特務内親王遼子完結編

もう文章はほぼ書き終えた。
あとはどのくらい文章に厚みをつけるか、挿絵を増やすかだが、
結局、どんなに頑張っても、小説なんてものは読んでもらえないんだってふうに近頃は思えてきた。
ヨハンナ・シュピリに関して言えば、彼女のハイジ以外の作品を読んでみたいという人は多く、それに対して翻訳する人が少なかったので多少売れたのに過ぎない。
普通の小説にしても、書く人が少なくて読む人が相対的に多ければ本は売れるはずだが、
書く人が多すぎるから売れない。
小説の需要自体、大して増えも減りもしないが、書きたい人が大勢いるから一人一人の作家のもうけは少なくなる。
アニメ・マンガ業界と同じ。

がんばってCGで挿絵を増やしてできればマンガにして出したかったが、
たぶん無駄な努力だと思うからこのくらいで出そうと思う。
特務内親王遼子1はPDFで無料で公開していたが、これも公開をやめる。
2はKDPで出していたが、これも出版停止する。
1から3まであわせたものを近日中にKDPで出版する。
我ながらうまい具合に完結させた、400字原稿用紙換算で200枚ほどで、良いできだと思うのだが、期待してもしかたない。
まあ、期待しないでしばらくお待ちください。

思えば私はこういう「プリンセス」ものを今までいくつも書いてきた。
「エウメネス」のアマストリナはそうだし、「エウドキア」はそのまんまだし、「将軍家の仲人」の喜世もそうだし、
「西行秘伝」の源懿子もそうだ。
だが根っこにあるのはディズニーのプリンセスものみたいなアメリカナイズされたステレオタイプに対する反発であり
(と同時にNHK大河ドラマ的ステレオタイプに対する反発でもある)、
そこからひねって和風の皇女にしてみたり、
ペルシャ王女にしてみたり、東ローマの女帝にしたりしている。
少しだけ主流から外す。
しかし主流から外れているというのは今のテレビドラマ的ハリウッド的価値観から外れているだけのことで、
いずれもそれぞれ主流たり得る、つまり小説となり得る価値がある、そういうものを「発掘」している気持ちで書いている。
「エウメネス」は外したつもりだったのに同じ主人公のマンガがあって少し売れてしまった。
なんか不本意だ。

竹取物語や源氏物語に限らずお姫様は昔からたくさん話に出てくる。
しかし「内親王」と呼ばれることはない。「内親王」という呼び名は奈良時代にはすでにあったのにも関わらず、だ。
そういうところもこだわりなのだが、一般読者には通じないかもしれない。

あちこちきどって加筆してみた。出だしはこんなふうになるはずだ。

> 何の恨みがあるかはしらないが、こんな風向きの日にはきっと馬賊が出る。
悪天候は彼らの宴の合図だ。
猛禽が山から舞い降りてきて、地上の獲物を掠め取っていくように、山に棲む馬賊どもが、農家の子羊を略奪し、酒盛りの肴にしてしまうのだ。
砂漠に隣り合わせの痩せた土地で、そのうえ匪賊まで出る。誰の記憶にも残ってない遠い昔、ここに住んでいた原始人が、あるいはもっと太古に、この平原を闊歩していた獣たちが犯したとんでもない罪のために、この土地は罰せられているのに違いない。こんな日に哨戒に出る稗島は、そんなふうに思わずにはいられない。
砂埃にまみれた霜が強風で舞い上がり、厚くよろった防寒具の上から肌にたたきつけてくる。

あるいは

> こんなにも王族にふさわしくない私がか。こんなにいいかげんでおっちょこちょいで自分勝手で移り気で。男にだらしなくて、男にすぐ騙される私が、よりによって、民の君にならねばならないのか。

というような台詞もある。

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