Regnum Italicum

投稿者: | 2013年6月28日

カール大帝のフランク王国から遺産分割でイタリア王国というのができたが、
イタリア王の血統が絶え、東フランク王オットー1世がイタリア王を兼ねることとなり、
オットーが神聖ローマ皇帝を称することによって、
神聖ローマ帝国となった。

この時期、Kingdom of Lombardy と言う言い方は間違いであり、
Kingdom of Italy という言い方は正しいが、
神聖ローマ皇帝がイタリア王を兼ねているから、実質イタリア王国というものはないのに等しい。

ノルマンコンクエストが始まる直前の南イタリアやシチリアは一部がアラブ人、
一部がギリシャ人の領地であり、
残りのカプア、サレルモ、ベネヴェントは神聖ローマ帝国外のイタリア人(ランゴバルド族)の国だった。

南イタリアのノルマン人による征服は、おそらくは、神聖ローマ皇帝がノルマン人を雇って行わせたものだろう。
神聖ローマ皇帝はローマ帝国の後継を標榜しているから、イタリアに干渉するのが好きなのだ。
ノルマン人はノルマンディから神聖ローマ皇帝の保護の元、陸路でイタリアに向かったと考えるのが自然だろう。

オットー1世がイタリア王となっても、住民や領主はランゴバルド族だったのに違いない。
オットーは、フランク王国の騎士やらに、ランゴバルド族やギリシャ人やアラブ人が支配する土地を占領するように命じた。
そう考えるのが一番つじつまがあいそうだ。

マルセイユからローヌ川上流、スイスの西半分はブルグント(ブルゴーニュ)王国と言ったのだが、
ここがいかにしてサヴォイア辺境伯の国に変わっていったのか。
それがまたよくわからない。
とにかくもう複雑すぎてよくわからない。

カテゴリー: 未分類
にほんブログ村 酒ブログへ 居酒屋ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA