言語の起源

[やはり人間の起源はアフリカ? 世界のすべての言語は石器時代のアフリカ言語から生まれた](http://rocketnews24.com/?p=88817)。
アフリカの言語が一番音素が多く、そこから遠ざかるにつれて音素が減っていく、という傾向がある。

思うに、人類が、最初に言語を獲得したときには、単語というものはなくて、音素だけがあったのだろう。
一つの音素が一つの概念を表していた。
だから、できるだけたくさんの音素が必要だったのではないか。

そのうち、音素を組み合わせて単語を作るようになると、音素はそれほどたくさん必要ではなくなった。
さらに文法ができて、より複雑な表現が可能になった、と考えられるのではなかろうか。

仮に、親から全く言葉を習わない人間の集団があったとしよう。
たとえばオオカミに育てられた子供が数十人程度居たとする。それを出発点としてみよう。
彼らは身振りや手振り、口から出す音などで意志を伝えようとするだろう。
口から出す音、つまり声だが、最初は単語という概念がないから、声の一つ一つに、それぞれの意味を持たせたのに違いない。
世代交代していくうちに、その声、つまり音素のレパートリーは増えていくに違いない。
しかし千くらいまで音素が増えるともうそれ以上は増やせない。
しかし、概念というものはそれよりも多くなっていく。
そこで複数の音素を組み合わせた単語というものが生まれたのではないか。

だから、人類の故郷であるアフリカには、未だに多くの音素が残っているのではなかろうか。

トーテムとタブー

フロイトの『トーテムとタブー』を読み始める。

ここでタブーと宗教は区別されている。宗教とは神を崇拝することであって、タブーとは神よりも古く、より原始的で、理由付けのない禁忌を言うらしい。フロイトの時代には、世界中でさまざまな先住民や未開民族が発見され、分類された。それらの民族の多くには、宗教と言えるような組織的なものはほとんど見られず、タブーの方がより強く社会を制約している、とフロイトは観察している。

フロイトが言いたいことはつまりこういうことだろう。近親姦の禁止や族外婚の風習というのは、ほとんどすべての、まったく無関係な社会にも見られる。それは、男性のボスによる一族の女性支配に由来する。トーテムとは部族、血縁のことで、東アジア的に言えば、姓とか本貫のこと。姓は原初的には女系だった。なぜ古代、女系で姓が継承されるかというと、古代は女権が強く、女性が財産権を持っていたからだ、とはフロイトは考えない。むしろ逆。男のボスが横暴であって、妻や娘たちを独占するために、妻や兄弟姉妹間で姦通することを禁じるために、妻とその子孫たちはすべて同じトーテムに属することとし、トーテム内の姦通を禁じたのである。この理屈で言えば、一族の中で同じトーテムに属さない、つまり自由に姦通できるのは夫一人となる。男子が成長すると、自分のトーテムの外、つまり家族の外の女と結婚しなくてはならない。これが族外婚。Exogamy というものだ。

確かに、まったく未開の、何の言語もなく、決まりもなにもない社会にも、この理屈で言えば、トーテムは発生しうる。トーテムの発生には理屈がない。ただ単に横暴な男子と無力な女子供がいるだけだ。それが数世代か数十世代繰り返されるかは知らないが、そのうち、誰もその由来は知らないが、トーテムという社会制度だけが成立するというわけだ。

恐ろしくも非情、しかし説得力のある理論だ。余りこれまで見聞きしたことがないのだが。Wikipedia などには、

遺伝子上の欠陥を補う事で、子の遺伝的な多様性を増加させ、子の繁栄の可能性を高める。

とあって、確かに、古代人がその遺伝的な問題を経験的に知っていて、それゆえに族外婚が自然発生したというのが、通説だろう。しかし、近親婚による優生学的な弊害というのは、かなり緩慢なものであって、たとえば貴族や王族などが、何世代にもわたって同族と婚姻関係を結んだ場合にしか起こりえないのではないか。人口の圧倒的多数を占める庶民には、あまり関係ないはず。庶民、特に未開民族においては、早婚、雑婚、多夫多妻が当たり前であろうから、数世代もすれば遺伝子の問題などあっという間に解消してしまい、
問題にならないように思う。

このフロイトが発見した理論が今日ではほとんど忘れさられ、無視されているのは驚くべきことだ。

ネットスーパー

こんな雨の日はネットスーパーで酒やつまみを配達してもらうのだが、

商品名:トップバリュ バーリアル(BARREAL)350ml×6缶
サイズなど:内容量・本数(350ml×6缶)
単価: 488円

安い。外飲みだと、一杯くらいしか飲めないのに。
味はまあ値段相応ではあるが。
他には

商品名:カルビー かっぱえびせん 小袋 26g
単価: 38円
数量:5

とか(笑)。

一人暮らし

ある飲み屋のママと自分たちが学生だった頃は、だいたい一ヶ月いくらくらいかけて生活していたか、という話をしたのだが、
もうすっかり忘れてしまって思い出せない。
二十年から三十年前というのは、バブルの絶頂期に向かう過渡期だったのだが、
田舎から出てくる学生というのは、みな貧乏であって、普通は学生寮か、県人会の寮などに、相部屋で住むのが普通だったと思う。
県人会などの寮であれば家賃と光熱費込みで月に一万円程度だったはずだ。
民間の学生寮や賄い付きの下宿などは朝食と夕食、風呂が込みで、五万円程度ではなかっただろうか。
私の場合途中から寮を出て一人暮らしをはじめたのだが、
寂しいというよりは、親や他人と同居しなくてよいという開放感の方がはるかに大きかった。
一人暮らしというのは、とても贅沢な道楽のようなものに感じていた。
それでも風呂無し、トイレは共同で、月三万円の部屋だった。
銭湯は三百円くらいの時代だったと思う。毎日入っても一万円くらいか。
それから風呂無しだがトイレはある部屋、こちらは少し狭くなったが、駅近で四万五千円。
ここらまではみな学生課で紹介してもらったものであり、民間の不動産屋は通してない。
それから、給料をもらうようになるとやっとワンルームマンションに暮らすようになり、これが月七万円。
それからちと田舎の方へ引っ越して、ここは2DKで月八万円だった。

おそらく学生の頃は、全部込みで月十万円くらいで暮らしていたのではなかったかなあ。

それはそうと、今時風呂無しアパートや賄い付きの下宿などというものは、ほとんど絶滅してしまったのではないかな。
資産運用目的の、ワンルームマンションやアパート、ウィークリーマンションのようなものばかりになって。

今時、不況だと言っても、風呂無しトイレ共同のアパート暮らしをする人間などほとんどいない。
大学へ進学する人間も少なかった。
そう考えれば今は、まだ贅沢なほうなのではないか。

Portal2 クリア

人生は短い。しかし、Portal2に関して言えば、walkthroughに頼らずじっくり時間をかけても自力で解くべきだ、後悔したくなければ。
途中、chapter 6 で一箇所 walkthrough を見てしまったのが悔やまれる。後はみな全部、ノーヒントで解けたのだが。
ラストのひねりが少し面白かった。

Portal 2

人生は忙しい。
しかし、Portal 2 祭りには参加せねばならぬ。
Portal 1 は狭苦しいダンジョンゲームだったが、
Portal 2はchapter 6から広々した屋外になる。
で、行き詰まった。
廃人にならないように、少しずつやろうと思う。

Portal2 はセーブデータが Steam上に作られるらしく、
複数のPCでプレイしてもセーブが同期している。

わー。
youtube に walkthrough 流れまくり。

某2chのコピペ

iTunesが おきあがり
なかまに なりたそうに こちらをみている!
なかまに してあげますか?

>はい

iTunesが なかまに くわわった!
QuickTimeが なかまに くわわった!
Bonjour for Windowsが なかまに くわわった!
Apple Mobile Device Supportが なかまに くわわった!
Apple Software Updateが なかまに くわわった!
MobileMeが なかまに くわわった!
Apple Application Supportが なかまに くわわった!

Apple Software Updateが Safariを よびよせた!
Apple Software Updateが iPhoneソフトウェアを よびよせた!

わろた。
私は、Safari と QuickTime 以外は使わない派。

今更ながら無料にしてみた

『棟梁三代記』なのだが、PVはある程度あるようだが、全然売れない。
パブーで人気の順位はダウンロード回数やお気に入りなどによって決まるようだが、
純文学などは無料公開のものが多く、このままでは埋もれるばかりだ。
それで『棟梁三代記』の方は、無料にしてみた。

で、ついでに自分で解説してみるのだが、本来ならば著者の解説なしに読んで楽しんでもらうように書いたのに違いないのだが、
私の(歴史)小説の場合、まじめに解説しようとすると本文よりも解説の方が長くなりそうなものが多い。
或いはほんとうは他人に解説してもらいたいのだが、いつまで待てば良いかもわからんから、
もうとっととやってみる。
まず、棟梁三代というのは、頼朝・頼家・実朝の鎌倉三代将軍のこと。
最初に出てくる「まさ子」というのは北条政子のこと。
他にも範頼と、実朝の妻の坊門信子が出てくる。
頼家の次男の公暁と、四男の禅暁も出てくる。
これらはみな一人称で、それぞれが物語るという形になっている。
この一人称で群像劇っぽいやつは、他にもやったことがあるが、
子母沢寛『新選組始末記』のオマージュだと思ってもらえば良いと思う。

鎌倉や箱根、修善寺などを観光してみて、吾妻鏡など読んでいると、ついこういう話を書きたくなると思うのだが、
案外ないものだよな。
さらに、頼朝や実朝の小説はたくさんあるかもしれんが、頼家について書いたものはあまりない。
なので、私の話では逆に頼家の部分をややふくらませて書いてみた。
京都で暮らす坊門信子を、将軍を辞めさせられた宗尊親王が訪問して、昔語りをするという形で最後をしめている。
これもやや珍しいだろう。
また、実朝の歌

> もののふの 矢並つくろふ 小手の上に あられたばしる 那須のしの原

に新しい解釈を加え、偽の歌(つまり私が実朝の歌として詠んだ歌)

> 武蔵野や 名越えの関を こえもみで はるけくしのぶ 雪景色かな

を付け足したりした。
実朝の歌か、私の歌か、用心して読まないとだまされますよ(笑)。
いや、そもそも「もののふの」の歌は、実朝の実作かどうかも疑わしいのだが。

北条政子が本当に温泉好きだったかは定かではない。
政子が尼将軍として活躍するのは実朝が死んだあとの承久の乱だが、そこは書いてないし、
頼朝の活躍についてもほとんど何も書いてない。
そういうのは、すでに多くの人が小説にしているからだ。

ああ、あと、富士川の戦いを、将門の乱と対比して、解釈してみたりもしたよ。
北条政子が詠んだ歌

> 濁れるも 澄みて清きも 色濃きも 泡立ちたるも 湯はみなよろし

> 海に入り 川に流れて 出づる湯の 尽きせぬ国か やまとしまねは

これも偽物、つまり私が詠んだ歌。頼家や政子の和歌というのは、たぶん一つも伝わってない。
ちなみに、「濁れるも」は元は酒の歌だったのを少しだけいじったのだ。

> 濁れるも 澄みて清きも 色濃きも 泡立ちたるも 酒はみな良し

最初考えていたタイトルは『まさ子の温泉大好き』だった。これは三田寛子が昔、
わらっていいともでやっていた、「寛子のおかし大好き」にちなむものだった。

実朝が「京都の師匠」と言っているのは藤原定家、最近出た歌集というのは新古今集、「あの方」と言っているのは後鳥羽院のことだ。

フロイトの集大成

フロイトというのは、いわゆる一種の奇人・変人のたぐいであると思う。ディオゲネスやニーチェを哲学者というのと同じ意味でフロイトを哲学者というのは当たってるかもしれない(どんな人間を哲学者というべきかを私は知らない)。
しかし、マックス・ウェーバーのような意味でフロイトを学者と言うのはどうかと思う。
しかし、アトン信仰と、ヤハウェ信仰、そしてモーセとの関係を発見したことを見るに、彼が単なる妄想家ではなく、優れた直感力の持ち主だったと、評価できる。それで『モーセと一神教』という本だが、モーセともイクナートンとも関係ないことが、大量に、ごちゃごちゃと書いてあって、正直うぜーとか思っていたのだが、改めて読み直すと、それはそれなりに面白い。特にこれが、1934年以降1939年まで、ヒトラー政権が誕生して、ユダヤ人であるフロイトがイギリスに亡命した、最晩年に書かれているということを勘案して読めば、それなりに楽しめる。フロイトはオーストリアの人だが、1938年3月にヒトラーがオーストリアを併合している。『モーセと一神教』の前半部分はそれ以前に書かれているが、途中から、明らかに、文章が混乱し緊迫しているのがわかる。

彼は、なぜユダヤ民族が迫害されるかということを、彼なりに分析している。

彼は、人類は先史時代からずっと、何千年も何万年も、父親殺しを続けてきたと主張する。アッカド王国のサルゴン王の伝説に類似する、さまざまな神話の例をあげて。父親と子供は殺しあう、強い子供が父親を倒して自らハーレムの主となる。近親姦忌避と部族間婚は、遺伝的有害性に基づくのではなく、父子間の闘争に由来するとさえ言う。そして、モーセやイエス、その他の預言者はユダヤ人によって殺されたが、それは人類の父親殺しの習性を受け継いだものである。つまりメシアというのは自分の民族に殺される。そしてユダヤ人もまた人類に迫害される。そういう理論になっていて、もはやそこでは、モーセとアトン教の関連などという主題は、放置されてしまっている。ま、ともかく、『モーセと一神教』は彼が生涯展開してきた理論の集大成になっていて、特に『トーテムとタブー』という1913年という初期の理論の発展形として提示されていて、正直うざいが、まあすこし面白い。

Portal2

[Help Portal 2 Release Early!](http://www.aperturescience.com/glados@home/)

わからん。
なぜポテトを買うと Portal 2 のリリースが早まるのだ。
ただのジョーク or 広告だよな、これ。
或いは、スタッフの励みになって、一生懸命リリースを早くしてくれるということだろうか。

つか、Portal2 のリリースを待ちわびてる人が周りにあまり居ない件について。

だいたい、あと、二日くらいでリリースされるようだが。