後鳥羽院四百年忌御会

後鳥羽天皇が隠岐の島で死去して400年目(1638)に開かれた歌会、その冒頭の後水尾院の御製

> 恋ひつつも鳴くや四かへりももちどり霞へだてて遠き昔を

なぜ4回なくかというと、ももちどり、つまり百匹いる千鳥が
(いやほんとは百千いる鳥、なのかもしれないがそれはさておき)4回ずつ鳴くので合わせて400回、
遠くへだててかすむしにしえの後鳥羽天皇の御代を慕って鳴くという、
なんとも言えずみごとな歌ではないか。
やはり、後水尾天皇はひと味違う。

新日本古典文学大系「近世歌文集 上」の解説で、上野洋三氏が指摘しているが、「禁中並公家法度」において、

> 第一御学問なり、学ならずんば則ち古道明らかならず、而して能く太平を致すもの未だ之有らざるなり。
貞観政要の明文なり。
寛平遺誡に経史を極めずと雖も群書治要を踊習すべしと去々。
和歌は光孝天皇より未だ絶へず、綺語たりと雖も、我国の習俗なり。
棄て置くべからずと去々。
禁秘抄に載せる所、御学習専要に候事。

要するに、天皇や公家は勉強に励み古道を明らかにせよと。
和歌は光孝天皇(なぜこの人なのか)から未だに衰えていない。
「綺語たりと雖も、我国の習俗なり」ずいぶんとひどい言い方だ。
「禁秘抄」は順徳天皇が書いた有職故実の解説書だそうだが、そこに書かれたことを一生懸命学べと。
かなり高飛車な文句に思えるな。

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