今ははや心にかかる雲もなし

花山信勝『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』を読んだ。私がわざわざこの本を図書館から借りてきて読んだのは、東条英機の辞世の歌

今ははや 心にかかる 雲もなし 心豊かに 西へぞ急ぐ

を調べるためであった。この歌は実はすでに『虚構の歌人 藤原定家』にも載せていたのだが、その頃から、この歌が和歌についてそれなりにある程度学んだ人でなくては詠めない歌であることに気づいていた。戦時中、日本人はみんな和歌を詠んでいた。本土決戦が迫ってきて、敗戦の恐怖におびえ、人々は日本古来の和歌を心のよりどころとするようになって、私の祖父でさえも和歌を一日一首詠んだ日記を書いていたのである。

この東条英機の歌は、『虚構の歌人』を書いていた時には気づいていなかったのだが、実は足利尊氏が詠んだ

今ははや 心にかかる 雲もなし 月を都の 空と思へば

の本歌取り、というよりも露骨な焼き直しなのであった。しかしそのことについて私は東条英機を咎めるつもりは毛頭無い。なにより歌をまったく詠めない現代人よりはずっと優れている。東条英機は素人歌人に毛の生えた程度の人だっただろう。同じ時に詠んだ辞世「さらばなり 有為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 行くぞうれしき」「明日よりは 誰にはばかる こともなく 弥陀のみもとで のびのびと寝む」など見ると、大田南畝の狂歌に近い歌を詠む人だったことがわかる。ならばパロディに近い本歌取りも芸のうちだったわけである。

尊氏の本歌は中先代の乱の最中に関東で詠んだものと思われる。決して戦の歌には見えない。武士の歌にも見えない。しかしながらこれほどよく出来た武士の歌がまたとあろうかと思えるほどよくできた歌である。これほど武士らしい歌はない、とも思えてくる。

もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に あられたばしる 那須の篠原

なるほどこの歌は実によく出来ている(正岡子規『歌詠みに与ふる書』「もののふの矢なみつくろふ」の歌のごとき鷲を吹き飛ばすほどの荒々しき趣向ならねど、調子の強きことは並ぶものなくこの歌を誦すれば霰の音を聞くがごとき心地致候、等々)。この源実朝の歌(おそらくは贋作)は武士の歌の絶唱とされている。しかしいかにもわざとらしくしつらえてある。実朝がこんな歌を詠むはずがない、と私には思える。それにくらべて尊氏の歌はどれも素晴らしい。なぜみんな実朝の歌を褒めて、尊氏の歌の素晴らしさに気づかないのだろう。ほんとに不思議だ。

夜空には一点の雲もなく月が明るく輝いている。都で眺める月も、今こうして戦場で眺めている月も同じ月であるから、どこにいようと同じである。尊氏はそれほど京都に執着も愛着もなかっただろう。足利氏の頭領であるからにはどちらかと言えば北関東の足利よりも京都に住むことが多かったのだろうけれども。

アメリカでは従軍聖職者のことをチャプレンという。死刑執行に立ち会う聖職者もチャプレンと言う。死刑囚がキリスト教徒の場合は神父か牧師、ユダヤ教徒の場合はラビ、イスラム教徒の場合にはイマーム、仏教徒の場合には僧侶、などと宗教や宗派によって変わるというのが、宗教国家アメリカの古くからの習わしなのだという。いわゆる教誨師というのもまたチャプレンだが、東京裁判における死刑囚の場合には僧侶が呼ばれた。それが著者の花山信勝であった。彼は死刑囚がみな死ぬ前に仏教に帰依したと書いているのだが、それはある程度割り引いて考える必要があると思う。

死とは単に生の終わりに過ぎない。死後の救いとか魂の不滅など虚構だ。なるほど宗教には美しい側面もあると思うが、死んだ後にも天国があるだの地獄があるだの生まれ変わるだの奇跡があるだの、根も葉もない作り話をでっち上げて、人の精神的な弱さにつけこんでたぶらかすのもいい加減にしろと言いたい。

私ならば死ぬ間際に宗教に頼りたいとは思わない。できれば無神論者として死にたいと思う。死の恐怖を宗教なぞで紛らわしたくない。死ぬと決まってから悔い改めたくはない。教誨師に懺悔して死ぬなんてまっぴらごめんだが、それはまあおいといて、東条英機もまた仏教くさい辞世をいくつか詠んでいる。この「西へぞ急ぐ」も明らかに死後浄土で救われることを願ったものだ。

「これ(「今ははや」の歌)はこの前のものです」と東条英機は言っている。「この前」がいつかはわからないが、死刑判決の言い渡しは昭和23年11月12日には済んでいるのだが、12月6日にアメリカ大審院が訴願を受理しており、死刑執行は自動的に停止された。ところが20日になって訴願を却下し、これによって最終的に死刑執行が行われることになり、23日に執行された。

いずれにせよ、東条英機は12月22日16:00より前に「今ははや」を詠んでおり、他の(思いつきで詠んだ)辞世の歌よりも前に詠んでいたにもかかわらず一番最後にこの歌を取り上げたということは、この歌が自分の辞世の歌であるということを意識して、じっくり考えて用意したものだと思われるのである。いや、この歌がそんな簡単に、即興で詠めるはずがないのである。

戦前教育では南朝が正統で北朝の尊氏は逆賊とされていた。わざわざその尊氏の歌を引いて自分の辞世の歌としたことにはそれなりに深い意図があったのだろう。尊氏の立場と、謀反人、逆賊、戦犯として死んでいく自分の立場に通じるものがある。死を宣告され、歴史の皮肉、真相というもの気付いていたに違いない。

ともかくも、尊氏の本歌は仏教臭さなどない、きりっとした、武士らしい良い歌なのだが、東条英機の歌はそれを仏教くさい、抹香臭い歌に作り替えてしまった。そのことに私は不満なのであるが、しかしそれでも、これはよく出来た歌だと私は思う。和歌としてはともかく狂歌としてみれば相当優れた歌だ。これほどの歌を詠める人はそうたやすくは見いだせまい。

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