日の神論争2

久しぶりに小林秀雄の本居宣長を読んでみたのだが、
なるほど、本居宣長と上田秋成の論争のことは、第40回あたりにちゃんと書いてある。
しかし、小林秀雄は「日の神論争」などという言葉は一切使ってない。

「日の神論争」という言葉には「治天の君」と同じような気持ちの悪さを感じる。
たぶんこれらの用語を使い始めた仕掛け人は同じ世界にいる。
私はそこになにか戦後左翼の悪意のようなものを感じるのだ。
私は自分の嗅覚には自信がある。
日本戦後民主主義の欺瞞には敏感だと自負する。

本居宣長と上田秋成の論争はつまりは、
宣長は天照大神は人格神ではなくて太陽そのものであると言いたいわけである。
秋成は、古代の神話は不可知であるから、太陽そのものであるとか実はなにかの人格神を太陽になぞらえたとか、
そんなことには言及しないのが良い、と言っている。
つまりは、天照大神が人格神か太陽そのものかという論争。
秋成には宣長への愛を感じる。
宣長はたぶん秋成を好きではなかっただろう。
秋成の宣長への片思い。
私にはほほえましく思える。

しかし、それに「日の神論争」という名前を与えた誰かがいる。
大きなお世話である。
宣長も秋成も、愛するものたちが交わした恋文のような、
二人の論争にそんなへんてこな名前を付けられるのは嫌だろうと思う。
不愉快だろうと思う。
秋成にはたしかに「日神」という文字は見える。
しかしそれを「日の神論争」という言い方をするのに、少なくとも私は不快を感じる。

私は宣長の原理主義は間違っていると思うし、秋成の方がまともなことを言っていると思うが、
しかし、
宣長の弁護もしたいと思う。
つまり、当時の人たちは、新井白石もそうだが、何かといえば、神話を自分の考え方で解釈しようとする。
それは戦後日本においてもそうだし、平成26年の今日でもそうだ。
そのときどきの時代の常識で神話を解釈しようとすれば必ず間違う。
秋成は、だから、神話は不可知であると言う。いろいろと判断を加えてはならないと。
宣長は、神話は神話としてそのまま記紀に書いてある通りに解釈すべきだという。
私にはその二つは似ていてどちらも好ましく感じる。
宣長は、神話を勝手に解釈するくらいならそのまま書いてある通りに信じる方がましだと言っているだけに思える。

戦後日本が戦前の日本の国学を否定して、
源平合戦を治承・寿永の乱とか言い直したりする。
治承・寿永の乱、くらいまではまだ許せる。
そう言いたければ言えばいい。
しかし、治天の君は私にはただ不愉快なだけだし、
おそらく仕掛け人は同じところにいると思うと、
日の神論争という言い方にも同じ不快感を感じざるを得ない。
宣長が反発したのと同じことを今の学者もやっているのだ。
昭和や平成の解釈で神話をいじくるくらいなら、宣長のようにそのまま神話を信じる方がましだと言いたい。
ずっとましだ。
或いは秋成のスタンスも私は好きだ。
或いは、小林秀雄のように批評とはアートであり直感だから、好きに言いたいように言えばよい、
というアプローチも好きだ。
この三つは私には好ましいし似通ってみえる。
一番遠いのは、分かったような用語を後付けして、
分かったようなカテゴライズをして、
分かったような解釈をすることだ。
そんな解釈は100年もたない。
判断しないこと、そのまま信じること、アートとして鑑賞すること、これらは100年でも1000年でも保つのだ。

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