図書館で新編国歌大観を見てげんなりした。
まあいわば電話帳みたいなもんです。三段組みの。
それにこれでもかこれでもかといわんばかりに和歌が書かれてある。
一行に歌一つ。
21代集なんかこんなの読まなくてもほかにいくらでもあるわけで、
私が読みたかったのは第9巻の辺りにまとまっているのだが、
これ一巻読むのもかなり絶望的な労力が・・・。
要するに電話帳なんです。文字サイズは文庫本より小さいけど。
この圧倒的な物量。
刑務所に入ったときに持ち込むとちょうど良いかもしれん。
しかも契沖とか見るとこれまためちゃくちゃ歌が多いの。
割と好きだが、単調すぎるので、読んでいるうちに意識朦朧となる。
後水尾天皇の歌も霊元天皇の歌も多すぎる。
ていうかみんな多すぎる。
そのあと群書類従、続群書類従、続々群書類従とかちらと見たが、
なんかもうごめんなさいって気持ちになってきた。
そのとなりに勝海舟全集ってのがあって、勝海舟ってこんなに自分で本書いてたのかとさらに絶望的な気持ちにさせられた。
おなかいっぱいになった。
みんなきっと21代集まではつきあえるんだよ。
21代と言ってもふつうはその中の古今と新古今くらいしか見ないしあとは万葉。
和歌は、応仁の乱で途絶えたのではなく、その後、臨界を超えて爆発的に増殖したんだと思うんだ。
万葉・古今・新古今と来て、歌学というものが発達した。
禁中並公家諸法度でも国学を奨励した。
世の中も太平になってひまができた。
そうすると契沖や宣長みたいにみんながみんな生涯に一万首とか軽く詠んじゃうんですよ。
それを徹底したのが明治天皇なんだな。
契沖や宣長の歌を私がおもしろいと感じるのはおそらく私が明治天皇から和歌に入ったからで、
この三人の歌風というのはよく似ているんだな。
日常を淡々と歌に詠む感じ。
で、出版技術とか発達しちゃって記録もだんだんに残しやすくなってくるし読者もいるもんだから、
膨大な和歌が大量生産されることになった。
江戸やばい。おなかいっぱい。