とはずがたりで、主人公の後深草二条が伊勢の外宮にお詣りしたとき、
> 神だちといふ所に、一・二の禰宜より宮人ども祗候したる、すみぞめのたもとは憚りあることと聞けば、いづくにていかにと参るべきこととも知らねば、「二の御鳥居、三には所といふへんまでは苦しからじ」といふ。
などとある。
墨染めの袂というのはつまり出家した尼姿だということだ。
他の箇所では熱田神宮にも参っているが、そんなことは書いてない。写経までしている。
鎌倉時代でも、
伊勢神宮だけは神仏習合を免れていたということだ。
そして僧侶や尼は第二鳥居の先にある第三庭所というところまでは入って良いとされていたことがわかる。
伊勢神宮がなければ日本の神道と仏教は完全にごっちゃになっていたかもしれない。
伊勢神宮以外で仏教色がほとんどないのはあとはわずかに上賀茂神社、下鴨神社くらいか。
大和国に長谷寺というのがあるが、ここはもとは雄略天皇などの都であったはずで、
かつては神道の本場だったと思われるのだが、神宮などはなく、
ただ長谷寺があるばかりだ。
南紀の神道も完全に密教と融合してしまっている。
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