投稿者: | 2016年2月13日

最近なんどかつづけてじんましんが出たり、胸焼けしたりして、
薬も少し変えたし、体調悪いんだか、体力落ちてるんだか、ともかく健康がいろいろ不安。

胸焼けの理由はたぶんある種のマーガリンかバタークリームだろうと思う。
謎のチョコレートや謎のトルコ料理などで当たるらしい。

じんましんは、たぶん外食でなんか変なもの食べたんだと思うが、
生ものかなと思うのだが、あちこちハシゴするので特定しにくい。
ていうかハシゴやめたほうが良いと思う。
ともかく体大事に。

身内はどちらかと言えば長生きな人が多いのだが、
私はそれほど生きられない気がする。
五年前心臓やられて以来何時死んでもおかしくない状態が続いているのだが、
それでも飲み歩きはやめてない。

調べれば調べるほどに謎は増える。
知らないでいれば知ってるような気でいるが、
少ししってしまうと謎が謎を呼んで増殖していく。
ヨハンナ・シュピリにしてもそうだ。
ドイツ語の文献に直接あたればほぼ完全に調べられるはずだ。
しかしそういう文献にあたるのがはげしくめんどくさい。
たぶんチューリヒ辺りに数年住んで図書館通いしてりゃ調べられるんだけど、
今更ドイツ文学の研究者にはなれない。
若い頃からずっとそうだったらともかく。
やらないよりはやったほうが良いことはいくらでもあって、
でもそれ全部やっていると寿命が足りないから、手をつけられないことはある。

最近なんとなくわかってきたが、ドイツ語の文献を直接日本語に訳す人はまあいない。
もちろんドイツ語がすごく得意な人ならできるのかもしれない。
しかし普通は、ドイツで人気が出て、それがアメリカで紹介されるなり訳されるなりして、
それから英語とドイツ語原文を見比べると、かなり安全に邦訳できるわけだ。
そこまでこないと普通日本には伝わってこない。
ドイツのニュースなんかもだいたいそうだわな。
なんとなくだが telegraph とか guardian みたいなイギリスのジャーナリズムが英語で紹介して、
さらにアメリカに行って、そこから日本に来てる感じがする。
もちろんドイツ語のニュースを直接読んでいる人はたくさんいるに違いないが、
英語で裏を取るとか、重要性をフィルタにかけるとかしてる感じがする。
つまり何が言いたいかと言えば、
僕等は、わざわざアメリカというメガネを通してドイツを見てるってこと。
つまりアメリカ以外何も見てない見えてないってことになるかもしれない。

ヨハンナ・シュピリはまずその作品のすべてが英訳されているわけではない。
書簡や伝記もまあ普通に訳されてない。
書簡全部読んでヨハンナの人間関係徹底的に洗い出せば、
小説に出てくる人物のモデルをかなりの精度で特定できるはずだ。
その作業をしたい気もするが、めんどうくさい。
それよりか、日本人として、きちんと和歌とか、定家とか、宣長とか、小林秀雄とかを調べたほうが良い気がする。
そういう文献は、最悪でも国会図書館に行けば入手できないものはないだろう。
まあ、崩し字で書かれてたりどこかの大学図書館にしかなかったりすると泣きそうになるが、
どうしても必要ならば調べて調べられないことはない。
しかしドイツ語だともうどうしようもない。
どうでも良いところで手間ばかりかかるということになる。
ウィキペディアは割と便利だが、あるところから先はやはり書いてない。

ヨハンナの伝記だが、まあ、適当に検索して引っかかるような紀要論文なんかだと、
数種類の日本語の文献に由来しているように思われる。
高橋健二という人はかなりきちんと仕事した人なのだが、
この人が書いたことを(間違いもそのままに)引用しているだけのものが多すぎる。
その他に若干、巻末の解説みたいな形でヨハンナの伝記を紹介したものがあるようだ。
全部読んでみたいが、これ以上ヨハンナに手間ひまかける必要があるのかという気もする。
1871から1872までに書かれた彼女の処女作品、
つまり今度『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』として出すやつを読めば、
だいたいヨハンナという人がどんな人であったか、
『ハイディ』はどういう意図で書かれたってことの輪郭はわかる。
今まで日本人に紹介されなかったことがずいぶん補完された、はずだ。
さらに緻密に分析して推測で埋めていた部分を確証と置き換えていく作業、
いろんな文献をあたって、
自分の予想が当たって(或いは外れて)確証に変わるのがおもしろくて僕等は研究をやっているわけだ。
でも、これ以上は必ずしも私がやらなくても良い気がする。
日本にはまだまだドイツ文学の研究者はたくさんいる。
しかしまだ研究されてないこと、日本に紹介されてないことが多すぎる。
紹介されているのはだいたいキリスト教かユダヤ教関係、つまり牧師さんか誰かの仕事だ。
彼らはおそろしくマイナーな仕事まで手をつけている。
ただ仕事のやり方や手の付け方にはかなり偏りがある。
アルントの『真のキリスト教』は読んでみたいし、
パウル・ゲルハルトの詩とか、JSバッハのカンタータとか、
みんな読んでみたいが、明らかに私の処理能力を超えている。
だれかが日本語訳しててくれればこんなに苦労しないのに。

ヨハンナ・シュピリの謎の一つ、
1871年から1872年まで「宗教的ジュヴナイル」を書いていた。
1878年頃から児童文学を書くようになる。
その空白の5、6年間、ヨハンナには何があったのか、何故児童文学を書こうと思ったのか。
この時期に「ハンブルクとヘルゴラント島」を舞台にした小説があったらしいが、
1878年に紛失したらしい。
それで出版社も変えたというのだが、その出典が良くわからない。
ただし、1878年には
Am Silser- und am Gardasee (ジルス湖とガルダ湖のほとりで)
Wie Wiseli’s Weg gefunden wird(ヴィーゼリの道はどうやって見つかるか)
といったかなり長編の児童文学を出版しているので、
おそらくだが、「ヘルゴラント」もまたそのようなものだっただろうと想像できる。
「ハイディ」もその路線で書かれたものだが、
「ジルス湖とガルダ湖」や「ヴィーゼリ」に比べるとあまり童話ぽくない。
初期の「宗教的ジュヴナイル」路線と童話路線の折衷みたいなよくわからない構成になっている。

まともかく「フローニ」が処女作なのはまず間違いない。

それで「若い頃」に出てくるクララ、「彼らの誰も忘れない」のザラ、
「故郷でそして異郷で」のマルタは、いずれもヨハンナ自身がモデルになっている。
クララと「私」の関係はヨハンナとマイヤー夫人の関係のようにも見える。
このマイヤー夫人とやりとりした書簡というのも読んでみなくてはならないのだが、
非常におっくうだ。
私はいまだにわからずにいる。ヨハンナは最終的に信仰を受け入れたのかどうか。
クララがヨハンナだとすれば、ヨハンナは結局一人の合理主義的知識人として信仰に疑いを持ち続けたのかもしれない。

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