桂園一枝 春・夏・秋・冬

> しのすだれ おろしこめたる 心をも 動かし初めつ 春の初風

しのすだれは篠竹で作ったすだれ。

> 都人 とひも来るやと 松の戸を 開けたるのみぞ 宿の春なる

景樹は徳大寺家に出仕し、堂上の歌会も出席したとあるので、
その歌に「都人」「大宮人」とあるのは徳大寺家の徳大寺実祖か、またはその息子で景樹に師事して歌を習ったという徳大寺公迪であろうかと思われる。
住んでいたのは岡崎というから今の平安神宮のあたりか。

> しづくにも にごらぬ春に なりにけり むすぶにあまる 山の井の水

冬の間は井戸の水も少なくて手にすくおうとすると、こぼれ落ちる雫ですぐに水が濁ってしまったが、の意味。
同じような歌に「こころしてくむべきものを山水のふたたびすまずなりにけるかな」がある。

> 音たてて 氷流るる 山水に 耳もしたがふ 春は来にけり

六十にして耳従ふ。論語だ罠。

> けさもなほ まがきの竹に あられふり さらさら春の ここちこそせね

なかなか奇抜でよろしい。
と思ったが、和泉式部「竹の葉にあられ降るなりさらさらに独りは寝べき心地こそせね」の本歌取りのようだ。
おもしろいなあ。恋歌から春歌を作るとは。

> あはれにも 咲きこそ匂へ 梅の花 折られたるとも 知らずやあるらむ

折り取った梅の花を。

> 帰るには まだ日も高し 稲荷山 伏見の梅の 盛り見て来む

> 我ぎも子が ねくたれ髪を あさなあさな とくも来て鳴く うぐひすの声

「疾く」と髪を「解く」をかけただけの歌ではあるが、そこが良い。

> たが宿の 梅の立ち枝に 触れつらむ 今朝吹く風ぞ 香に匂ひける

特に説明もいらない。

> けふもまた 靡きなびきて 長き日の 夕べにかかる 青柳の糸

これも単に、「長い日が夕べにかかった」ということと、「青柳の糸が靡いてかかった」ということをかけているだけだ。
しかしまあ景樹の歌にはこういうものも多いということは、誰かが指摘せねばなるまい?

> 三島江の 玉江の里の 河柳 色こそまされ のぼりくだりに

「三島江の玉江の里」は万葉集の歌にも出てくる言い回しで淀川沿いの水郷であるという。
淀川を上り下りするときの川岸の柳が美しいという、まあそれだけの歌。

> あまりにも 春のひかげの 長ければ 暮るるも待たで 月は出でにけり

現代語、というよりは狂歌に近いのだと思う。
というより、和歌を俗語や口語で詠もうとした試みは、江戸時代には主に狂歌であったが、
それを景樹が伝統的な詠歌に積極的に取り入れて、様式化したと言えるか。

> 伊勢の海の 千尋たく縄 長き日も 暮れてぞ帰る 海人の釣り舟

> あくがれて 心も花に のる駒の みちさまたげに もゆる若草

> 常見れば くぬぎ混じりの ははそ原 春はさくらの 林なりけり

普段見ると、くぬぎ混じりの雑木林にしか見えないが、春に桜が咲いてみると、桜の林のように見える、の意味。
古典文法に忠実に従いつつ、現代的な感覚を詠んでいる。

> おほかたの 花の盛りを 心あてに そことも言はず 出でしけふかな

まあだいたい花は咲いているだろうと、どこへ出かけるとも言わず今日は出かけた、の意味。

> とふ人も なき山かげの 桜花 ひとり咲きてや ひとり散るらむ

> 人知れず 花とふたりの 春なるを 待たせても咲く 山桜かな

> 梢吹く 風も夕べは のどかにて かぞふるばかり 散る桜かな

> 照る月の 影にて見れば 山桜 枝動くなり 今か散るらむ

> 世の中は かくぞかなしき 山桜 散りしかげには 寄る人もなし

まあ、ふつうかな。

> こきたれて 雨は降れども 行く春は かへる色なき ふぢ浪の花

> 山吹の 花ぞひとむら 流れける 筏の棹や 岸に触れけむ

> 今朝見れば いつか来にけむ 我がかどの 苗代小田に つばめとぶなり

> 語らはむ 友にもあらぬ つばめすら 遠く来たるは うれしかりけり

有友自遠方来。これも論語だ罠。

> 今よりは 葉取り乙女ら にひ桑の うら葉取るべき 夏は来にけり

> 我が岡に けふも来て摘む をみな子が その名だにこそ 聞かまほしけれ

> 降り初むる けふだに人の とひ来なむ 久しかるべき さみだれの雨

> さみだれの 雲吹きすさぶ 朝風に 桑の実落つる 小野原の里

> 刈りあげし 畑の大麦 こきたれて 降るさみだれに 干しやわぶらむ

> 鳴く鳥も 空に聞こえず 谷川の 音のみまさる さみだれのころ

> おほ空の みどりに靡く 白雲の まがはぬ夏に なりにけるかな

> なれがたく 夏の衣や 思ふらむ 人の心は うらもこそあれ

> 浦風は 夕べ涼しく なりにけり 海人の黒髪 今かほすらむ

> うつせみの この世ばかりの 暑さだに 逃れかねても 歎くころかな

> 山かげの あさぢが原の さざれ水 わくとも見えず 流れけるかな

> 夏来れば 世の中狭く なり果てて 清水のほかに 住みどころなし

夏は暑いという歌。

> 見渡せば 神も鳴門の ゆふ立ちに 雲立ち巡る 淡路島山

> 近わたり ゆふ立ちしけむ この夕べ 雲吹く風の ただならぬかな

> あまりにも ゆふだつ雲の はやければ 雨のあとだに 残らざりけり

「あまりにも」が好きなんだな。

> かたぶきて 立てるを見れば 人知れず ものをや思ふ ひめゆりの花

> わが宿に せき入れて落とす 遣り水の 流れに枕 すべきころかな

石に漱ぎ流れに枕す、だわな。

> あらざらむ 後と思ひし 長月の こよひの月も この世にて見し

病気をした年に。

> 涼しきを 雨のなごりと 思ひしは やがても秋の はじめなりけり

割と好き。

> 心なき 人はこころも なからまし 秋の夕べの なからましかば

俊成「恋せずは人の心もなからまし物のあはれもこれよりぞ知る」の本歌取り。

> 言はねども つゆ忘られず しののめの まがきに咲きし 朝顔の花

「つゆ」と「朝顔」が縁語。ただそれだけ。

> 出づる日の かげにただよふ 浮き雲を 命と頼む 朝顔の花

> 山巡る しぐれの雲に あひにけり 染めたるかげや あるととはまし

> はつ時雨 降りしばかりの あと見えて 梢のみこそ 色付きにけれ

> けふもまた しぐれの雨に 濡らしけり 木曽の麻ぎぬ さらしなの里

これもほとんど意味はない。縁語だけ。

> おどろかす まきの板屋の 玉あられ さびしくもあらぬ 我がねざめかな

> 軒高く 降るやあられの 打ちつけに 瓦も玉の 音立てつなり

> いかばかり おどろけとてか 寝る人の 夢を待ちても 降るあられかな

夜中にあられがうるさくて目が覚めたという、それだけの歌。

> 照る月は 高く離れて 嵐のみ をりをり松に さはる夜半かな

少しおもしろい。

> 菊の花 こぼるるけさの 露みれば 千世もはかなき ここちこそすれ

わかる気もする。

> いたづらに 明かし暮らして 人並みの 年の暮れとも 思ひけるかな

> なれなれて 年の暮れとも おどろかぬ 老いの果てこそ あはれなりけれ

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