朝の騒音

年を取ってSNSというものがメンタルをガリガリ削ってくるので見るのが嫌になった。最近のSNSってのが、ごく普通の人がただ単に書きたいことを書いてるのでなくて、なんかなまじプロの書き手がいて、より多くの人に読まれようと巧んで書かれるようになり、そういう人のツイートなり動画なりがよけいに目立つようになってきて、それって昔のテレビや新聞と同じじゃん、マスコミと根っこはまったく同じじゃん、自分が見るのも嫌だったのと同じことを一般人がやるようになった、そういうメディアができただけじゃんってことになり、見るのが苦痛になってきた。

なんかものが書きたきゃ、心静かにブログでも書いているほうがよいと思えるようになってきた。

朝は耳栓をしていることが多い。

3:00頃新聞配達のバイクが来る。うるさい。早朝ですらない。深夜だ。もしバイクで新聞配達するんなら昼間にやればよい。深夜に配達するんなら、音のしない何かでやってもらいたいがそれはそれで暗闇の中事故を起こしてしまうから危険なのだろう。そもそも新聞自体が無くなってしまえば良いのに。

犬の鳴き声。つい最近、いや1年くらい前か。近所のどこかが犬を飼い始めた。早朝犬の散歩をする。でかける時と帰ってくるときに吠える。うるさい。やかましいというのではなく、カンに障る。小型犬でたいして大きな声ではない。そんなのカラスの鳴き声のほうがうるさいだろうと思うかもしれないが、この小型犬というものが完全に人間のエゴで作られた生き物であり、犬は人間に媚びるしか生きていくすべがない。人間のほうはただ可愛いというだけの理由で衝動的に飼っている。そういう人間と犬の関係性が嫌でたまらないからカンに触るのだ。イノシシを狩る時に連れて行く犬とか、鼠を狩る猫ならまだわかる。単なる愛玩動物。存在自体が嫌いだ。

これは何度も書いたことだが、若い頃は犬が多少吠えていても気にもとめなかった。賃貸で二階に住んでいて一階で犬を飼っていることもあった。ところがずっと後になり隣の家で1:00頃必ず犬が鳴く。新聞配達が来ると必ず1時間くらいずっと鳴き続ける。それがもううるさくて仕方なかった。それ以来犬が大嫌いになったし、新聞配達も嫌いになった。

後、雨戸の開け閉め。あんなもの必要無くないか。だいたい隣の家は4箇所雨戸を開ける。だから1回ガラガラっといったらあと3回同じ音を聞かされる。それが嫌だ。

とにかく年をとるのはやっかいだ。こんなに生きるのがめんどくさくなるとは。

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