steam cloud

serious sam HD の saveデータがどこにあるかわからん。
steam cloud というやつでサーバ側で管理しているのかとも思ったが、
別のPCでは同期できませんとか言われた。
steam cloud のやつ(笑)。

桂園派

香川景樹の桂園一枝、同拾遺は、近世和歌集に収録されているが、抜粋であって、
全体は新編国歌大観を見るしかないようだ。面倒くさい。
だいたい全部で二千首くらいあると思われる。
めんどうだが、やはり自分で一通り目を通してみないと、
他人が選抜したものではどうにもならない。

江戸期の歌人として、重要なのは、蘆庵と景樹の二人だと思っている。
もう一人、良寛を入れても良いが、私自身それほど興味はない。
また、さらに秋成を入れても良いが、彼の歌はつづらぶみの中にわずかに七百首くらいしか残っておらず、
しかも近世歌文集に完全収録されているので、割と簡単にすべてに目を通すことができる。
秋成は、やはり、歌人というには歌数がやや少なすぎる。
蘆庵の六帖詠草および同拾遺だが、これも本来は数千首ほどあって、近世和歌集はその抜粋であり、結局は新編国歌大観を見なくてはならん。

蘆庵から景樹はほぼ桂園派の直系をなすものであって、明治期まで大きな影響を持った。
いわゆる明治の「短歌」というものは、実質的には桂園派に接ぎ木をしたものなのだが、
真淵だとか橘曙覧だとかその他の後継を偽装しているのであって、非常に恩知らずでけしからんことだと思う。
江戸期の狂歌や桂園派などによる大衆和歌の素地がなければ、明治の短歌など出てきようがなかったはずである。
その重要性は、強調しすぎることはないと思う。

桂園派の復権は重要だが、しかし、思うに、蘆庵・景樹亡き後の桂園派は、急速に二条派との違いを失ってしまい、
あるいはマジョリティであり保守派である二条派が新興勢力の桂園派を取り込む形で、
なし崩しに因循姑息な方向に行ってしまったのかもしれない。
それは徳川幕府が維新政府によってとって代わられたのと同じ理屈だったかもしれない。
つまり、幕藩体制を活かしたまま近代国家を発展的に作っていこうという発想があり得たように、
桂園派を活かしたまま発展させようという発想はあったに違いないが、
より暴力的で破壊的な方法があの時代にはとられたということだろう。

ともかく、香川景樹の桂園一枝、小沢蘆庵の六帖詠草を、きちんと再評価すること、
これを新しい目標として掲げてみる。

たけゆく

また和歌データベースで遊ぶ。
21代集をカバーしているので、そこそこ遊べる。
「たけゆく」だが、
「月」「月影」「日影」「春」「夏」「秋」「年」
など。
一番古いのは古今集かげのりのおおきみ

> さ夜ふけてなかばたけゆく久方の月ふきかへせ秋の山風

次は実朝

> さよふけてなかばたけゆく月かげに飽かでや人の衣うつらむ

どうでも良いがどちらも大した歌じゃないな。実朝のは本歌取りというより習作か。
後鳥羽院宮内卿

> 差し登るひかげたけゆく朝凪の雲無き空に田鶴遊ぶなり

「たくる」
も少ないがある。為家

> 老いらくの来ると見ながらふりにけり霜のよもぎに秋たくる身は

よもぎに「世」、秋に「飽き」をかけているのだろうが、まあどうでも良いか。

「たけて」
新古今、西行:

> 年たけてまた超ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

うーん。きざな歌だな。「年たけて」とは「年をとって」と同じ意味のようだ。

> 春たけて紀の川白く流るめり吉野の奥に花や散るらむ

誰の歌だろう。知ってるような知らないような。

明日香井雅経

> 春も過ぎ夏もたけぬる今年かな今秋冬もあはれいくほど

悪くないが良くもない。
定家来た。

> 朝なあさな散り行く萩の下もみぢうつろふ露も秋やたけぬる

うーん。さすがというか。ひと味違う。

> ゆふさりて すずかぜふけど なつごろも ここちよきまで はるぞたけぬる

「すずかぜ」というのは割と新しい言葉のようだな。
そうか、芭蕉が使ったのか。
しかも晩夏の涼風を言うらしいぞ。まあいいか。

曽禰好忠

> なつかしく 手には折らねど やまがつの 垣根のうばら 花咲きにけり

なるほどね。
なかなか良い歌ではないか。

新葉集文貞公花山院師賢:

> 風寒み 秋たけゆけば つゆしもの 布留の山辺は 色づきにけり

なるほど。

> わがやどの かきねのうばら としごとに はるたけゆけば 咲かむとすらむ

> すべもなく なすこともなく ひとりゐて ことしのはるの たけゆくをみる

だって歩き回ると金かかるし。
家に居ても、良い考えが浮かんでくるわけでなし。
連休もまだ残ってるし。
だめだめ。

子午線

[子午線を動かす](http://mojix.org/2010/05/04/shigosen_isetsu)という話だが、
なぜこのような話になるのか、よくわからない。
たとえば、沖縄や長崎など日本でも西の方では、東京と比べると1時間以上日が落ちるのが遅いわけで、
これ以上子午線を東にずらすと、ますます一日が何がなんだかわからなくなるだろう。
東京の人間が今の長崎と同じ感覚になるだけで、西の方ではますます困ったことになる。
南中時刻を午後0時とするのは至極当たり前のことであり、
また切りの良さと日本の東西の広がりの範囲で言えば東経135度を子午線とするのが極めて妥当だ。

サマータイムうんぬんというのはつまり日の出や日の入りの時刻を基準に一日の時間を決めようということだから、
江戸時代までの日本の時刻制度に近く、それはそれで実用的ではあるかもしれんが、
不具合も多い。

単に節約したいのであれば、官公庁や銀行、
学校などの主要な施設の始業時刻を今より1時間早めれば良いだけではないか。

可能なら、東ほど始業時間を早めて西ほど遅くすれば良い。
夏季は早め、冬季は遅らせる。それだけのことではないか。
時刻をいじるよりはずっと柔軟に対応できるのではないか。
おそらく、中国などはどこでも標準時でやっているが、
地域や季節で始業時刻を少しずつずらして対応しているのではなかろうか。
そういう事例を参考にすれば良いだけだと思うが。

おもうにヨーロッパで子午線が東に偏っているというのは、
大陸ではイギリスと同じ標準時にすることを嫌い、
フランスとドイツが標準時を1時間イギリスとずらした結果、
地続きのスペインなどがすべてそれに同調し(もしかするとナポレオン時代の遺産かもしれんが)、
今に至っただけではなかろうか。
たぶん、ただ単に、フランスとイギリスの仲が悪いという理由だと思うのだが。

steam の新しい UI について

steam のユーザインタフェイスが変わってアップデートがかかって、起動しなくなった人が多いらしく、
おかげでこのブログへのアクセスが急に増えた(笑)。
そういう場合は、 c:\program files\steam\steam.dll をどこかに待避させて(あるいは削除して)、
もう一度強制的に update すると直ることがあるらしい。
私はそうしたら直った。

今は、serious sam hd: the second encounter で楽しく遊んでいる。
いま、ティオティワカンの風神を倒したところ。
風神は無敵のように思えるが、大砲を連射していれば倒せる。

スーダンの日本人医師

[もうひとつのスーダン 日本人医師川原尚行の挑戦](http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E5%B0%9A%E8%A1%8C%E3%81%AE%E6%8C%91%E6%88%A6-%E5%B7%9D%E5%8E%9F-%E5%B0%9A%E8%A1%8C/dp/4072715905)。
テレビでやっているのを見たのだが、
確かに彼のやっていることは、立派なことだが、
医師免許をもっているのであれば、仮にスーダンで失敗しても、
日本で医者として働けばいつでも復帰できる。
妻は小学校教師として生活費を稼ぐため働き始めたと言っているが、
これまた比較的復職が容易な職業を、たまたま今まで専業主婦で居たというだけだろ。
つまり、いざとなれば元と同じか多少少ない程度の生活水準に戻れる保証があったからできたことであり、
まあ、外務省辞めた時点で退職金などの生涯賃金は減ったかもしれんが、
これがそれほどの「挑戦」であり「奇跡」であり「美談」なのかと言いたい人はいないのかなと。

転職や休職のリスクが小さい職種とそうでない職種がある。
二、三年休職してもいつでも復帰できるなら、私だってそうしたい(笑)。
NGO でもなんでもやってやろうじゃないの。

要するに、私なんかだと、純粋に自分の持つ資格や才能だけで飯を食ってるわけでなし、
年収にも余裕があるでなし、
現職を辞めれば次を見つけるのはおそろしく困難で、
だから現職にしがみつくしかない。
仕事に拘束されることによって、
自分の自由を失うことによって賃金を得ているわけだから、
一種の奴隷に近い罠。
まあ、たいていの仕事というのはそういうもんだが。
うちらが子供の頃は終身雇用が当たり前で、発想の自由もあまりなかったわけだが、
生涯賃金が減らないのならいろんな職業を転々とするほうがやっぱ楽しい罠。

万葉調批判

長くなるので分ける。「布留の中道」。

> 日本紀、万葉、八代集までを見て、末の世の風は下劣なり、歌は万葉、日本紀を出づべからずと思ひて、
後世の歌の姿・詞一切用ゐず、万葉・日本紀を実と蓋として、この中を出づることならざる歌人あり。
これは末代の衰えたるを厭ひて、古代の未だととのはざるを知らず。

詠歌大概

さらに、「布留の中道」。「詠歌大概」とは定家の歌論書。
「布留の中道」には

> 三昧に入るがごとく、心を幽かなる所に留めて、人の未だ詠まざる風情を求めよ

> 道なき所に向かひて道を求め、及ばぬ境に吟じて新しく詠ぜんと、ならぬまでに心をかくべきなり

> 旧物を新しくすることをことに得て、歌をかたみに家の業とせむとする巧みにより、奇妙を表す。
巧成就の歌は、誠に絶妙、凡庸の及ぶべきにあらねば、時の人多くこの風に靡けり。
但し、成就せざる歌においては、大半聞こえぬのみなり。
この人々の心を詠める歌の良きは少なく、旧物を転変したる歌の良きは多し。

> 彼、堪能の人さへ成就せざれば聞こえず。ましてその教えを師として学ぶ輩の歌、思ひやるべし。
十に八九は聞こえず。
たまたま聞こゆる歌は、心汚し。・・・詞汚し。・・・「てには」汚し。・・・とかく紛らはし。
美しからむ、艶ならむとのみ、思ふ心に引き込めらるるなり。

などと紹介されている。
二つのことが挙げられている。ひとつは瞑想・三昧の境地に飛ばして、
他人のまだ詠まない奇妙な詠むということ。
これ、近代芸術で言うところのダダイズム。
も一つは本歌取り。これは近代芸術ではオマージュとかコラージュなどと言う。
いずれも12世紀後半の日本では極めて新しい「ムーブメント」だったに違いない。
蘆庵は定家を極めて正確に把握していると言える。

> 元来歌は天地人同一のものにて、その人情の自然を言へば高尚の大道、鬼神も窺ふべからざるものなるを、
凡愚の造作を本とし、心を索め、奇を探り、妙を表さむとす。汚く見ゆるもことわりなり。

つまり、蘆庵は、歌は天然自然のものであって、その本然は、人はおろか鬼神にすらわからぬものなのに、
おろかな凡人の作為でもって、わざと奇妙なふうに歌おうとするから汚く見えるのも当然なのだ、
と言いたいわけだ。
従って、凡人の作為などというものから離れるべきだということになり、
ここから「ただごと歌」というものに至るというわけだろう。
この辺り、宣長ならば、歌は当然巧むものであり、
巧み方を二条派の先達やら古典やらに忠実に学んで詠めば良いのだというところだが、
明らかに考え方が違う。

蘆庵は、一番良いのは「無法無師」であるという。
つまり、なんの決まり事もなく、誰にも教わらずに詠む歌が良い歌だと。
その例として

> 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

> 待てと言はば いともかしこし 花山に しばしと鳴かむ 鳥の音もがな

> 飽かなくに まだきも月の 隠るるか 山の端逃げて 入れずもあらなむ

> 飽かねども 岩にぞ換ふる 色見えぬ 心を見せむ よしのなければ

> ひさかたの 中に生ひたる 里なれば 光をのみぞ たのむべらなる

> 裁ち縫はぬ きぬ着し人も 無きものを 何山姫の 布さらすらむ

などを挙げている。
しかし、愚鈍蒙昧な私であるから、二番目に良い方法として、昔の人の詠みおいた跡を見て詠むと言っている。