給料をもらってやる仕事

60才にもなると人生の総括みたいなことをやってしまうのだが、世間の評価というものは別にして、自分自身で満足のいく仕事をしたかどうかという、自分自身の価値基準に基づいた評価で言えば、高校生の頃から大学院生の頃にやった仕事というものは、良い仕事だったと思うのである。私は博士課程まで進学させてもらい、その後大学で助手になった。そのくらいまでの仕事はまあまあの出来だったと思う。

ところが大学教員という仕事に就いて、給料をもらいながらやった仕事というのは、今から見るとどれもこれもまったくダメだ。つまり、賃金という報酬を得るためにやる仕事というものを、これまでに30年ほどやってきたわけだが、これは自分に与えられた、もらった給料の分の仕事をして世の中に報いることで精いっぱいで、自分で満足できるような仕事は一つもできなかった、ということなのだ。学生の頃にやった仕事は給料のためにやったものではない。自分がやりたくてやった仕事、自分が自分で選んでやった仕事だった。

いわゆる「社会的業績」、つまりなんとかという大学の教員になったとか、なんとかという役職についたとか、論文を何本なんとかという学会の論文誌に通したとか、そういうことは私にとって、職を離れ死んでしまえば何も残らないものであって、少なくとも、自分にとっては何のご褒美にもならない。なんとかという勲章をもらいました、ということも私にはあまり意味はない。意味のない仕事をして勲章をもらった人を多く知っているからだ。むしろ自分の好きなことを単著で書いて世の中の人に読んでもらったほうがましだ、と私なら思う。その本によって私は死んだ後も人々に記憶されるかもしれないし、何か社会貢献できるかもしれない。

今は教員として働きながら、個人の、ある意味趣味の仕事もしているわけだが、こちらに関しては私は割と満足している。つまり、死んだ後も残るような、というか、残したいような仕事をしている。残ってくれると良いと思っている。大学教員という仕事は自分のやりたい仕事をやるために必要な地位である、ということは言えるかもしれない。しかし言えなかったかもしれない。もっといろんなことができたはずなのに。こんなはずではなかった、という気持ちが強い。少なくとも、今給料をもらいながらやっていることは、今の職を辞めてしまえば後には何も残らない。こんなものが残るはずがない。まったくもって、金のために切り売りしただけの仕事だ。今の肩書は仕事をするのに便利かもしれないが、残念ながら私はそれを全然活かせてはいない。

そうしてみると私は、給料をもらいながら、やりがいのある、満足の出来る仕事のできない人間だということになる。或いは今私がいる環境はそういうことができそうでできない環境だと言える。丸谷才一みたいに教員をさっさとやめて専業の作家か何かになれればよかったのかもしれないが、私にはそんな才能もなかったし、そんな機会もなかった。永井荷風も教員だったが辞めてひどく困窮したらしい。

もし私が給料をもらう仕事をしなくてもすむ身分だったらもう少し有意義な仕事ができたかもしれない。給料をもらう仕事をしている時間、自分の好きな仕事ができていたら、何かもっと良い仕事ができたかもしれない。

いや、世間の人はいうだろう。うぬぼれるなと。給料をもらってやったからこそ多少は世の中のためになったのだ。給料をもらわず勝手にやった仕事なんて所詮自己満足で、世の中にはなんの役にもたってないのだと。

確実に言えることは、私は給料をもらってやる仕事と、やりがいを、結局両立できなかったってことだ。

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