酒の無い世界

こうやってアルコールを二ヶ月も飲まずにいると、負け惜しみでなく、最初から酒などなくても、生きていけるじゃんという気になってくる。

さんざん、酒をネタで小説も書いたが、酒というのは、男と女の間に挟まってくるからおもしろいのであり、
男も女も酒抜きが当たり前になれば、別に酒などいらんのではないかと思う。

酒もなくたばこもない世界。そうなれば世の中はもっと平和でたのしくなるだろうと思う。
酒もたばこもやったことがある者として、そう思う。

えーとつまり、最初から酒がなければ、酒の力を借りたりとか、酔った勢いでとか、
そんなことはすっとばして、
暴れたいときは暴れ、ふざけたいときはふざけられるのではなかろうか、それは慣れとか度胸の問題に過ぎないのではないか、と思う。

仕事仲間と飲むのも、かつてはそれが当たり前と思って飲んでいたが、今冷静になって眺めてみると、
あまり酒をありがたがって飲んでる感じじゃあない。
酒が好きで飲んでる感じでもない。
もっと無神経でぞんざいな感じに飲んでいる。
それをはたで見ているといらいらしてくる。
かといってあまりありがたがって酒の蘊蓄とか語りながら飲まれてもうざいだろうな。

人間は、普通、過度に理性が働いている。仕事をしているときなど、必要以上に、150% くらい、理性を使っている。
それを、あまり失礼にならないくらい、たとえば 100%くらいに落としたりとか、
少しふざけようと 80% くらいに落としたりすると良い状況があるが、そう簡単に理性をコントロールできない。
手っ取り早いのは酒の力を借りることだ。
ただしアルコールの加減をコントロールするのが、今度は難しい。
理性によって理性をコントロールするのか、理性とは別のところで理性をコントロールするのかわからんが、
ともかく自分の意志で、アルコールやカフェインなどの薬物の力を借りずに、理性の分量をコントロールできれば良いのではないか。
下戸の人は、多かれ少なかれ、シチュエーションによってそのように意志の力で理性をコントロールしているのではないか。
それに慣れてしまえば酒を飲まなくても飲み屋に居てきまずくなく、それなりに楽しめるのではなかろうか。

太り戻す。

近頃めまいがしたり立ちくらみがすることが多く、心臓のせいだか、それとも痩せすぎたせいだかわからんのだが、
どちらにしても、ダイエットのし過ぎによる可能性を排除するために、少し太ることにした。
太るのなど簡単だと思うと案外そうでもない。
ある程度以上痩せてしまうと食欲自体がなくなってしまう。
特に、外食しようという気持ちがなくなる。他人がやってる店に入るのがおっくうになるのだ。
さっさと自宅に帰って落ち着いて茶漬けでも食いたいという気持ちになってしまう。
拒食症になるというのはこういう過程をたどるのだなと思った。

それでまあ、無理にラーメンとかカツ丼とか食ってみた。別にまずくはないし、どか食いしたからと具合が悪くなることもないのだが、
昔はこういうものを食べるのが大好きだったのに、
あまり感動がなくなっていて、やはり驚く。
晩酌には、ビールが恋しくて、アルコールフリーのビールもどきを飲んでいたが、それすら別に飲まずに平気になってきた。
飲み屋をハシゴするのがあんなに好きだったのに、今ではどうでもいいや、めんどくさいなどと思う。
たぶん、あれは毎日の、習慣になっていたのだろう。
何もしないのが習慣になってしまうと、今度はそっちの習慣に引っ張られてしまう。
今はその状態。惰性というものか。
人間ってずいぶん惰性に支配されているのかもしれん。

思うに、入院したときに比べて退院したとき10kg痩せていたから、もったいないと思ってそのままダイエットを続行した。
これはやはりまずいことだった。5kgくらい戻しておけば良かったのだろうと思う。
退院してからこの二ヶ月ほど、かなりやばい状態だったのは確かだと思う。

皮下脂肪は内臓脂肪がほぼなくなってから減り始めるのだろう。
しかし内臓脂肪がなくなってしまうと、糖分の供給が不安定になってしまい、
常時食事の形でカロリーを摂取していないと、低血糖低血圧になってしまう。
さらには、血管を広げて血圧を下げる薬も飲んでいるわけだから、よけいよろしくない。

血糖値が下がりすぎないようにするには内臓脂肪の備蓄が必要なのだが、
これが飯をばくばく食ったからといってすぐに回復するものでもないようだ。
なかなか簡単に体重が増えるわけではない。
食欲があまりない状態では食事も作業感ばかりで楽しくもなんともない。
かなり爆食したつもりでも、翌朝体重計に乗ると全然増えてない。
減ってはないけど。
体型もすごくしゅっと細い。

しかしまあ、ともかく一応危機的状況からは少し脱しつつあるように思う。

ていうか、血圧を下げる薬とか利尿剤とか強心剤とか、もう好い加減飲まなくていいんじゃないかと思うんだが、
心筋症を示す数値がまだまだ悪い(最悪の状態からどんどん良くなっている、という見方もできる)ので医師の言うことに従わざるを得ない。
新しい薬がまた一つ増えた。
心筋症が治ったら、しばらくそれ以外の緊急性のないこと(とは医師は考えないようだが?)はほっておいて、
普通の生活がしたいのだが。
検査をすればするほど、なんらかの問題はみつかる。
大腸検査すれば必ず良性のポリープが一つや二つ見つかるようなものだろうと思う。
そして、別に今取り立てて困っているわけでもないし、
自覚症状があるわけでもないのだ。
少し精神的に休ませてもらいたいものだ。
次から次にあれも悪いこれも悪いと言われても困る。

実はまだデーテをいじっている。

一部趣味に走り過ぎてこてこての歴史小説のようになってしまったことは反省している。
しかし、未だに私の書いた小説の中では一番一般受けするのではないかと思っている。
冊子にして少しまいてみようかと思う。効果があるかしらんが。

話はでかい方が良い

というわけで、
相変わらず[デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)をいじっているのだが、
アルムおじさんのご先祖様は、ナポレオン軍のアルプス越えの行軍中に、その傭兵隊長となって、道先案内をやった、
という話にしておいた。

またアルムおじさん自身も、ソルフェリーノの戦いという激戦に参加したことにした。
となると、フランス外人部隊に居たということにした方が、つじつまは合う。
ところで、傭兵が後方支援で工兵だったりしたことがあるのだろうか。
傭兵というのは、常に前線で危険な軍務につくものだろうか。
工兵というのは、どちらかと言えば、危険はすくなさそうにも思えるが。
専門性や能力次第だろうか。

スイス傭兵というのは個人ではなくて、州(カントン)単位で派遣した軍団であったはずだから、
その中には工兵隊や輜重隊などのバックヤード専門の部隊があってもおかしくないのではないか。

それから、ついでに、作中作の入れ子を二重にした。つまり入れ子をさらに深くしてみた。
デーテの語りの中にトビアスの語りを入れてみたわけである。
入れ子は深い方が面白いよね(笑)。
『千夜一夜物語』は深いところは七重になっているという。未確認だが。
一番浅いところは三人称の普通の物語の叙述だが、その中にシエラザードの語りがあって、その語りの中の登場人物がまた語り出して、
その語りの中の人物がまた物語を始めて、という具合にどんどん物語の中に物語が埋め込まれていく。
そこが面白い。

さらに、トビアスの語りの中に、アルムおじさんの語りを埋め込んで、入れ子を三重にしてみた。
うはは。

unten と oben

福音館書店の矢川澄子著『ハイジ』を読んでいると、どうにもわからないことがある。
バルベルは「下のプレッティガウに住んでいた」と書かれているが、川の上流下流で言えば、プレッティガウはマイエンフェルトの上流に当たり、方位で言うと、南もしくは南東に当たる。
(アルムおじさんの)おかみさんは「下のビュンデンの人」と言っているのだが、マイエンフェルトはグラウビュンデン州の中では一番ライン川の下流に当たり、
方位で言えば北のはずれである。
マイエンフェルトの北、ライン川の下流はもう別の州、ザンクトガレンであり、そこにはバード・ラガーツやメールスなどがある。
「こども(ハイジ)は上のプフェファース村のウルゼルばあさんにお金で預かってもらい」とあるが、プフェファース村は、
デルフリ村もしくはマイエンフェルトから見れば、ライン川をはさんで対岸にあって、どちらが標高が上とか下でもなく、上流でも下流でもなく、
方位で言えば西にあたる。
上とか下とかが良くわからん。

[ドイツ語原文](http://www.gutenberg.org/cache/epub/7500/pg7500.html)を読むと、
上というのは oben、下というのは unten、となっている。
oben は上流とか標高の高いところ、unten は下流とか標高の低いところ、という意味もあるが、oben が北、unten が南を意味することもあるらしい。

> unten im Prättigau gewohnt

> der alten Ursel oben im Pfäfferserdorf

などなど。
思うに、『ハイジ』の著者のシュピリはずっとチューリッヒに住んでいて、子供の頃にマイエンフェルトに過ごしたことがあるという。
チューリッヒとマイエンフェルトはごく近い。100km弱しか離れてない(東京から前橋、宇都宮、水戸、小田原くらい。しかも1858年には鉄道が開通しているからすぐだ)から、たびたび訪れたのに違いないが、さほど地理を詳細に把握していたわけではないのかもしれない。
だから、上とか下というのも、単に印象で書いただけなのかもしれん。

特にドムレシュクのことを「下のビュンデン」などというから、ライン川下流の方の、もっと開けたところかと勘違いしていた。
実際にはマイエンフェルトよりさらに山奥の狭苦しい渓谷地帯だというわけである。
やれやれ。

ラガーツ温泉2

まだ、しつこく調べている。
源泉の温度が36.5℃。
ラガーツからプフェファースまで、約2km。
源泉の渓谷までは、まだもう少しあるはず。
今はどうか知らないが、ラガーツ温泉がひらかれたときには、
木の樋でお湯を引いていたというから、まあ、そのパイプがどのくらい太かったか、
どのくらい保温できたかは知らないが、冬場などはそうとう冷えただろう。
せいぜい30℃とか25℃くらいではなかろうか。

ネットでラガーツ温泉に実際にはいったという人の話など読むと、やはりぬるいらしい。
ぬるくてかつ水着ではいると。
ふーむ。

てかね、ラガーツ温泉は源泉掛け流しなのか、源泉だけど沸かしているのかとか、
沸かして濾過して消毒して循環させているのかとか、
効用はとか、成分はとか、
そんなことが書きたくなるじゃないですか。
でも、源泉掛け流しなのに沸かしとか書いたら怒られるじゃないですか。
だから一応ちゃんと調べようかと思って。

それから、ハイジがプフェファース村で預けられたウルゼルばあさんという人は、
耳が遠くて、ハイジを部屋に閉じ込めておく意地悪ばあさんのように描写されている。
アニメの中の描写もなんかそんな感じ。
だが、プフェファースには修道院があって、ラガーツには子持ちの女性もたくさんいただろうから、
想像するに、修道院には組織的な保育所のようなものが作られていたのではなかろうか、と思うのだ。
その方が自然な感じなんで、そんな記述にして見た、どうよ。

それから、デーテの一人語りをバーで隣り合わせてた男が聞く、という形にしてみた。
ちょっとアダルトな雰囲気。
私の書く他の小説にだいぶ似てきた。
ていうか、『[デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196/)』を読むと私の書く小説がどんなものか、さらっと読めてわかりやすいと思う。
たぶん初心者向けに、一番読みやすいと思う。
『デーテ』を通して面白く読めた人は、私の他の小説も、面白く読める可能性がある。リトマス試験紙みたいなものだと思う。
『デーテ』もかなり屈折しているけど(笑)、他よりは読みやすいだろう。
いわば、ファンタジーというか童話の物語を、どろどろの人情話にしてしまっているのだから。
そういう他人の著作の裏設定を暴露するような小説を書くというのは、趣味悪いよな。ファンの神経を逆なでするというか。
逆に喜ぶファンもいるかもしれんが。
そういう私自身が『ハイジ』の大ファンだからこれを書いたってことは、これを読んだ人なら疑う人はいるまい。

私の作品はというと、作中作、劇中劇というややこしい入れ子構造を使っていることが多い。
作中作は『濹東綺譚』や『千夜一夜物語』などに使われている手法。
私の場合は特に、現代小説の中に歴史小説を埋め込むために使うことが多い。
つまり、なんでそんなことをするかというと、読者を歴史の世界にいきなり連れ込むのは難しいと思ったから、全体を普通の学園モノや恋愛モノを偽装してみたのだが、
意図は伝わってたかな。

あとは歴史や地理や政治の蘊蓄がちりばめられている。
最初に地理や歴史の説明から入るのは常套手段。
なんでそんなことするかと言われても困る。それが私の趣味だからだ。

『スース』まで書いてみて、戻って『デーテ』をはじめて自分なりにアレンジできたというか、
アレンジしすぎて似通ってしまったというべきか。
いくつも書いてみてだんだん自分のスタイルがわかったというか。

ラガーツ温泉

相変わらず、『[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196/page/358837)』を手直ししているのだが、
ラガーツ温泉について調べていると、面白いことがわかった。
スイスに鉄道が出来たのが 1845年で、おそらくラガーツ温泉というのは、鉄道がマイエンフェルトまで通ってから開発されたのじゃないかと思ったら、
やはりその通りで、もともとは山奥の秘湯だったのを、1840年に初めて里までパイプラインで引いてきて、
1870年くらいに世界初の温水プールなど作ったりしたのである。

だから、デーテがラガーツ温泉に仲居として働き始めたとき、ラガーツは保養地としてできたばっかりだった、ということなのである。

いやあ、ちゃんと調べてみないと知らないことって多いよなあ。
たまたまなのかもしれないが、
シュプリは、ナポリで傭兵とかラガーツ温泉とか、割と当時の流行りの、キャッチーな話題を盛り込んでいた可能性があるよね。

アルプスの少女デーテ加筆

[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)を全面的に書き替えた。
スイスの傭兵について調べてたら面白くて。
スイス傭兵は1874年に禁止されるのだが、アルプスの少女ハイジが書かれたのは1880年。
アルム叔父さんがナポリで傭兵になったというのは、おそらく、イタリア統一戦争前の、両シチリア王国時代の頃の話だと思われるが、
両シチリア王国は赤シャツ隊のガリバルディに滅ぼされる。
アルム叔父さんはどこの国の傭兵だったのか。
シチリア王国か。ローマ教皇か、オーストリアか。それともサルディーニャ、或いはガリバルディに雇われていたのか。
答えは無い。ヨハンナ・シュプリは裏設定として知っていただろうけど、今日それを知る機会はない。
勝手に色々と作り話が作れるのだけど、とりあえず無難にローマ教皇軍に雇われたことにしておいた。

ハイジが書かれた年は1880年、物語の中で、ハイジは10才くらいまでなるから、仮にハイジの生まれた年を1870年としよう。
するとデーテの生まれた年はそれより21年前で1850年くらい。
アルム叔父さんはデーテよりも25才くらいは年上だろう。すると、生まれた年は1825年くらい。
シチリア王国が滅亡したのは1860年。アルム叔父さんは35才。トビアスは15才くらい、デーテは10才ということになる。
ちょっと年を食ってる感じだが、この年にデルフリに流れ着いたとして、そんなに設定としてはおかしくないけど、
できればみんなもう少し若いくらいが、設定としてはちょうど良い。

アルム叔父さんは、大工の仕事もやるのだが、それは傭兵時代に工兵だったから、という設定にしてみた。どうよ。

スイスに鉄道ができたのも、1845年から。フランクフルトからマイエンフェルトまで鉄道路線が敷設されたのも、
デーテが生まれてすぐくらいではなかったか。
ドイツ帝国が統一されたのは、1871年。そういうあわただしい感じを付加してみた。
ともかく原作とはだいぶ雰囲気変わったと思う。

肝臓と蛋白質

なんかしらんところで肝臓に負担かけてたらやだなと思い調べてみるのだが、
プロテインは消化に手間がかかるから肝臓に負担をかける、
などと書いてあるかと思うと、
シジミには良質の蛋白質が含まれているから良いなどとかかれていて、
結局蛋白質は摂ったほうがいいのか摂らない方が良いのか、
摂るとしたらどのようにとりゃいいのか、ってことがさっぱりわからない。

普通に考えれば、蛋白質は肝臓を含めて体自体を作るものだから、摂った方が良いに決まってる。
問題はどのくらい積極的に取るのか。
それとも取り過ぎると毒なのか、
体を作る材料としてふんだんに取るべきか、
それとも体調を整える程度に適度にとるべきか、
その辺の加減が問題なのだろう。
まともな説明をあまり見たことがないが、結局病院食のような偏らない当たり障りない食事が良いということか。

Chronographia Book 7

エウドキアの話は[クロノグラフィア第七巻](http://www.fordham.edu/halsall/basis/psellus-chrono07.asp)に出てくる。

> On this occasion he entrusted all his duties to his wife, Eudocia. In his opinion, she was the wisest woman of her time and he thought that no one was better qualified to educate his sons and daughters.

結構長いな。冊子印刷してじっくりと読むか。
英語版 wikipedia のソースに相当するのだろうが、今更 wikipedia の記述とそんなに差がないことを祈る。