHK報道 「西郷隆盛や白虎隊も靖国神社に合祀を」亀井氏ら と関連するものであろう。

西郷隆盛、白虎隊、新撰組、江藤新平らは、靖国神社には祀られていない。 ただし靖国神社の同じ境内の中にある、鎮霊社には祀られている。

私は、靖国神社の合祀者を増やすのは反対だ。 そういうことを言い出すと、 東京裁判で有罪判決を受けて死んだ政治家(軍属ではない)や、 民間人の挺身隊なども合祀し、 戦争に巻き込まれて死んだ、東京空襲の死者や原爆被害者などみな合祀しようという話になり、 さらには日本国民全員が靖国神社の氏子であるなどと解釈する者が出てくる。 それは明らかに昭和天皇が望まなかったことだ。 昭和天皇によれば明治天皇も、民間人を合祀することには反対であった。

亀井静香が言う、

靖国神社は日本人の心のふるさとのような所だ。この問題には、右も左もなく、国民の中にも理解が広がっていってる

というような、軍人と民間人を際限なく混同するような思想は間違っていると思う。

もし必要ならば、鎮霊社の扱いをもっと大きく丁重にすれば良い。 原則を変更すべきではない。

cf. 靖国神社合祀御衣黄

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