若い頃は昼夜逆転と言えば夜更かしをしすぎて昼間寝ているようなことであった。私が京都駿台予備校上賀茂寮に住んでいたときはまさにそれで、朝5時までゲーセンで遊び、6時まで喫茶店でだらだらして、寮に戻ってまかない飯も食わずに夜まで寝て、夜が更けたらまた烏丸鞍馬口のゲーセンまで遊びに行く、などという無茶なことをしていた。
今はまったく別の意味で昼夜逆転している。テレビ業界で夕方はゴールデンタイムというのかもしれないが、私にはまったく無価値な時間帯であって、さっさと酒を飲んで寝てしまいたい。朝は3時くらいに起きて風呂に入り5時の始発で移動して、夕方はできるだけはやく帰宅して寝る、というのが肉体的にも精神的にも一番楽な生き方なので今はそうしている。とにかく人間社会というものが嫌で嫌で仕方ない。年を取ったから早起きになるというのは実はそういうものであったかといまさら思い至った。
夏目漱石はいきなり長編小説を書いたと以前書いた。それで嘘ではないのだが、短編も書いてないわけではない。たとえば「倫敦塔」。しかしこれを短編小説といってよいのかどうか。小説というよりエッセイのようなものではなかろうか。
『猫』を読んでいたら、
せんだっても私の友人で送籍
と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧
として取り留
めがつかないので、当人に逢って篤
と主意のあるところを糺
して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡
に送籍君を打ち留めた。
というくだりがあって、送籍とは漱石、つまり夏目漱石本人のことで、「一夜」という小説も青空文庫にあって読むことができる。
この「一夜」だが、誰も話題にもしないので私も今の今まで読んだこともなく、その存在も知らなかった。朦朧としてとりとめの無い話。まさにそうで、これに何か意味があって解読してみようと思った人もほとんどいないようだ。
普通小説家になろうという人はまず短編を書いてみてだんだん長くしていくものだ、と以前に書いた。その通りだと思う。夏目漱石はまず「猫」という長編小説を書いたように言われているが実はこの「一夜」が処女作なのではないかとまずは疑ってみた。
しかしたぶん違うだろう。では「猫」のあとに「一夜」を書いたのか。そうかもしれない。しかし思うに、漱石はたぶん誰か(子規であった可能性が高いがそうではないかもしれない)に、小説を書いたらホトトギス辺りに掲載しても良いよなどということを言われたに違いない。それで小説なんて書いたことないんだからどう書けば良いかわからない。適当に何本か、いろんな種類のものを書いてみた。漫談みたいなもの、留学の体験談みたいなもの、朦朧としたもの、などなど。それらが「猫」の第一話と「倫敦塔」、「幻影の盾」、「琴のそら音」「一夜」などの短編群だった。というあたりが当たりではないか。
それでそれらを読み比べてみて、とりあえず「猫」は一般受けしそうだからホトトギスに掲載してみたら非常に受けた。「猫」は連載が決まり、漱石は突然流行作家の道を歩き始めた。
朦朧としているあたりが詩人の特色である、などと書いているが、実際漱石は詩人、つまり漢詩人になりたかったのに違いなく、小説家なんぞになりたいわけではなかった。この「一夜」にも、「坑夫」にも、「草枕」にも、小説ではないという言い訳が書いてある。小説の書き方を知っていたわけでもなかった。ただ「猫」を書いたら偶然売れたのであとから小説というものはどう書いたら良いか試行錯誤したというのが当たっているのに違いない。
今と同じく当時も小説家になりたい人はたくさんいた。樋口一葉も生活の足しにするために半井なんとかという新聞作家の弟子になって小説の書き方を学んだ。漱石はそれすらしていない。いきなり小説を書き始めた。今の人は小説家の型というものがあってそれを学ばなくては小説家にはなれないと思っている。ほとんどの人はそう思っているだろうが、夏目漱石はそうではなかった。小説のようなものを書いてみたら売れたから小説家になったのだ。出版社の編集者はああ書けこう書けという。それはただライターの都合だから、ほんとうに小説家になれるか、書いた物が小説になるか、書きたいものが書けるかということとはあんまり関係ないと思う。
「一夜」「二百十日」「草枕」はよく似ている。これらは実は三つとも同じモチーフから出てきたものではなかろうか、「一夜」をリライトしたものが「二百十日」「草枕」となったのではないか、という仮説を立ててみる。
となると「一夜」に出てくる二人の男と一人の女は、夏目漱石、山川信次郎、そして前田卓だったのではなかろうか。漱石にとってこの一夜のことは一生の思い出となるような興味深いものだったのではないか。しかし漱石は当時すでに結婚していたし、体験をそのまま書いては小説にもならないし、プライバシーもへったくれもない。しかし小説を書いた経験もほとんどない漱石としてはどう脚色すれば小説になるかもわからない(漱石は絵の描き方も知らずに水彩画を描き始めたり、バイオリンをいきなり弾き始める人だった)。そんなテクニックはまだ身につけていないのだ。だから詩人か画家の書いた朦朧とした小説、ということにした。漱石としてはもう少しまともな作品に書き直そうと思って、「二百十日」「草枕」ができたんだけど、この二つもなにやら怪しげな、小説らしからぬ小説になってしまった。というあたりが真相なのではなかろうか。
「一夜」にも漱石の詩が出てくるのだがこれは「草枕」にも出てくる。
春日静座
青春二三月 愁随芳草長
閑花落空庭 素琴横虚空
蟰蛸挂不動 篆烟繞竹梁
独坐無隻語 方寸認微光
人間徒多事 此境孰可忘
会得一日静 正知百年忙
遐懐寄何処 緬邈白雲郷
よほど好きな詩なのだろう。白雲という語は漱石や徂徠の詩にしばしば出る。荒井健・田口一郎 訳注『荻生徂徠全詩』によれば白雲は清浄な隠棲の象徴であるというが、漱石の場合それは具体的には熊本県天水町のことである、ということになる。遐懐、緬邈とは遠い熊本時代の思い出ということになる。独坐隻語無く、方寸微光を認むとあるが、必ずしもこれを信じる理由もない。彼の傍らには二人の友がいたはずだ。
人生は徒らに忙しい、山の中でたまたま一日静かに過ごすことができたがまた人の世界へ戻って行かなくてはならぬ。三十才頃の漱石の述懐だ。
蟰蛸挂りて動かずとは「一夜」に出てくる蜘蛛のことであろう。
「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を攫んで香炉の裏になげ込む。「蟰蛸不揺、篆煙遶竹梁」と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。
「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画を活かす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気もなしに開く。
私の本業は一応CGということになっている。世間一般が言うCGとは少し違うかもしれないが、CGを仕事にして生きている人の一人であるには違いない。私が若い頃CGはまだ未発達で、個人レベルでも新しい仕事が出来もしたのだが、今は何もかも発達してしまって、私一人いようがいまいが、CG業界には何の影響もない。私がやるよりもうまくできる人がいくらでもいるのに老い先短い私がわざわざやる必然性はまったくない。私は私にしかできない仕事がしたい。だからはやくCGの仕事なんてやめてしまって執筆活動に専念したいのだが(笑)、あいにく売文では食っていけないから仕方なく昔覚えた仕事を続けている。
私もまた小説でも書いて生活の足しにしようとかつて考えた一人であったから、漱石の気持ちを詮索したりしている。たぶんだいたい当たっているだろうと思う。こういう考察をした人はあまりいない、というか、全然いないのではないか。ちょっと調べれば「一夜」と「草枕」がこれほどまで類似していることはすぐに知れる。
こないだ書いたけどいつ出版されるかわからない本、というものがあって、もうこれ以上書くこともないのだが、書いたことが間違ってちゃいけないから出版されるまでにいろいろ調べているところだ。今の所大して訂正することはないと思っている。
八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。
なぜ三人が落ち合った? それは知らぬ。三人はいかなる身分と素性と性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。
髭のある人というのは明らかに漱石だ。
小説家が初期作品をリライトして長編に仕立て直す、ということはよくあることのように思われる。ヨハンナ・シュピリも「フローニの墓に一言」をリライトして「ハイディ」を書いたのだと私は思っている。