「侏儒の言葉」の序
「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。
実に言い訳がましい序である。
宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火に過ぎない。況や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。
真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり
しかし星も我我のように流転を閲すると云うことは――兎に角退屈でないことはあるまい。
おやこれはどうも芥川自身の歌ではなくて誰か他の人の歌らしいと調べてみるとすぐにわかった。正岡子規である。
まず、「まさごなす」が変だ。万葉集に一首例があるようだ。
相模路の よろぎの浜の 真砂なす 子らは愛しく 思はるるかも
(相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須 兒良波可奈之久 於毛波流留可毛)
浜の真砂というときは数え切れないほどに多いという喩えに使われる。しかし万葉集の「真砂なす」は明らかにそういう意味に使ったのではない。
相模路のよろぎの浜とは今のこゆるぎのことで、大磯から小田原にかけての浜辺のことだが、行ってみればわかるが真っ白な綺麗な砂浜というわけではない。鎌倉辺りはもう少し白いかもしれないが、こゆるぎはどちらかといえば黒い砂、もしくは小石や砂利の浜辺なのである。「真砂なす子ら」がいったい何を言おうとしたのか、私にはよくわからない。
麻奈胡(まなこ)を真砂と読むのにそもそも無理がある。目がくりくりとしてかわいい、という程度の意味ではなかったか。
「まさご」は普通和歌には「はまのまさご」という成語で出る。真砂に埋もれるとか、真砂のように数え切れない、などと使う。
吾に向かひて光る星あり、とは、無数の星々の中にたった一つだけ、自分の運命を定める星がある、ということが言いたいのだろう。しかしそうした夢想はむしろ私には非常に凡俗な感じを受ける。星の明滅と人間の感情には何の関係もない、あれはただの自然現象に過ぎず、そんなものにロマンティシズムを感じても意味は無い、もし敢えて関連付けたければもっとましな歌を詠めよと私には思える。
七曜は古代メソポタミアで生まれた。何曜日に生まれたかによってどの惑星の影響を受けるかが決まるのだそうだ。だから当時メソポタミアでは誕生日よりも誕生曜日のほうが大事であったらしい。そしてそれら七つの天体のことを運命の星と言っていたようだ。
子規はちょっと無理のある万葉調の歌を詠むくせがある。芥川も和歌がわかっていたとは言いがたい。彼が子規を詩人として尊敬していたとは意外だ。