百人一首への招待2

「百人一首への招待」の後の方を読んでいると、
定家と為家の合作説というものも提示されていて、
まあそうかもしれんしそうでないかもしれん。

定家が天智天皇の凡庸な歌を好きなのは、確かに、
天智天皇が藤原氏に非常に関係が深いからかもしれないし、
その歌が、ある意味不自然なまでに牧歌的で、おおらかなのも、
政治的意図(理想の君主像とか)がそこにあるのかもしれない。
いずれにせよ、定家が藤原氏でなければ天智天皇を最初にもってくることはなかった。
「秋の田の」が天智天皇自身が詠んだ歌でないことは明白であって、
従って聖武天皇とか文武天皇とか桓武天皇が詠んだことにしたってよかったわけである。
定家は「秋の田の」が天智天皇の真作だということにしたかった。
そう信じ込みたかった。

陽成院が定家に評価されてないってことも指摘してある。

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