なんかもう蓮舫の顔をみたくないのだが facebook にどんどん流れてくるので困ってしまう。
記事は読んでもいいが蓮舫の写真が流れてこないようにできないのだろうか。
蓮舫についてケント・ギルバートがもごもごっと擁護するような発言をしたのは、
小野田紀美の件を知っていたからなんだろうな。
で、蓮舫は国会議員なんで、法務省とか警察とか検察が動くということはまあおかしいわけよね。
国会議員は国民の代表として選ばれているわけだから。
役人は基本的に国会議員には楯突かないでしょ。
議員は親分、役人は子分の関係なのだから。
田中角栄の時は異常だったけどねえ。
最悪、二重国籍でも、税務署がきちんと収入把握してて、出入国管理もきちんとしてりゃまあいいとして、
そこがぐだぐだ、というか説明できないんじゃアウトだよな。
マイナンバーはやはり必要なんだよ。
政治家なんて信用できないから、法律とか、マイナンバーなんかの制度が必要になってくる。
国籍法にしても同じ。
皇室典範でも憲法でも同じ。
そこである程度、おかしなことをしようというやつは振り落とされる。
ミステリーものは読者が多いというので、今回マリナを書いてみたのだが、
まあ、マリナはいきなり人が死んだりするわけじゃないんで、そんなにミステリーでもサスペンスでもないんだけど、
それで気付いたのは、
なるほどそのジャンルにはそこそこ読者がいて、読んでくれるのだが、
その読者というのも限られていて、
kindle で unlimited で読んでて刑事ものが好きで、
少し官能小説系なやつ(マリナは官能小説じゃないけどねっ)が好きな人の数というのは限られているのだ。
で、ある程度読まれるともう読まれなくなってしまう。
そこでおわり。
で、今の世の中、一番魚影が濃い漁場というのは、村上春樹や三浦しをんみたいな、
もやっとした小説を読む人たちであり、そこからラノベやBLなんかが派生してきているのを感じる。
読者を獲得しようと思えばそういう漁場にどんどんコマセをまいて釣り糸垂れるのが一番効率よく、
またもともと自分が村上春樹や三浦しをんのファンであれば、そういうふうにして小説を書き、営業するのは全然間違ってないと思う。
最近は村上春樹の影響力の大きさがなんか実感できてきた。
村上春樹は読まないんでよくわからないが、リバースエンジニアリング的に村上春樹という人が実感できてきた気がする。
でまあ、私は、村上春樹や三浦しをんみたいな小説を敢えて書かない人なんで、
読者がいるわきゃない。
しかし古代ギリシャものが好きな人というのは一定割合いて、
そういう人はほぼ確実にヒストリエを読んでいて、
その読者の一部が私のエウメネスを読んでくれていて、
だからエウメネスはときどき思い出したようにだれかが読んでくれる。
そうしてさらにその中のごく一部の人が私のほかの小説も読んでくれるという仕組み。
小説の作品数は多けりゃ多いほど良いように思う。
やっぱ新作は書かなきゃいけないわけよね、コンスタントに。
私が書いたもののなかでよく読まれているものとまったく読まれてないものの差は自分ではないのだが、
読者にはあるわけなのだ。
読まれない作品というのは、要するに、社会との接点がない作品だ。
世の中で読まれている特定のジャンルと関係ない孤立した作品。
他人と違うものを書きたいと思っている私にはかなりこれがこたえる。
今までになかった新しいものを書くのが novel だと思って書いても読まれはしない。
今までにあるものを少しひねった作品がどんどん読まれるのがつらい。
そんで30代の頃は毎日夕方に酒を飲めば発散できたのだが、
今はそれがうまくできない。体力が落ちたせいだろうと思う。
そうすると人間関係も希薄になっていく。
人間関係自体以前は未知な部分が多かったが経験が増えるにつれてこれ以上どうにも発展しないってことがわかってくる。
あちこち旅行もしたから最近はおもしろみもすくない。
小説もいろいろ書いてみて書いてもどうせ読まれないってことがわかってきたし、
仕事もこれ以上どうにもならないし、
健康状態はこれからどんどん悪くなるし、
急に大金持ちにでもならない限りこのさき面白いことなんかありゃしないってことがわかってくる。
執筆活動にのめり込んだりして現実逃避しても限度がある。
酒というものが持ってる魔法の力を使いすぎたかもしれない。
まあ、完全に煮詰まってるよな。
wolfenstein: the new order 買ったが全然面白くてやる気がおきない。
call of duty 4 みたいな、ミッションインポッシブルをゲームにしたみたいな、
イベントドリブンでチェックポイント制の展開になっててなえる。
fallout とは全然違う。つまらん。