cscz: ds

フィリピンの次はロシア。ヘリコプターが落とせません…。つーかアメリカ中心主義的。HANKAGAI? 何面先なんだ~?

csbanana

Information on the 10 Missions (plus 1 Training Mission)

  1. Counter-Terrorist Training
  2. Mission: Recoil
    Location: Northern Africa

  3. Mission: Lost cause
    Location: Basilan Islands, Philippines

  4. Mission: Secret War
    Location: North East Russia

  5. Mission: Drug Lab
    Location: Bogota, Columbia

  6. Mission: Motorcade Assault
    Location: Outside Vencie, Italy

  7. Mission: Alamo
    Location: Yipiti, Boshistan

  8. Mission: Downed Pilot
    Location: Puerto Iguazu, Argentina

  9. Mission: hankagai
    Location: Tokyo, Japan

  10. Mission: rise hard
    Location: Belfast, Northern Ireland

  11. Mission: Turn of the crank
    Location: Modesto, California USA

がび~ん(笑)。Boshistanって何だよ。存在しないだろ。他のは実在しそうだが。

The US Embassy in Yipiti has been overrun. Hostages have been taken and are being held near King Kabob Restaurant. The local population, sympathetic to a powerful terrorist sect, occupy each dark corner of this desert province.

Location: Yipiti, Boshistan

Yipitiのアメリカ領事館は襲撃された。人質は Kabob 王食堂の近くに拉致された。強力なテロリストの一派に同情的な地域住民は、この砂漠地域の街角の至るところを占拠している。

うーん。地図で言えばリビア辺りなのか。リビアの首都トリポリ。うーむ。

counter-strike condition zeroやり始める。

training room はさくっと終了。
tours of duty は Dust, Office, Prodigy まで来た。
こちらはマルチプレイもどきのBot。すぐ死ぬ。

deleted scene は Half-Lifeっぽいシングルプレイ版。
最初の北アフリカはいきなりアラブ人との戦闘。
これはもうほとんどPostal2。
Postal2と同じくらい面白い。
北アフリカの次はフィリピン。ちょっと難易度上がった。
けっこうおもしろい。
Pen3でもさくさく動くのもよい。

だいたいの雰囲気が知りたければ

impressのレビュー

は参考になるだろう。
英語の綴りがめちゃくちゃだガナー。

氷川清話

氷川清話もじっくり読むとなかなか面白い。
勝海舟も面白いが、江藤淳の意気込みがまたすごい。

> 全体大きな人物といふものは、そんなに早く顕れるものではないヨ。
通例は百年の後だ。
今一層大きな人物になると、二百年か三百年の後だ。
それも顕れるといつたところで、今のやうに自叙伝の力や、
何かによって顕れるのではない。
二、三百年も経つと、ちやうどそのくらゐ大きい人物が、
再び出るぢや。
其奴が後先の事を考へて見て居るうちに、
二、三百年も前に、ちやうど自分の意見と同じ意見を持つて居た人を見出すぢや。
そこで其奴が驚いて、成程えらい人間が居たな。
二、三百年も前に、今、自分が抱いて居る意見と、同じ意見を抱いて居たな、
これは感心な人物だと、騒ぎ出すやうになつて、それで世に知れて来るのだヨ。
知己を千載の下に待つといふのは、この事サ。

今の人間はどうだ、そんな奴は、一人も居るまいがノ。
今の事は今知れて、
今の人に誉められなくては、承知しないといふ尻の孔の小さい奴ばかりだらう。

まったくそのとおりだヨ(笑)。
中途半端に有名になって、数十年で忘れられるくらいならば、
あくせくせず自分の好き勝手やった方がましだろう。

白南準は「芸術家には誰でもなれる」と言ったが、
誰もが白南準になれるわけではないのだがノー。

モーセと一神教

ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳「モーセと一神教」筑摩書房、 勝海舟著, 江藤淳, 松浦玲編「氷川清話」講談社、など読む。

「モーセと一神教」はずっと読みたいと思っていたのをたまたま電車待ちの時間に本屋で見つけて買ったもの。フロイトは80才過ぎてからモーセ論に凝り始めたが、その主張するところは、「モーセはエジプト人」「主(アドナイ)はエジプトのアトン神」「出エジプトはアメンホテプ4世(イクナートン)以後の無政府状態のときにおこった(従ってエジプトの軍勢に追われたり、紅海が割れたというのはすべて作り話)」「ユダヤ教はアトン神(エジプト起源の唯一神)とヤハウェ神(火山の神)の融合」「モーセはユダヤ人に殺された」「割礼はエジプトの古い風習」などなど。アトンは、エジプトの歴史の中で現れた唯一神で、イクナートンの時代に完成され、一旦は破綻した。もともとは無色透明無形な抽象神なのだが、一方でヤハウェは怒りの神、嫉妬の神、えこひいきの神。その本来全く異なる相容れない二つの神が融合したことによって、精神性が非常に高められた一神教が生まれたのだという。フロイトの学説はすべてうさんくさいのだが、モーセ論だけはほんとうじゃないかと思う。多神教でも、すべての神様すべての神話を統合しようとして抽象的な神様を付け足すことはあって、日本神話だと天の御中主の神がそうで、具体的な人格もなければ自然現象や動物や植物などとも関連がない、ただ名前だけがある。しかし名前だけの存在だから、生き生きと動き出すことはまずないし、そもそも後世に人工的に作ったものだから、個別の神話から遊離している。抽象神なのに具体的で強烈な個性というか自我を持った神がどうやってできたのか、というのは実はまだよく解明されてないようだ。

未来少年コナンDVD

なぜか未来少年コナンDVD全7巻購入。絵コンテ担当が最初とか最後はさすがに宮崎駿で固めているが、途中がけっこう違う人。高畑勲も混ざってたりする。その気になって観察したらけっこう違うのかも。

中東の地図を見てて、カラチャイ・チェルケス共和国とか、カバルダ・バルカル共和国とか、一度も聞いたことないような長い名前の国を発見。チェチェンやアゼルバイジャンほど暴れないので注目もされないのだろう。キヨスミ・シラカワとかアンナカ・ハルナとかキョウドウ・ミヤノサカみたいなものか。けっこう地名の括りがアレというか。ウラジカフカースという名前の町も。これはウラジヴォストークが「東方を支配せよ」という意味のように、「カフカスを支配せよ」という意味のようだ。カフカスにしてみれば迷惑な話だな。同じようなロシア語名に「ウラジミール」(世界を支配)、「ウラジスラブ」(スラブを支配)、などがあるようだ。

今昔物語

平凡社東洋文庫の今昔物語集を読破しようとしているのだが、なんかヤバイ本だよねこれ。インド、中国、日本、のいろんな説話を集めたものなんだが、執筆者はおそらくヒマを持て余した僧侶だろう。それも共同執筆かな。

インドもひどいが中国もひどい。日本の説話に至ってはこれはもう日刊ゲンダイか夕刊フジかというレベル、しかしインドや中国の説話にくらべればまだかわいげがある。中世の仏教が、いかにして恐怖と罪悪感によって純真爛漫な庶民を改宗させようとしたか、中国の儒教が、いかに孝行を絶対視して人間性をゆがめてきたか、今昔物語集をとばさず全部読むとわかるだろう。魯迅が中国や儒教を批判したのがピンと来ない人は今昔物語集を読むときっとわかる。魯迅の副読本というのかな。

適当に有名なやつだけ拾い読みしたり、子供向けに脚色したやつ読んだのではわからないだろう。

ひとつだけ例を挙げておこう。

あるところに天真爛漫な漁師が住む島があった。そこに魚がたくさん押し寄せてきて人間のように「阿弥陀仏」としゃべるので、漁師たちはわけもわからず「阿弥陀魚」という名前をつけた。「阿弥陀仏」と呼ぶとさらにたくさん押し寄せてくる。捕まえて殺して食べたが逃げもしない。「阿弥陀仏」と唱えれば唱えるほどおいしく感じる。あまり唱えない人は少し辛く感じる。そこでみんな味の良さに夢中になって「阿弥陀仏阿弥陀仏」と唱えまくる。そのうち最初にその魚を食べた人の一人が寿命で死んで、三ヶ月してから紫の雲に乗って戻ってきて人々に告げるには「魚は阿弥陀仏が姿を変えたものである。私たちが仏の教えも知らず愚かなのを憐れんで、念仏を勧めにやってきてくれたのだ。この縁によって私は浄土に生まれ変わった。」これを信じた漁師たちはみんな慈悲の心を起こし、永久に殺生をやめて阿弥陀仏を念じ奉った。やがてみんな浄土に生まれ変わって、島には一人も人が居なくなった。
(今昔物語集巻4第37)

うーむ。私には、狂信的宗教のために島民が全滅した話にしか思えないのだが。

太平記

今昔物語と太平記ってアイディアの宝庫だと思うんだよね。まあ、日本版千夜一夜物語というか。太平記は一応歴史書なわけだが。太平記ダイジェストいうのがあったんで、
読み始めたのだが、いきなり「太刀の先を口にくわえて櫓をさかさまに落ち、太刀に貫かれて壮絶な最期を遂げた」とかでてくるんで先が思いやられる。

清朝末期の改革

1894年の日清戦争から1911年の辛亥革命までの清朝末期の改革は、よく調べるとけっこう面白いのかもしれん。キーワードは、戊戌維新、百日維新、康有為、梁啓超、光諸帝、変法維新、章炳麟、etc。西太后は当時の中国社会そのもので、「もし西太后がいなければ」という仮定は無意味だと思う。西太后が居なくても他の皇族が担ぎ出されただけだろう。1898年、光諸帝が康有為や梁啓超らにうまく立憲君主制を作らせていれば、1900年の義和団事件も1911年の辛亥革命も未然に防げたかもしれない。そうするとそもそも日露戦争も起きなかったかもしれないし、そうなると韓国は一時的に日清の保護下に置かれたかもしれないが、韓国併合はなかったかもしれないし、そのうち日清韓同盟が力を付けていけば、遼東半島もロシアから取り戻せたかも。というか日本が遼東半島を割譲して三国干渉を招いたのがまずかったのかなぁ。とかいまさらどうにもならんことではあるが。

呉智英「犬儒派だもの」比較的新しい本だが、世田谷中央図書館にあった。すばらしい。
冒頭「声に出して笑いたい誤文・悪文」で長尾真の岩波新書「「わかる」とは何か」がやり玉に挙げられている。きわめて普通の工学書で、それ以上でも以下でもない。が、彼はどういうわけか京大総長になった。たぶん理系人間が京大総長になったのが気に入らなかったのだろう。岩波新書か何かに科学論めいたことを書かされて、わざわざ批判の矢面に立って、呉智英に馬鹿にされるとはあわれなことだ。どうも工学者は偉くなると哲学をほいほい語り出すのだが、専門となんの関係もなく実にナイーブだ。岩波新書なんてものに書くから読者も期待して読む。岩波の編集者も偉い人だからとほいほい書かせる。書けば中身に関わらず買うやつは買う。
そして皆が不幸になる。

Linus の Just For Fun(和訳)を読むと、世の中にはやはり文系と理系の厳然とした違いがあるなと思う。フィンランド人でも日本人でも違いはない。背が高い低いとか太ってるとかやせているというのは外見だから、見てすぐにわかる。しかし、文系理系というのは脳の中身のことなので、見ただけではわからん。そんな区別はないものだと言いたがる人もいる。しかし状況証拠から見ればやはり明らかにあるように思われる。

理系文系の違いは、理系は数学や物理に美しさを感じるということ。数学に心地よさを感じる人たちが集まった集団が理系。まあ、そういって間違いない。芸術学部の連中は、なるほど彼らは確かに美しさということに敏感であるし、関心が高いのであるが、数や数式が美しいとは決して考えない。いや、数を美しいと感じないからこそ、それ以外のものを美しいと感じる能力が発達しているのだと思う。数を美しいと感じる人は逆にそれだけで満足できてしまい、それ以外のものをわざわざ追求しないのだろう。

Linus が成功したのはタイミングが良かったからだろう。Linus と同程度の才能と意欲を持つ人間はいくらでもいたが、成功するには何か新しい流れが生まれるその現場に居合わせなくてはならない。Linus のような人材はつまり理系であり、オタクである。そういう人間を芸術学部の中で育てるのは不可能だ。そういう人材が欲しければ募集を工夫するしかない。カリキュラムでどうにかなるレベルを超えている。