在原元方

だんだん見えてきた。

古今和歌集編纂の主役は、業平・棟梁・元方の在原氏三代と紀貫之。

伊勢物語は業平・紀有常コンビが中心になってできあがったもの。
古今集は元方・貫之。
棟梁は中継ぎのようなもの。
棟梁と貫之は寛平御時后宮歌合(宇多天皇の母班子女王主催の歌合)で知り合った。

有常と貫之は同じ紀氏だが、家柄は若干遠い(紀有常の祖父・勝長は、貫之の祖父のさらに祖父。
勝長-名虎-有常、勝長-興道-本道-望行-貫之。なお、本道-有友-友則)。
血筋が一本通っているのが在原氏。
貫之が元方に接近していろいろ昔のことを聞き出して伊勢物語の祖型を作った。
元方はほわっとした歌を詠む人だよな。

それで、伊勢物語自体は非常にもやっとしたもので、
わけがわかってない。
紀貫之が素稿を書いたのは間違いないと思うが、
それを後撰集や拾遺集時代のもやっとした連中がかなりリライトしている、というあたりが真相だろう。

在原元方は生没年不明だが、おそらく貫之とだいたい同じなのだろう。
藤原国経の養子になっているのは、元方の父棟梁がそもそも金が無いのと、国経が棟梁の娘を妻としたからだ。

国経は基経や高子の異母兄妹にあたるわけである。
国経や基経は高子のもとに忍んでくる業平の番人になっていたことになっている。
国経は当事者だし、棟梁や元方も事情を知らなかったはずがない。
だがどう考えても高子の話は変だ。

古今集に出て来る当代歌人の中で当時一番偉かったのは宇多上皇だけど、彼はなぜか古今集には一首も載せてない。
いくつか可能性があって、宇多上皇の歌は載っているのだが読み人知らずになっている、という説(自説)。
宇多上皇は元方と貫之をたてて自分は表にでなかったという説(これも自説)。

国経にしても時平にしても、摂家ではあるが、宇多上皇の時代にはそれほど権勢はなかった。
少なくとも国経と時平は歌人と言えるような人物ではなかった。
そうすると一番偉いのは元方だろう。
だから彼の歌が巻頭に出て来る。

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