業平集二番目の歌
> 桜の花盛りにひさしくまからぬ人のもとへまかりぬれば
> あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり
> といへば女かへし
> けふこずばあすはゆきとぞふりなまし消えずはあるとも花とみましや
どこをどう読んでもこれは業平が久しぶりに女によばれて訪れた、という歌である。
二条の后に呼ばれた、と解釈できないこともないが、そうでもないかもしれない。
いつもはつれない二条の后が花の盛りにことつけて、一日だけだよとわざわざ業平を呼びつけ、
業平が「よりを戻すのかとうわさになるかもしれませんよ」と逆に心配している、と解釈するのが一番おもしろいが。
古今集62番と63番では詠み人知らずに業平が返したことになっている。
> さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人のきたりける時によみける
> あだなりと なにこそたてれ 桜花 年にまれなる 人もまちけり
> 返し
> けふこずば あすは雪とぞ ふりなまし きえずはありとも 花と見ましや
伊勢物語17番
> 年ごろおとづれざりける人の、桜のさかりに見に来たりければ、あるじ、
> あだなりと 何こそたてれ 桜花 年にまれなる 人も待ちけり
> 返し、
> けふ来ずは あすは雪とぞ ふりなまし 消えずはありとも 花と見ましや
古今集とほとんど同じ。
業平集おもしろいな。
成立順序としては業平集→伊勢物語→古今集だろうか。
しかし伊勢物語のほうが詳しい場合もある。
業平集のほうが、意味が通りやすいか。
深読みすると、
清和天皇はあまり長寿ではなかった。
三十歳で死んでいるが、その死に方が尋常ではない。
譲位し、出家して、絶食するなど苦行の上、自ら死を選んだような死に方をする。
理由はよくわからん。いろいろありすぎてわからんと言った方がよいか。
それでまあおそらく高子はものすごい年上の姉さん女房であるし、
清和天皇の寵愛というのはとっくに冷めてたので、業平を呼んでみた。
業平としてはもう五十過ぎの当時としてはおじいさん。
高子も三十代後半。
業平はいまさら色恋という気分でもないのであきれている。
「あだなりとなにこそたてれ」というのはおどけたような調子であったかもしれない。
で、「けふこずばあすは雪とぞふりなましきえずはありとも花と見ましや」
は私ももう若くないのよ。すぐに年よりばあさんになってしまうわ。
というような意味で言ったのかも知れない。
まあ、そう解釈するのが一番おもしろい。