推敲

投稿者: | 2023年12月5日

推敲すればするほど文章は良くなっていく。切りが無い。推敲することによってさらに文章に対する感覚が研ぎ澄まされていき、さらに推敲してしまう。

以前から漠然と考えていたことなんだが、31文字しかない和歌でさえもほとんど無限の表現が可能なのだ。人間が一生かかってもすべての表現を試すことはできない。限られた語彙、限られた文法、限られた文字数でも。いわんや、10万字の小説、20万字の評論ならばなおさら無限の無限倍くらいの可能性がある。

どれほど完璧に書いたと思った文章でも後からみれば必ず直したくなる箇所はある。だから結局中途半端で投げ出して死ぬしかない。どこまでやらなきゃならないのか。というより、どこまでやれば自分で納得できるのか。納得などできないのか。ある程度まで書いて、死んだ後に大目に見てもらうしかないのか。

ある程度以上いじるといじればいじるほど悪くなる限界というものはあるかもしれない。それは私自身の限界に達したということになるのだろう。

10万字くらいまでの小説を書いたとして、そのあとその小説を推敲したり加筆したりすると、文章としてはまともになるかもしれないが、だんだん長くなってきて、切れが悪くなるというか、読みにくくなるというか、さっと読み切れなくなる。なんか気に入らないなと思っていても20万字もあるといじれどいじれど全然直ってくれない。だんだん自分でもわからなくなってくる。50万字くらいの長編だともう何をどうしていいのかわからなくなるし、わかったとしても直している時間がない。とても困る。

近頃は何もしないのが一番良い、何かすれば失敗する可能性が増えるとも思う。いろんなことを考えると結局なすにまかせて定年まで同じところで働き、そのまま無職になって、死ぬまでぼーっとしているのが一番良いように思えてくる。近頃は千葉まで遊びにいったり、浅草や赤羽にでかけたりしているが、知らないところへ行って知らない酒場を巡っていても結局そのうち飽きるわけで切りが無い。阿佐ヶ谷や高円寺あたりを開拓しようともしたがすぐに飽きた。結局近場の新中野あたりをたまに飲み歩くので十分ではないかとも思う。

昔は10万字の小説書ける俺すげーとか思ってたが書いてみると大したことはなく、昔書いたものをみても、ああ幼稚だなと思うだけだ。手直ししてなんとかしようと思うが、どうにもならず絶望してしまう。

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