研究

私も長らく研究者というものをやってきた。

研究といっても、それは論文を何本書くかということであり、論文を1本書くと言うことはつまり、従来研究をサーベイして、その差分を、0.1ミリくらい付け足すということであった。私は、研究というものはもっと面白いものかと思っていた。世の中をガラッと変えてしまうものかと思っていた。しかし私に課せられたタスクというものは、ただ単に、昔の人はこういうことを思いついたが、私は新たにこういうことを思いついた、それは、今まで誰も思いついていないから、新しいことであるに違いない。そう報告するだけであった。

私は研究者として定年まで働くことはできたかもしれないが、30才くらいで、すでに研究というものに飽きてしまっていた。その上、学生ではなくなり、年をとり職位に就くことによって人と共同研究をやったり、助成金や科研費などを獲得しなくてはならなくなった。それは私が本来やりたくもなんともなかった、民間企業がやっているところの、開発という仕事と、本質的に同じものであった。

民間で働きたくないから一生懸命努力したのに結局やってることは民間と同じ。なら最初から民間で働けばよかったじゃん。そうとしか思えなかった。

バブルがはじけ、民間からアカデミックの世界へ、人材がどんどん逆流してきた。外資系の研究所より大学のほうが安定して待遇も良い時代がきた。はっきりいってばかばかしかった。昔は赤貧洗うが如き世界に好き好んで世捨て人をきどっていたものだが、今や人気職種みたいになった。みんなが羨む世界になった。実力の伴わないこんな世界に安住するのが嫌になった。

私はそうした仕事をたぶん我慢して定年までやることもできたのかもしれないが、何か新しい可能性というものを試してみたくなり、転職を二度ほどした。結果わかったことは、どこにいようと、私がやりたいようなことは出来ない、私は、自分と家族を養うために、つまり、給料を稼ぐために働かなくてはならない、自分の専門性とは関係のないことをやって世の中の需要に応えねばならないということだった。

正直もうこんな仕事には飽きた。

私は面白おかしく、無責任に適当にいいかげんに、自分の好きなように勝手に生きて死ぬために、研究者になったはずだったのに、気付いてみればいろんな役職に縛られて、まるで人のため社会のために生きているようなざまとなった。

あと数年働いて定年がくる。それまで我慢するしかない。今の私にできることはただそれだけだ。

私は今も和歌を詠む。それはつまり、なまじ研究をして0.1mm先の仕事をして今の人たちに理解して評価してもらうよりも、30cmくらい先の仕事をしたいと思うからだ。0.1mmとか0.2mm先の仕事をして評価されるかされないかという世の中で30cmも先の仕事をしても誰にもわからない。千年後か1万年後にならなくては私の仕事は理解されるまい。

1km先の仕事をしようなんて、考えているわけじゃない。30cm程度先の仕事だから、理解出来る人が今の世の中にもいるかもしれないが、そういう人を探しているヒマは私にはないから、ただもう、30cmとか31.5cm先の仕事をして、あとは死ぬしかないと思っている。

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