吉野城軍事

『太平記』に

> 天照太神御子孫、神武天王より九十五代の帝、後醍醐天皇第二の皇子一品兵部卿親王尊仁、逆臣の為に亡され、恨を泉下に報ぜん為に、只今自害する有様見置て、汝等が武運忽に尽て、腹をきらんずる時の手本にせよ。

という村上義光のセリフがあるが、後醍醐天皇が生存中に「後醍醐天皇」などという追号で呼ぶはずがない。
本来ならば、「今上天皇」、「主上」などだろうか。

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