世の中には哲学というものがある。その哲学のおそらく中心的な部分に幸福論というものがある。人はどうすれば幸福になれるかということを延々と語っている。語りたがっている。自己啓発本なんかもだいたいはこれの一種だ。宗教も結局は幸福論の一種だ。
幸福かどうかなんてことは単に脳の中の特定の化学物質の過多の問題であって論じてもしかたない。幸福を感じていてもはたからみれば不幸な人はいくらでもいる。不幸を感じていても客観的にみれば十分幸せな人もいる。
そもそも幸か不幸かなんてことは死んでしまえばそれでおわりだ。今現在感じている苦痛をどうするか。それは幸福論以外の何かが解決してくれることだろう。
なんでまた世の中ではこんなに哲学なんてものがはやっているのだろう。これまでどれほど無駄な議論が費やされてきたか。空理空論が積み重ねられてきたか。人類の大いなる浪費というべきではないか。
それはやはり、世の中で競馬やパチンコが流行るようなものではないか。人間とはそうした習性をもつ生き物なのだからどうしようもない、度しがたいものではないか。
どうもみんなおかしなことをいっているだけように思えてしかたない。
「徒然草」などもどうでも良いことをただくどくどと熱く語っているだけのように思える。幸福になろうという一切の希望を捨ててしまえば済むだけのことではないか。
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