土御門通親

[なぜ村上源氏が源氏の中で家格が高いとされるのですか?](http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1029009210)
などを読んでいると、なるほどそうなのか、と、つい納得してしまいそうになるのだが、
たまたま源氏の中で太政大臣や内大臣になったものがいたからといって、
連綿として、公家としての源氏の長者というものがあったという考え方には無理がないか。
源氏とはつまり皇族の子孫であり、藤原氏と姻戚関係があれば、
中にはたまたま大臣にまでなるものがいても全然不思議ではない。
源雅実が太政大臣になったのは、母親が道長の娘だったから、ただそれだけだろう。

頼朝にしても元々は文官(蔵人。二条天皇の学友)だったが、
平治の乱以後、武官(右兵衛権佐。平治物語などに「前右兵衛佐頼朝」などとある)になった。
北畠親房の子も鎮守府将軍になったりした。
公家と武家を分けて考えることは、少なくとも源氏に関して言えば、あまり意味はなかろう。

土御門通親にしても、頼朝の死後、後鳥羽上皇の院政までの間、
たまたま権勢をふるったというだけだろう。
頼家、実朝の時代だから、幕府の中で内ゲバの嵐が吹き荒れており、
承久の乱以前であれば、未だ朝廷に対する幕府の優位性も確立してはいないのである。
そのような過渡期において、黒幕となって、
「朝廷、院、鎌倉幕府の全てが彼の影響下に置かれていた」と言うのは、
過大評価というより、誤解を与える表現というしかない。

つまり、結論として言えば、久我家や土御門家などのように、平安朝以後も、
公家に特化して生き延びた源氏が居た、というに過ぎないのではないか。
公家はだいたい元をたどれば藤原氏だから、王族の子孫が公家というのは、
確かに珍しく、面白い目の付け所かもしれんが。

源氏の長者

Wikipedia には「村上源氏」の所に

> 源氏といえば武家として活躍した清和源氏を想起する人が多いが、公家社会では村上源氏が最高とされていた。

などと書かれ、また、「源氏長者」の項目には、

> 源氏一族全体の氏長者の事を指す。原則として源氏のなかでもっとも官位が高い者が源氏長者となる。源氏のなかでの祭祀、召集、裁判、氏爵の推挙などの諸権利を持つ。

などと書かれている。にわかに信じがたい。
いったい誰が「公家社会では村上源氏が最高とされていた」と言っているのか。
もし、北畠親房が『神皇正統記』などで主張していた、というのであれば、それは単に、
自分自身を「源氏の長者」なるものに祭り上げるための自画自賛に過ぎない。
北畠親房は、清和源氏の八幡太郎義家の流れに対するはげしいライバル意識があった。

「源氏長者」とは「治天の君」などと同様に近世、というより戦後になって作られた概念なのではなかろうか。
「源氏」というのは、たまたま賜姓が「源」だったもと皇族というだけであって、
何か具体的な横のつながりがあったというのは考えにくい。

また、「源氏長者」というものを清和源氏、つまり武家の頼朝、足利氏や徳川氏と切り離して考えること自体、無意味に思える。
そんなことをして、いったい何の意味があるのか。誰が得をするのか。

塩干するめ

八王子の乾物屋で「塩干するめ」というものを買った。青森産。二枚一袋。開いてありげそ付き。
見た目は生のするめ。
そんな高価なものではない。
普通に、常温で売られていたように思うのだが、はてどうだったか記憶が定かでない。
しかし明らかに昔、冷凍や冷蔵技術の無かった頃は、常温で売られていたのに違いない。だから乾物屋が扱っているのだろう。
ググると、長野にも塩イカなどというものがあるらしい。
極めて塩気が強く、袋にも「塩分を取り過ぎると、健康を損なうおそれがありますので、十分に塩抜きしてお召し上がりください。」
などと書いてある。
塩抜きしてもそうとう塩辛い。

思うに、こういうものは、単なる保存食というだけでなく、内陸部では、塩分を摂る目的でも食べられていたのに違いない。

八王子・高尾

ヒマだったので、八王子から高尾辺りを散策した。
八王子が北口だけ栄えているのは、つまり北口に甲州街道沿いの旧宿場町があったためなのだろう。
そして、駅前が異様に猥雑な感じがするのも、旧市街から隔離する意味合いがあったのに違いない。
甲州街道と中央線に挟まれたあたりに発達した町なのである。
だから南口は完全に見捨てられて今日に至った。

甲州街道を歩くと乾物屋などがたくさんある。

さらに西へ行けば、多摩陵、武蔵野陵などがある。
南浅川の遊歩道が特別良く整備されているのはこれらの陵があるためだろうと思う。
八王子城はさらにこれら御陵の山奥に位置していた。
家康が八王子城を廃城にしたのは、あまりにへんぴなところにある山城だったからだろう。
もし八王子城がもっとひらけた街道沿いの平城であったならば、そのまま江戸時代にも利用されていた可能性はあるだろう。
江戸時代には、もっぱら、城は町中の、街道沿いの、平城だけが残った。古河城や川越城がそうだが、
しかし、街道沿いの平城でも、世田谷城のように、残らずに、豪徳寺のような寺になったところもある。
世田谷城はあまりに江戸城に近すぎたからかもしれない。

とかいろいろ見て回ったので、超ヒモ理論を少し加筆した。
これ、八王子ネタでもう少しふくらませても良いかもしれん。

思うに、

学者には学者の仕事の仕方があり、政治家には政治家の仕方がある。
学者の仕事と政治家の仕事が違うのは当たり前であって、だからといって、
「政治家は学者と仕事の仕方が違うから」と辞められちゃあ困るんでないかい。
学者は政治を辞めることはできるかもしれんが、政治家は政治を辞めることができないのだから。

たとえば、芸術家と科学者がコラボレーションしようというとき、
芸術家と科学者が互いの立場を理解しないとうまくいかないのと同じだろ。

政治のやり方は、学者の発想とは違って当たり前であり、ときと場合によっては、政治のほうが正しかったり、
学者の筋論のほうが正しかったり、いろいろだろうと思う。
学者としては、筋を通すのが仕事だろうが、政治家はそこを融通きかそうとする。
で、なんかおかしなことを政治家がやって自分の意見がとおりませんでしたから辞表を出すというのでは、
まったくコラボレーションになってないと思うんだよね。
なんかたまたま頼まれ仕事をやったが気に入らなかったから辞めたみたいな印象。

それに、なんか、政治家は素人ばかりで困るとか言ってるようにも思えるが、
政治家はいろんな事案から総合的な判断をするのが仕事であって、個別の科学技術に素人なのは当たり前のことであり、
学問ばかりやって飯を食ってる学者が物知りなのも当たり前であり、
だから学者を呼んで意見を求めているのだろう。
意図的に無視したのならともかく、あれこれあわてててたまたま見落としたようなことまで、いちいち指摘して何の解決になるのか。
なんの意味があるのか。
あんたたちがもっと行政をサポートしてやらんで誰がサポートするんですか、という気持ちになる。
それに、これまでの事例・判例・対策等をただ列挙してそれと政府の対応が違うという指摘をするだけなら、別に学者でなくとも、
ただのマニアやものしり博士だってできることではないのかなあ。

ペンネーム

山崎夏海は、[岩崎夏海](http://www.yoshidamasaki.com/iwasaki/)に似ているという指摘をうけたのだが。
なんかめんどくさいなあ。確かに似ていると言われれば似てるけど。
作中の登場人物とかペンネームとかは、一応ググってみて、有名人が居ないかどうかは確かめるよ。
でも完全に一致してなければわからんわけで、一部似ているというだけでは、知らんものは知らんのだから、
防ぎようがないのだよね。
山崎夏海というのは、もともとは、私が書いた(現在某新人賞に応募中の)小説の中に出てくる主人公の
「山崎菜摘」というのを、少し変えただけのもの。
菜摘を夏海に変えたことで、ややマイナーにしつつ性別を不明にしたつもりであったが、
そういう名前の作家が居たとはしらなかった。
メインのペンネームは田中久三で、山崎夏海で書くことは(『超ヒモ理論』の続編を書くとかいうことがない限り)、
まあありえないので、実害はないと思うのだが。

ちなみに、田中久三というのは、tanaka0903 というユーザ名が先に出来た。
0903 は 2009年3月から、新たにブログを書き始めたというだけの意味であり、
tanaka は日本人のありふれた名前というだけ。
つまり極力無意味な、anonymous な名前をつけたつもりだ。
[不確定申告](http://d.hatena.ne.jp/tanaka0903/20090302)にその痕跡がある。

いろいろ思うことはあるが、

福島第一原発跡地を国が買い上げるのであけば、米軍基地や自衛隊の基地にすれば良い。横田や厚木や横須賀基地を移転すれば良い。横田や厚木や横須賀の跡地を売却すればむしろ儲かるだろう。防衛庁も首都機能も移転すればよい。今の東京のそれを売却すれば、むしろ儲かるだろう。絶対そうすべきだ。良い財源になる。増税する必要もないわなあ。

横断歩道に人がいても一時停止しないやつ、歩行者専用の地下道を自転車で通るやつ、そういうやつらも、全員、自衛隊で、研修受けさせれば良いと思うよ。だって、今は非常時なんだろう。なんでもできるよ。

山崎夏海

山崎夏海というペンネームで、パブーで『[超ヒモ理論](http://p.booklog.jp/book/24099)』というものを書いた。
田中久三とは完全に別に書こうかと思ったのだが、
できるだけたくさんの人に読まれた方が良いと思い、ここからリンクすることにする。

『超ヒモ理論』は完全にパブーのエディタだけを使って書き下ろしたものだ。
三日くらいで書いたが、その後も微妙に書き足したり修正したりしている。
完全無料。

その代わりと言ってはあれだが、『棟梁三代記』の方は有料設定に戻した。