文覚の歌

白洲正子「花にもの思う春」p.173

> 世の中の なりはつるこそ かなしけれ ひとのするのは わがするぞかし

文覚というのは無学文盲の無茶くちゃな修行僧だと思っていたら歌を詠んでいてしかもそれが「明月記」に載っていて、
定家が

> この歌心こもりて殊勝なり、誠に心無きにあらざる歌なり、不思議なり

などとほめていて、私もびっくりした。ほんとに不思議だ。
定家とたぶん同じ感想なのだと思う。

白洲正子は「形をなしていない」「意味もわからない」「下手」などと言っている。
確かにそうだが、文覚が歌を詠んだということじたいが驚きだし、
ふだん歌を詠まない文覚がいかにも詠みそうな歌である。

> 人のなせるは 我がなせるなり

とでもすれば少し歌らしくもなるが、それでは文覚らしさが出ない。

文覚は伊豆で頼朝と仲良しでよく天下のことを語り合ったようだから「ひとのする」とは頼朝のことだったかもしれないし、定家はその辺の事情をもすこし知っていたかもしれない。
というか文覚は頼朝の密使であった可能性もある。

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