カントの「判断力批判」によれば、言語芸術は雄弁術と詩(文芸)に分かれ、
雄弁術とは悟性の仕事を構想力の自由な戯れであるかのように進める芸術、
詩とは構想力の自由な戯れを悟性の仕事であるかのように進める芸術、なのだそうだ。
わかるようなわからんような。
つまり弁論とは理性を感情に訴えること、
詩は感情を理性に訴えること、ということか。
しかしまあ、ドイツ人は詩をすごく大事にするよな。
そしてある意味弁論術をすごく過大に評価しているともいえる。
カントは詩人でも政治家でもなかったはずだが。
中国も昔は科挙は詩と八股文だったのにな。
詩で学力や文章力を見るのは悪くないが、客観評価にはむかないから、
官吏登用試験には不向きかもしれんね。
詩にしろ歴史にしろ試験にしてしまうとあっという間に訓詁学になってしまう。
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