需要は幻想

投稿者: | 2014年9月26日

KDPをやり始めて、
作家から読者に直接作品が行き渡るようには、まだまだ世の中はなってない。
広報や営業がない状態では、1000人いるかも知れない潜在需要も、100人くらいしか気づいてくれないのだ、と思った。

しかしツイッターなど見ていると、
書き手から読み手へ直接書いたものが伝わる時代はもうとっくに来ているのかもしれない、と思い始めた。
需要というものが存在するという考え方自体が間違っている。
もちろん衣食住には本来の意味での需要がある。
生きていく上で必要だから。
だが小説などというものは、周りが読んでるから読むという、ある種空疎な需要があるだけであって、
読みたいから読むという人は、ものすごく少ないのだ。
だから、日本語の話者が1億人いたとして、その中に1000人私の読者がいるとして、
その1000人をえりだそうというのは、
砂から砂金を集めるようなものであって、
実現不可能なのである。
海水には膨大な金が溶け込んでいるが、その金を濃し取るのに要する費用が、その金そのものの価値を上回るようなものだ。

ツイッターは良く出来たメディアだ。
ここまで個人の発言が流通できるようになれば、
読みたい人のツイートだけを読み、
読みたくない人のツイートは目に触れないようにして、
ただ自分の読みたいものだけに囲まれて生きていける。
新聞やテレビのように、雑多な、不要な、或いは不愉快な情報まで抱き合わせで読む必要がない。
そう、読みたいものを自分の意志で選別できるという意味でツイッターはかなり理想に近い。
これに対して同じSNSでもfacebookは自分の読みたくないことまで押しつけられる要素がまだまだ多い。
友達でも読みたくない人のはフォロー解除すれば良いだけかもしれんが。

小説というものに関して言えば、
人は高校教育まででいろんなものを強制的に読まされる。
そういうコンテンツに条件付けされているので、そういうものを生涯読み続けるのに過ぎない。
これまでは教育以外にも新聞テレビなどのマスメディアも「強制コンテンツ」であった。
「強制コンテンツ」は強い。
圧倒的に強い。
ツイッターのような自由なコンテンツが従来の不自由なコンテンツの影響を消し去るにはまだ時間がかかるだろうし、
私の想像力が欠如しているせいかもしれないが、
原理的にはツイッターよりも優れたメディアは存在しないのではないかとすら思える。

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