だめんず・うぉ~か~

auブックパスを解約しようかどうか悩む。
結局私は「日本外史」とか「新編国歌大観」とか「群書類従」とか「本居宣長全集」しか読まない人なのだ。
それに読み飽きたら「源氏物語」とか江戸時代の戯作とか読み始めるだろう。
その後は明治初期の尾崎紅葉とか二葉亭四迷を読み始めると思う。
今出版されているような本はファミレスで出される食事のようなもので、
完全にコストや味が計算されたものであり、うまいとかまずいとか以前のものだ。
そりゃくいものだから腹が減ってればうまいだろうが、
読書というのはもう少し高級だ、少なくとも自分にとっては。

私の外食というのはたいてい個人経営の立ち飲み屋か居酒屋だが
(さもなくば富士そばか吉野家かなか卯)、
それもまた計算されてない味というものがあるからだろう。
キンドル作家の書くものにも似たようなものがあると思う。
編集されず流通にも載ってないものの中から自分の好みの小説を探すのは楽しい。
(素人バンドやAKBなんかが流行るのも同じ理由だろうか)
まあそれと対極にあるのがテレビや雑誌などのマスメディア、
auブックパスもしょせんはその一種だ。
ただauブックパスにもたまに異様に素人くさい本が混じっていて、
それは最初から電子書籍として作られていて、
例えば「鎌倉何千寺巡り」とかそんな感じのもの。
うーん。
出版関係者がどさくさに紛れて書いているのかなあ。
その手のであまり良いのはない。

マンガも手塚治虫とか土山しげるとかラズウェル細木とかの読み放題を読み尽くすとあまり読むものがない。
だめんずウォーカーは面白かったが、だんだんマンネリ化しているので最初の一巻だけ見ればよかった。
雑誌は最初すごいなと思ったがすぐに飽きた。
ああいうものが図書館のロビーにあってもわざわざ読まないのと同じだわな。
携帯端末だからヒマなとき読むかと思ったが読まなかった。
そもそも三年くらいまえから通勤途中にマンガ雑誌読む習慣もやめて、
それと同時に自分で執筆するようになったから、
読書習慣そのものが、なんか潮目が変わったのだと思う。

だめんずなど読んでると思うが、これは私が書いたフローニとほとんど同じだ。
おおかみこどもの雨と雪とも同じだ。
細田守がなんであんな嫌がらせみたいなアニメ作ったかと不思議でならなかったが、
フローニを書いてだめんず読んだ後だと納得できる気がする。
思えば私が居酒屋巡りしたりたまにスナックや熟女パブなどに行ったときに出会う女性にも、
そういう人はたくさんいるのである。
興味ぶかいのでよく観察する。
そして生命保険の話などして盛り上がる。
キャバクラでは若すぎて全然話がつまらん。
ヨーロピアンパブやフィリピンパブはどうかと言われるとこれまたよくわからん。微妙だ。
別に取材に行くわけではないが、なんとなく最近は取材している気分になる。

母子家庭の母のほとんどはだめんずであろう。フローニであろう。
本人に落ち度なく母子家庭や家庭内暴力で困っている人もいるだろうが、
かなりの割合で、女性自身がダメな男を愛してしまい、子供を産んでしまうからだろうなと思う。
心理的・本能的に女性はそういう男を好きになってしまう性質を持っているのではなかろうか。
我が子を愛するようにできの悪い夫を愛してしまうとか。
よくわからない。
本能的に固い男を選ぶ女もいるようだが。
生物学的にいろんな戦略の女がいるほうがヒトという種全体としてうまくいくということだろうか。

フローニは未だに一冊も売れてない(無料配布も大したことなかった)。
読むに値する本だと思うのだが(笑)。
ただまあだめんずが単行本になり軌道に乗るまでにもずいぶん時間がかかったようだから、
いきなりほいほい売れるはずもない。
私が今仕事をして給料をもらえているのも就職して組織の一員となっているからだ。
私が組織に属さずいきなりネットで仕事を始めても客がつくはずもない。
いきなり小説書いてネットで売って売れるはずもないのだ。
ガチンコで仕事しているわけじゃあない。業界の中で泳いでるだけだ。

まあしかしヨハンナ・シュピリのああいうえぐい話をも少し翻訳して合冊にして再版したい気持ちはある。
あれはあれで書いてて面白い。

「酒場放浪記」もそうだが、ただ居酒屋巡りしてブログにかいてそれが秀逸ならば売れるのではない。
ちゃんとプロデュースする人がいてディレクターがいて、
マスメディアとして作り込み売り込んでいるからああいうものがある。
画面には吉田類一人しかスタッフは出てこないが。
そういう舞台裏を忘れさせるのが良いコンテンツなわけだが。

一番売れているのはエウメネス。
内容も自負してはいるが、売れている理由は単に古代ギリシャものというのと、
エウメネスを主人公にしたマンガがあるから。
割とギリシャものは反応が手堅い、ってことをエウドキア出して思った。
売ろうと思えばあんなにペルシャとかインドの話をうだうだ書かなかったと思う。
ギリシャファンの神経逆なでしてるわな。
ギリシャを描きつつ、
ギリシャやローマよりペルシャやインドの方が偉大だって作者は言いたいわけだから。
いや、私はギリシャやローマも好きですよ、好きじゃなきゃ書かないわけで。
しかし塩野七生とかそこから一歩も踏み出てない。
あきれて物も言えないくらい。
イタリアの中に埋まってそこから外の世界を見ている感じ。
イタリアからイェルサレムや神聖ローマ帝国を眺めている感じ。
そういうのを居心地良く感じる人は多いんだろうな、日本人にはなぜか。
ギリシャの良さの多くはペルシャやエジプトやシリアやメソポタミアに由来する、
ヘレニズム文化とアジアは切り離せないと言いたいわけで。
現代のギリシャとトルコが切り離せないように。
西洋人やその影響を受けた日本人はそこが不自然だよね。
安彦良和「クルドの星」とかおもろいよね、「アリオン」は駄作だったが。

あとたぶん売るためには百人一首の講評などを書くべきだろう。
その準備はしている。
ちゃんと魚のいるところに餌をまかなきゃダメだ。
魚のいないところでいくら釣り糸垂れてても無駄だ。
商売としてもそうだが読者がいないんじゃ仕方ない。

最後にどうでも良いことを書くが、
最近のKDP界隈で関係者どうしが絡んだ話をネタに小説に書く傾向というのはいかがなものかと思う。
まあ私はそんな若くないし。
二十代くらいにネットに投稿したり(fjというネットニュースね)、
ブログ書いたり(当時はウェブ日記といっていた)してたころはそういうインタラクションはあった。
だから今の人もやりたいのだろうと思い、遠くからながめている。
それで世界が広がるならやる価値はあるかもしれないが、
私小説とか暴露小説に毛の生えた程度で、
狭い世界で遊んでるだけならほかの努力をした方がいいわな。
fjもウェブ日記も結局閉じたコミュニティだった。
今も残っている2chとかアルファブロガーとかはも少し広い世界で創発的に生まれたものだと思う。

私はもっと本格的な小説が読みたい。
ラノベとかBLじみたものではなく。
しかし中年親父の蘊蓄歴史小説みたいなジャンルで書く人がいても良さそうなもんだが、
意外といないもんだなあ。
いたら多少うざくても読んでやってもいいのに。

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