浅草あるあるのトラップ

2週間ぶりくらいに浅草に戻ってきた。まず錦糸町のダイソーに寄って 80cm x 29.5cm のワイヤーネットを3つ、それからワイヤーネット用のフックを数個買う。ここのダイソーはアルカキット錦糸町という駅前のビル(北口から出て左すぐ)の7Fワンフロアぶち抜きの超巨大ダイソーで、東京観光のついでに立ち寄ってみる価値はあるっていうくらいのものすごい品揃えである。グーグルマップでダイソーを検索すると浅草にもあるし入谷にもあるしスカイツリーにもある。しかしながらこれらのダイソーはどこも小さい(品揃えが悪い or 売り切れが多い)。これらの地域から錦糸町に行くのはそんな難しいことではない。オンラインのダイソーにはあるが普通の店舗にはないっていう品が錦糸町に行けば必ずあるらしい(オンラインの在庫はここ錦糸町で管理しているのではなかろうか)。なら最初から錦糸町にいけよって誰か教えてあげたほうがよくないか?

錦糸町は以前来た時はめちゃめちゃタバコ臭かったのだが、競馬の日であったか。錦糸町にもウインズはあるんだよな。ドンキホーテが外装をまったくリフォームしてないのが潔い(逆に浅草のドンキはとてもあざとくおしゃれだ。入り口に水槽なんかあったりして)。しかしながら平日の駅北口辺りは普通にきれいで臭くもない。JRから押上方面への乗り換えが驚異的にわかりにくい。この町で観光客が乗り換えなどに使うことがないからであろう。グーグルマップを見ると街の東側を南北に通っていることがわかるから、多分こっちの方だろうと見当を付けていけば果たしてそこにある。ともかく半蔵門線に乗り換える。昔東急沿線に住んでいた私にとって、こんなところで半蔵門線にでくわすのは意外だ。

スカイツリーと言ったり押上といったり非常にややこしい。最初から押上塔とかそういう名前にしておけばよかったのに。アーバンパークラインとか高輪ゲートウェイとか師根と思う。私としては都営ではなく東武に乗り換えたかったのだが、なぜか東武のスカイツリー駅へ乗り換えるのが異様にややこしい。そもそも東武にはスカイツリー駅と押上駅があって、なぜか離れて作られていて連絡も悪い。頭おかしい。スカイツリー駅から浅草駅にいくことはできても、東武押上駅から東武浅草駅に行くことができない(曳舟まで戻る必要がある)。こんなルーティングを考えた人は世の中を舐めているとしか思えない。何か正当な理由でもあるのだろうか。大江戸線の都庁駅乗り換えくらい理不尽だ。いやしくも公共交通機関ともあろうものがこんな恣意的な設計をして良いのだろうか。罰則はないのだろうか。向島辺りを散歩して曳舟から浅草に戻ろうとしてえらいハマったことがあった。地元の人には当たり前のことでもよそから迷い込んできた私などには行政の怠慢と鉄道会社のエゴの合作にしか思えない。

浅草駅というものも非常に複雑怪奇である。浅草駅9番出口という脱出ゲームができるくらいである。銀座線の改札があちこちにあって、それぞれ別々の出口、別々の路線につながっていて、それらの間には連絡が無い。最初に銀座線ができたんだろうね。銀座線ホームを中心にしてタコの足のように分岐しているのだ。こんなわかりにくい駅はそう無いと思う。銀座線と東武の接続はそれら分岐の一つに過ぎず、その途中に盲腸のように付随している浅草地下街に行くには、結局一旦地上に出た方が早いということになる(地上も五叉路になってるから余計歩きにくい。そもそも浅草は五叉路が多すぎる)。都市デザイン的には非常に面白い話題だと思うのだが、こういうことは地球の歩き方浅草編などに書かれているのだろうか。

浅草界隈でいろんな飲み屋を開拓してみたものの通いたいと思える店は3、4軒くらいに絞られてきた。まあそりゃそうだよな。良い店でも客がみんなタバコ吸う店はやっぱ嫌だ。こんだけたくさん店があるんだから、わざわざ人のタバコの煙を吸わされる店に行く必要はない。浅草は田舎の場末感のある閑散とした平日が良い。店も土日と違い、平日はまったくやる気がないのが良い。平日はもう最初から諦めてる。

チェーンの店としては、まずほていちゃん。そして鳥椿。ここらで下地を作って夕方から個人経営の店をひやかしてそのまんま帰宅する、というのがよかろうと思う。そういえば未だに神谷バーには行ったことがない。わざと避けているのではないが行きたい気持ちが起こらないしいつでも行けると思うといつまでたっても行かない。そういえば東京ディズニーランドにも一度も行ったことがない。ユニバーサルスタジオならロサンゼルスで行ったことがある。ハウステンボスならけっこう行ったことある。

浅草で牡蠣を食べたい人は、六区通りにある宮城直送 かきほや飛梅 浅草店の16:00~18:00のカッキーアワーにいくと良い。牡蠣もホヤも半額で食べられてめちゃめちゃお得。全席禁煙。

ホッピー通りの店もいくらかは禁煙らしいので、割高とは聞くが、実際に行って調べてみる価値はあるかもしれない。

浅草あたりにはまだ鳥刺しやレバー刺しを出す店がけっこうある。私は昔上福岡で食べたことがある。たしか新宿三丁目にもあったから(いや高島平だったかな?)、平成の頃はまだ普通に食べられていたのだ。今食べるのはけっこう怖い。鶏や牛をわざわざ生でリスクを冒してまで食う必要あるかとは思う。

ワイヤーネットは窓枠にぴったりはまる大きさのものをわざわざ買ったのだ。やはりちょうどよかった。これでいろんなものを窓にぶらさげることができる。吊るせるものはなんでも吊るしたがる病気にかかっているので気持ちよい。片付く。

郵便受けに入るチラシだが、公明党、幸福の科学などが多い(笑)。浅草ならではなのだろうか。自民党のチラシもある。よそものには何もかも珍しい。

流しの水道の蛇口が古くて思い切りひねらないと水がとまらない。中途半端だと水がずっとぽたぽたたれて止まらない。思い切り締めると今度は開けるのに力が必要になる。金を払っても良いから大家に蛇口を交換してもらいたい。とりあえず不動産屋に相談してみるか。

世の中ものはすべてなんでも少しずつ改良が加えられて便利になっていっている。逆にいえば時代をさかのぼるほど少しずつ不便になっている。この建物もずいぶん古い。雨戸に隙間があって何の役にもたってない。サッシごと交換してペアグラスとか二重窓にでもしてくれりゃいいんだが賃貸にそんな贅沢は望めまい。

吉原の真ん中にビッグエーがあるためにしばしば吉原に通っているが、とにかく迎車(いかついワンボックスカー。白か黒。固有名詞で言えばアルファード)とタクシーが多い。ひっきりなしに入ってきては出ていく。横断歩道の手前で信号待ちしていると、横断歩道の途中からタクシーが左折してくるから右の方へよけなくてはならない。何から何までタクシーが幅を効かせているところだ。客が豪遊しにくるから運転手も気が大きくなるのだろう。ビッグエーがあるから仕方なく来ているがあまり来たくはないところだ。「神明 精米 あかふじ いつものお米 5kg」という謎のミックス米を買ってみる。ヨドバシで買うと税込みで4050円するらしいが(但し現在販売休止中)それよりは少し安く買えた。

ビッグエーはシャンプーやボディソープは手薄なので吉原からほど近いココカラファインに寄り、マツキヨオリジナル1000ml詰め替え用を買う。ボディソープやシャンプーなんて安くてふつうに洗えりゃいいんだよ、と思うが、一般人はどう思っているのだろうか。別に知りたくもないが。

あかふじ米ふつうにうまいと思う。一つの発見。どうも米はビッグエー信用すれば良いって思えてきた。

年を取ると楽しみが減るということ

もう10年くらい前から本屋に行っても本を買いたいという気にならない。今はこんな本が流行ってるのかーとか、こいつずいぶん書き散らかして売り散らかしてるんだなーとか、出版界の市場調査しているような気分になるだけで、本を買ってそれを自分の所有物にしようという気がおこらない。呉智英も本を買うと家が狭くなるから買わない、図書館で借りてくる、などというようなことを言っていたと思うが、もちろんそれもそうで、あーこの本欲しいなと思っても、その本を読んでいる自分を想像して、でもこれ国会図書館デジタルコレクションにあるからわざわざ買う必要ないよなとかまず思ってしまう。

デジタルコレクションにないような今の一番新しい本で買っておこうという本がない。あるとしてもすでに買ってしまっていたりするんだよね。

年度末には予算消化で多少無理して本を買ったりもしていたが今はそれすらない。

街の本屋で本を買うということは、自分の意志と判断で本を選んで買っているようで実は単にコマーシャリズムに負けて、出版社や本屋の営業の力に負けて、本の対価を支払わされているだけなのだ。実際本屋に並んでいない、市場に流通していない本をあえて入手して読もうと思うととたんに、ただ本を入手するというだけでとんでもない労力とコストが発生してしまう。街中の本屋に並んでいる本のどれかを適当に買うってのはとても受け身で楽なことで、コンビニでなにかものを買うのと本質的に何も違わない。テレビに勝手に流れてくる映像を見ているのと何も変わらない。

地方自治体の図書館だってそうだよ。利用客が減ると税金の無駄遣い呼ばわりされるからあれこれ工夫して本を読ませようとしているが、人から読まされる本なんてたいてい価値はない。そんなことを司書が知らないわけがない。

若いうちはまだ良い。知識や経験が足りないからお仕着せの本を読んでもまだ身になる。商業資本に毒されていようが、なんでも手当たり次第に読むというのも一つの手だ。

年をとると本屋に行っても時計を見ても、茶碗を見ても、あーもうこういうの持ってるし、服にせよ靴にせよなんにせよこれ以上買うとおんなじのばっかり家にたまっていくから買わない、となる。若い頃はそんなことはなかった。とりあえず、あ、これほしいと思えば買っていた。買うことができた。品物をそろえることで生活を豊かにしていくことができた。今はもう、何も買わなくてもなんとかなる。食べ物や酒にしてもそうで、別に今日酒飲まなくてもいいやと思いつつ、夕方になるとほかにすることもないので惰性で酒を飲んでしまいこれじゃいかんなと思う。浅草に部屋借りてしばらくは店を新規開拓して、それなりに楽しかったのだが、それが落ち着くと逆に、千束通りあたりで適当に買った惣菜で済まして、何もせず部屋でぼーっとしてようかな、などと思う。

ともかくものを買う楽しみというものがない。観光地に行っても土産物を買おうという気にならない。最近はちょっと梅干しとか沢庵に凝ってたがそれももうマイブームは去った。入院手術も終わって、新しい役職に就いて一年経ったからとりあえずルーチンワークは落ち着いたし、本の執筆も終わったし、正直何をやれば良いかわからん状態。人生デジャブだらけ既視感だらけになって、それもうやったことあるよな、やる必要ないよなってことばかり。みんなよく生きるのに飽きないよな。ここにこんなことをうだうだ書いているのも、ほかにやることないっていう証拠だ。

霞関集 大江戸和歌集

江戸時代に石野広道という人が編んだ「霞関集」という私撰集が新編国歌大観第六巻に載っていて、安政年間に蜂屋光世という人が編んだ、「霞関集」の続編的な「大江戸和歌集」という私撰集も載っている。江戸には京都から下ってきた堂上和歌の家元、つまり、冷泉、中院、武者小路、烏丸、日野などの公家が、徳川直参の幕臣に和歌を教えていた(実際に京都から公家が江戸に下ってきたのではなく、ほとんどの場合は書簡で教えを受けていただけかもしれない)。純粋に学術的に研究している人をのぞけば、この、江戸における堂上和歌に関心を持ちわざわざ調べてみようという物好きはほとんどいないようである。研究している人たちもそうした和歌に文芸的な面白みがあるとは思っていないだろう。

私はかつてもし幕末に孝明天皇が勅撰集を作ったらどんな歌集になるだろうかと考えて、「民葉和歌集」というものを試みに選ぼうとした。その頃、私には小沢蘆庵、香川景樹、上田秋成、賀茂真淵などの江戸時代の歌人はすでに見えていたのだが、近世歌人の全貌というものはまだ全然見えてはいなかった。徳川家継の生母月光院が冷泉為村に習って詠んだ歌などもわずかに知っていただけだった。

「大江戸和歌集」に採られた歌は当然「民葉和歌集」にも採られなくてはならない。今はほったらかしているが、もしこれから「民葉和歌集」を完成させるのであれば、当然それら堂上和歌も調べてみなくてはならない。また「霞関集」の編者石野広道やその同輩らの歌も、同じように調べてみなくてはならんと思った。これとは別に同時期に本居大平が編んだ「八十浦之玉」という私撰集があってこれも新編国歌大観第六巻に載っている。この「八十浦之玉」については調べなくともだいたいどんなものかは予想が付くのだが、やはりちゃんとこの機会にどんな歌が採られているか見てみる必要があると思った。

「霞関集」「大江戸和歌集」などの江戸堂上和歌は、賀茂真淵が始めた県居門の和歌、つまり万葉調の和歌とはひどく対立していたらしい。村田春海はもともと江戸堂上和歌派であり、「霞関集」の初版には歌を採られていたが、後に真淵の県居門下に入ったために、「霞関集」の新しい版からは歌を抹消されたという。「八十浦之玉」は宣長の息子が編んでいるから、真淵と同じ国学の一派ではあるが、真淵の万葉調とはまた全然違う。しかしながら村田春海と宣長は同じ真淵の弟子どうしで(表向きは)仲良しだったから、その人間関係はかなりこみ入っている。

ともかく「民葉和歌集」はそれら江戸時代の歌人らの歌を門派によらずみんな採録して、また、21代和歌集に続く、22番目の勅撰集という形でまとめたいので、それまでの勅撰集に漏れた古歌も合わせて採りたいと思っていて、ちゃんと作るのは相当な手間だ。ものすごい大仕事になる。江戸時代の和歌というものは全然知られてないだけでものすごく莫大なボリュームがあってそれを一通り調べるだけでも気の遠くなるような作業が必要で、ちゃんと研究している人はいるにはいるけどほとんど手が付けられていない状態だと思う。世の中の人たちはみんな小倉百人一首レベルの知識で止まっていて、或いは明治以降の新派和歌にしか興味がなくて、250年間続いた江戸時代の和歌を総括しようという人はいない(いや、いたのかもしれないが全然成果が出ていない)。江戸の幕臣たちが膨大な和歌を詠み遺していたなんて誰も知らない。

で、実際江戸時代の和歌には価値がない、調べる価値がそもそも無いのかというと、石野広道の歌をちらっと見た感じではけっこう面白い。たとえば、

かすかなる 田づらの庵の ともしびも 蛍やおのが 友とみるらむ

など。堂上和歌を模倣した以上の機知がある。師の冷泉為村なんかよりずっと面白いのではなかろうか(私は加藤千蔭や村田春海の歌はちっとも面白いとは思わないが石野広道の歌はかなり面白いと感じる)。現代の私たちが和歌を詠むのに役に立つヒントやアイディアがかなり含まれているように思われるのである。

江戸時代ってやっぱすげーなと思う。我らは江戸時代に対してテレビドラマの時代劇でみるうすっぺらいイメージしか持ってない。しかし水戸黄門にしろ、吉宗評判記にしろ、最初放送がスタートした頃はすごくきゅっと締まった硬派な番組だったんだが、しだいしだいにだらけてきて、ただの紋切り型のチャンバラになってしまった。そういうものばかりみているから江戸時代なんてちゃらいと思いがちである。

加藤千蔭とか村田春海とか、よくもまあこんなチャラい歌ばかり詠んだものだとあきれかえるのだが、今はほとんど忘れ去られた優れた歌人や歌が、或いは随筆や評論や研究が、長い長い江戸時代には実はみっちりとつまっていて、膨大な堆積物となって遺されている。それらは第二次世界大戦の敗戦という壁の向こうにあって、さらに明治維新というものが目隠しになっていて、今の私たちには容易に想像できないものになっていて、きちんと読む人もいない。

そういうものをどんどん掘り返す作業をしなきゃいけない。実にもったいない鉱脈である。そもそも雄略天皇以来1500年の和歌の歴史というものはものすごく分厚くて、そう簡単にわかるものじゃあない。図書館に行くと日本歌学大系という佐佐木信綱が主体となって編んだシリーズものがあるがこれとは別に歌学文庫 本居豊頴 監修 室松岩雄 編 法文館書店というものがあって、これは要するに宣長のひ孫が編集したものらしいのだが国会図書館デジタルコレクションで見れる。恐ろしい。また世の中には筑摩書房の宣長全集というものがあるが、これとは別に本居全集 吉川弘文館というものがあってこれがまたすごい。さらに荷田全集(荷田春満)というのがあるがこれまたすごい。国会図書館の送信サービスめちゃくちゃすごい。そういうのが明治以降戦前までに相当するまとめられていてこれらを読むだけでもあっという間に10年くらいはかかりそう。世の中のつまらん俗事に時間を取られている暇などないのである。

トランプとゼレンスキー

思うに、トランプとゼレンスキーはカメラに写っていないところでいくらでも話はできたはずだ。公開の場でああいう喧嘩をしたということは、あれはヨーロッパやロシアに対するゼスチャーであって、落とし所は別の所にある、と考えるのがふつうではないか。テレビはしょせんショーなのだ。台本があったとしてもおかしくない。もちろんやらせがばれないようにある程度ガチンコで討論もしたのだろうが。アレを見せられたアメリカ人やヨーロッパ人が、トランプはまたわけのわからんことを言っている、ゼレンスキーがんばれ、ウクライナかわいそう、と思わせればそれで良かったのだ。トランプは一生懸命道化師役を演じている。アホな独裁者役に徹している。茶番だ。

ゼレンスキーもトランプも考えていることは同じなのではないか。ロシアに喧嘩を売るのが早すぎた。もう少し待っていればプーチンは死ぬ。それが自然の摂理だ。ロシアにプーチンの後継者は育っていない。ロシアはもはや国家としての体をなしていない。ちょっとばかり天然資源があり、冷戦時代の遺産があるのみだ。

今ゼレンスキーがトランプの停戦協定を飲めばそれが既成事実となって、東ウクライナもクリミアもロシア領ということが確定してしまう。

一度始めてしまった戦争をチャラにはできない。ゼレンスキーはともかく今の状態をできるだけ長引かせてプーチンが死ぬのを待ちたい。トランプはもうこれ以上ウクライナに金を使いたくない。だからテレビの前で二人はガス抜きをして見せた。

それだけのように思える。

要するにおっちょこちょいなボリス・ジョンソンが痴呆のジョー・バイデンをそそのかしてゼレンスキーをおだてて戦争を始めてしまった、そのタイミングが悪い。

フランスがドイツに核配備するとかポーランドが核武装するとかキチガイ沙汰だ。ヨーロッパは頭に血がのぼってしまい、あとにひけないところまでおいつめられている。実に愚かだ。ゼレンスキー一人であんな戦争ができたわけはない。彼は単なる役者だよ。アイコンに過ぎぬ。第三次世界大戦に賭けようとしているのはヨーロッパで、トランプはゼレンスキーの肩ごしにヨーロッパに警告しているのだ。

日本政府は「ウクライナ戦争」のことを「ロシアによるウクライナ侵略」と呼んでいるらしいが(ヨーロッパなどの呼び方にならっているだけらしいが)非常に誤解を招く表現だと思う。ではもし韓国が実効支配している竹島を自衛隊が奪還しようとしたら、或いはもし自衛隊が北方領土に兵を派遣したらそれはどうか。韓国軍が、ロシア軍が駐留している地域から、はいあなたそこうちの土地だから出て行ってねといって何の見返りもなしに素直に出て行くわけがない。そこをごり押ししたらどうなるか。やってみれば良い。簡単なことだ、自衛隊が竹島に上陸しさえすればよい。なんなら尖閣諸島でも良い。日本はそんなことすらできないではないか。吉田寮ですらまだ明け渡されてないではないか。

吉田寮はどうやって解決するかって?全共闘世代の年寄りがみんな死ぬのを待つのが一番無難だよな。だけどそろそろ強制退去執行してもいいんじゃないの。手ぬるいよな(笑)。

草枕

夏目漱石『草枕』の冒頭は有名な

山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

であるがその数パラグラフ後に

あらゆる芸術の士は人の世を長閑
のどか
にし、人の心を豊かにするが
ゆえ

たっ
とい。

住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。着想を紙に落さぬとも璆鏘のおん胸裏きょうりおこる。丹青たんせい画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさい絢爛けんらんおのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かくかんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めればる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺縑なきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのう解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかい出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじ乾坤けんこん建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよく覊絆きはん掃蕩そうとうするの点において、―― 千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。

などと芸術論を語っているかのごとき部分がある。

人の世は住みにくい。その住みにくさを少しでもやわらげて住みよくするものが芸術である、芸術とはたとえば詩であり、絵画であり、音楽であり、彫刻である、などと言っている。

しかし漱石は決して、一般論としての芸術のことをここで論じたかったのではあるまい。まして西洋美術、西洋音楽などのことを言いたかったわけではあるまい。詩とはすなわち漱石が愛した漢詩のことであり、自ら作詩することであったに違いない。そうしてみると絵というものも実は漱石はプライベートに描いていたのではないかと調べてみると、けっこう描いていたということがすぐにわかるのである。

漱石の絵というものはしかしおそらくなにかの模写のようなものではなかったか。絵を描くのはもちろん難しい。しかしながら模写は割と誰でもできる。模写した絵は元絵があるのだが、その元絵から模写された絵というものはたいてい、構図とか画題は優れていても、なんとなくふんにゃりとしていてしまりがない。

画家が自分で描いた絵というものは、構図というか構成に主張があるし、何を描きたいかという画家の意思が見える。目の前の世界に対する感性がそこには表れている。模写にはしかしその意志がない。感性が鈍い。何を描きたいのか、その主張が弱い。個性が無い。そもそもこの人はなぜこの絵を描いたのか、描かねばならなかったのか、その必然性が伝わってこない。

写真もそうだが絵はまず世界から描きたい矩形を切り取らねばならぬ。写真と違い絵はその矩形を絵の具と筆で埋めねばならぬ。そうやって世界を解釈した結果が絵だ。その絵をみて感動した人がそれを模写する。漱石もそういうタイプの、絵を愛好する人だったはずだ。時間をかけて絵の修業をした人ではない。だからああいう、目力の無い、穴が空いただけのような目になったのだと思う。そう、人真似をして「絵」を描くことはできても「目」を描くのはむずかしい。

模写というのはつまり、私も画家のような絵が描きたいという願望だけがあって、絵そのものを描いているわけではないからだ。だから人物画でも目に力が無かったり、風景画でも配列が直線的であったりする。

漱石に画家の素養を求めるのは酷であろうが、詩は違う。漱石はかなり本気で詩を作っていた。自分の才能に密かに自信を持っていた。音楽と彫刻というのは単なる付け足し、目くらましであろう。要は、漱石は自分が漢詩を作る意味、意義というものをここで熱く語っているのである。漱石はイギリスで西洋文学を学び、それを日本に輸入し、それに基づいて小説を書く人だ、その規範となる人だと思われている。しかし漱石は江戸時代の荻生徂徠のような詩を作るのが好きであった。洋行するよりも作家になるよりもずっと前、子供の頃からそういう趣味があった。しかし漱石の詩を褒める人も、愛好する人もいなかった。漱石の描いた絵を珍重する人はいたが、漱石の詩は古めかしく退屈なもので、いわゆる旧時代の遺物のたぐいであって、何の価値もないものだとみなされていた。

漱石は漢詩はともかくとして自分の小説は誰もが注目していることを知っていた。その小説の中に、「草枕」の冒頭から少しずらして、読者がふと気を抜くあたりに、さりげなく、自分の熱い主張を埋め込んだのだ。漱石はさすがに自分の詩をそのまま小説に埋め込むことは控えた。しかし自分が詠んだ俳句はたくさんちりばめた。おそらく目くらましのためであろう、英語の詩さえ引用した。編集者に見せて、これは小説ではないと怒られただろうから、仕方なくストーリー性のある話にしたてて小説仕立てにして渡した。新聞社としては漱石先生が書いた紛れもない小説であるから掲載した。そんないきさつであったのではないか。

漱石にとって小説というものは世渡りのために書かねばならぬものであった。世の中は無理解なものであった。越すことのできぬもので、それを越してしまえば人でなしの国に行くばかりであって、人でなしの国は住みにくい今の世の中よりさらに住みにくいだろう。その住みにくい世の中で、自分にとって息抜きとなり、くつろぎとなるのが詩である。

明らかに漱石はそう主張している。

しかも、漱石はおそらく自分を芸術家だと思っている。小説家としてではない。詩人だと思っている。それが自分の天職だと思っている。人の心を豊かにするが故に尊いとまで言っている。なんという悲しい詩人ではないか。私たちは漱石のその悲しみを知っていただろうか。誰かそれを指摘した人が今までにいただろうか。

漱石は自分は王維や陶淵明のような詩人ではないと言っているがそんなことは当たり前で、どんな偉い詩人だって敢えて自分を王維や陶淵明と比較したり、まして張り合ったりしない。それ未満の、例えば日本の漢詩人とは比べようがあるくらいの詩人ではあるというプライドを持っていた。もしそんなプライドがなければ、自分の詩を自分の小説の中に入れて抱き合わせにして人に見せたりすることもできたろう(※追記あり)。編集者に頼んで新聞に載せてもらうこともできただろうし、無理強いすれば詩壇の講師にもなれたかもしれない。しかし彼はそうはしなかった。誰かが彼の詩を評価してくれるのを待っていた。小説家としてではなく、詩人として評価されるのでなければ詩を人に見せたくはないと思っていた。詩とは違い俳句は漱石にとって単なる遊び、日々の座興に過ぎなかったから、自分の俳句を小説に載せることにはなんの抵抗もなかったようにみえる。

西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛
ばんこく

うれい
などと云う字がある。詩人だから万斛で素人
しろうと
なら一
ごう
で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨
ぼんこつ
の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の
かなしみ
も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。

ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌
しいか
の純粋なるものもこの
きょう
解脱
げだつ
する事を知らぬ。
どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世
うきよ
勧工場
かんこうば
にあるものだけで用を
べん
じている。いくら詩的になっても地面の上を
けてあるいて、
ぜに
の勘定を忘れるひまがない。

うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりのうちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘がのぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす深林しんりん人不知ひとしらず明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちにゆう別乾坤べつけんこん建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てたのちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気のんき扁舟へんしゅううかべてこの桃源とうげんさかのぼるものはないようだ。余はもとより詩人を職業にしておらんから、王維おうい淵明えんめい境界きょうがいを今の世に布教ふきょうして広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几さんきゃくきかついで春の山路やまじをのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしのでも非人情ひにんじょうの天地に逍遥しょうようしたいからのねがい。一つの酔興すいきょうだ。

芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえな事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、じいさんもばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。

今の人は西洋の詩にかぶれている。西洋の詩は住みにくい世の中から解脱することができない。しかし東洋の詩は幸いなことに住みにくい人の世を解脱している。自分は詩人ではないけれども、すこしの間でも、非人間的な天地に逍遙したいから、絵を描いたり、詩を作ったりするのであると。馬がしょんべんするのを芭蕉が俳句にしたように私はありとあらゆるものを大自然の点景として詩にしてみよう。これが漱石の信仰告白でないとしてなんであろうか。

現代において詩作は睡眠と同じくらいに必要であると漱石は言う。

漱石はたぶん新聞社の編集者から、或いは読者から、或いは弟子から、徳冨蘆花の不如帰や尾崎紅葉の金色夜叉みたいな通俗小説を書いてくれとか、ファウストを書いたゲーテやハムレットを書いたシェークスピアのような文豪になってくれと言われた。あるいはそんな小説の書き方を教えてくれと頼まれたのだろう。そうじゃないんだよ、自分はそういうものが書きたいんじゃない。詩人になりたいんだ、俗世間から解脱したいんだ、そんな自分は常の人よりも苦労性で、神経が鋭敏なんだよ。漱石は明らかにそう言っているではないか。だからこんな「草枕」みたいなへんてこな文芸論のような芸術論のような小説を書いてみせたのだろう。

そういえば「坑夫」でも

自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。

などと最後の最後に余計な言い訳を付け足している。編集者は漱石がなかなか(幸田露伴や尾崎紅葉のような)小説らしい小説を書かないのでじれていたに違いない。漱石はいつも小説ばかり書け書けと言われて困惑していたに違いない。そして漱石が書いた小説はなぜかいつもよく読まれた。読者がついた。当代一の売れっ子作家であった。なぜなのだろうか。小説の終わりに「これは小説ではない」と言われると小説のつもりで楽しく読んだ読者(私を含む)は困ってしまう。いったいそれはどういう意味なのかと。

ウィキペディア「草枕」を見ると、「草枕」は芸術論、西洋芸術と東洋芸術の比較であると言っているが、それには違いないが、もっと端的に、詩人になりたかったのにどういうわけか小説家として名を成してしまい、詩人としてはまったく評価されなかった漱石という人の憤懣をぶちまけたものだと考えるのが正解だと思う。

松岡正剛の千夜千冊 『草枕』夏目漱石。なるほど。小説として読めばそういうことになろうが、漱石が言いたかったこと(というか訴えたかったこと)は私の解釈でほぼ間違いないと思う。

『猫』『坊っちゃん』のソフィスティケーションの奥の奥には、もとから『草枕』の俳諧漢文めいた雅趣低徊が鳴っていた。「深淵」とはそのことだ。

そんなもって回った言い方をしなくても良い。漱石は通俗小説より漢詩が好きだった。それがそのものズバリなのだ。

給付金請求

入院4日目(退院)。

何事も問題無く朝10時に退院。入院時に既に必要な保険証等(マイナンバーカードを含む)を提示済みだったので、会計カウンターでクレジットカードで支払って領収書と診療明細書等を受け取るのみ。差額ベッド代と食費は保険対象外。

「安藤レイ」を読み直すとひたすらイヤホンしてテレビを見ていたらしい。私は今やテレビなんてまったく見ないし、当時も普段そんなに見るほうではなかったのだが、ネット環境がないのでテレビ以外にヒマを潰す方法がない。NHK総合の朝のニュースを延々と見ていた。当時、鈴木奈穂子とか渡辺蘭が出てた。今はテレビなんかみるまでもない。u-next でも netflix でも見放題(もちろん病院のではなくて個人のアカウントで)なのだし、なんならノートPCで仕事したり執筆活動したりもできる。

だからテレビや冷蔵庫が無料な差額ベッドなんかちっともうれしくない。しかし世間一般の人たちはテレビをみるものであるから、そんなに不満も出ないのかもしれない。

それで、差額ベッド代と食費を合わせて1日あたりおよそ1万円かかった。しょうがない。

私が入っている某生命保険会社はペーパーレス化を進めていて私はすでにオンラインサービスにアカウントを持っていたので、給付金の請求も全部オンラインでやってみる。

以前はまず電話して生命保険会社から必要書類を郵送してもらい、病院から診断書を発行してもらい、それらを生命保険会社に郵送して、承認されればお金が振り込まれていた。

しかし今回は、スマホで診療明細書(全3ページ)の写真を撮るだけで、後は必要事項を入力して給付金を請求することができた。ものの30分ほどで済んだ。入院期間、病名、手術名などは診療明細からある程度まで自動認識できるようだ。すごいね。ていうか入院記録も全部マイナンバーカードで参照できるようにすりゃいいだけだよな。確定申告も。全部。そういう時代はまもなく来るに違いない。

2000年の頃だったか香港旅行したとき地下鉄にはオクトパス(八達通)というICカードがあった。その後日本でもSUICA ができ PASMO ができた。バーコード読み取りの決済はむしろ退化にみえる。さっさと全部マイナンバーカードでなんでもできるようになってほしい。東京国立博物館の入場口見てると、オンライン予約やら当日券やら学生証やら教職員証やら(東京藝大の学生は無料で入れるんだよね?)障害者手帳やら、チケットがまったく統一されてないから、自動化できない。チケットもぎりの学芸員の人がいちいちチェックしている。ものすごい労働力の無駄に思える。

まあ、めんどくさいっちゃめんどくさいんだが、でもこんなに短時間で済んだのはすばらしいことだと思う。

昔はNHKのニュースも今より面白かったように思うが、実際にはただ単に今はニュースでみるものきくものすべてが嫌いになってしまっているだけで、ニュースというものは昔も今も全然大差ないのだろうと思う。

昔に比べてこらえ性がなくなった、というより、ありとあらゆるのものが不快に感じられるようになった(より正確に言えば好きでも嫌いでもない、別に気にならないものが減ってきた)。四人部屋で他の三人の誰かが寝ていれば必ずいびきをかく(もちろん私もかいているが自分のいびきには気付かないだけだろう)。相部屋で隣に客が来てだべっているのがいらいらして仕方ない。だからずっとノイズキャンセリングイヤホンをつけっぱなしだった。13年前46才で入院したときはいまほど気になってはいなかったはずだ。

米不足

世間の米不足なんだけど、たしかに農林水産省が備蓄米の放出を渋ったとか、一部の転売屋や、他業種で倉庫たくさん持っているところとかが買い占めをしたということは、多少はあったと思うが、問題の本質はそこじゃないと思うんだよね。

まず、米自体は多少豊作だったらしいがもともと品不足だった。

そこに米が値上がりするぞーっとマスコミが報道した。

そうすると消費者自身がまず買いだめするじゃん。きっとかなりの量の米が、個人宅に買いだめされた状態だと思うよ今は(飲食業者もまた自分の倉庫に可能な限り買い溜めしているに違いない)。トイレットペーパーだろうとプレステ5だろうと消費者はなんか値上がりするぞーって話になるととたんににわかセドリ屋になる。

個人はたっぷり米を買いだめていてそれをちびちび食べてなくなったらパンかうどんか蕎麦を食ってる。米の値段は高止まりで買う人もいない。もともと品不足だから市場に供給する人もいない。備蓄米を放出しても効果は少ない。

コロナのバカ騒ぎの時何が起きたか。なぜマスクが高騰し品薄になったか。一般人がみんなマスクを買い占め買い溜めしたからじゃん。あれとまったく同じだよ。一般人が自分で自分の首絞めてるのよ。ただそれだけよ。ニュースかSNSでどこかの倉庫に積み上げられた米俵見て野生の本能に魂を焼かれて、あーこれは自分も買わなきゃーって思っていつもより高いのに買っちゃうやつがいくらでもいるからなのよ。そんなだから株やっても儲からないんだよ。民間人はいつも政府のせいにする。誰も発言に責任をもちやしない。米は冷蔵しなきゃコクゾウムシがわくぞってニュースが言えばコストコ用に買ったでかい冷蔵庫の中身を処分してそこに米を入れるだけのことなのよ。政府は無能だ、或いは国民をだましている、そんな陰謀論が出てくるが、ただ単にみんながちょっとずつちょっとずついつもよりも多めに買った結果流通が麻痺しているってだけのことだろ。

こないだもヨドバシの開店前7:00くらいから並んでいるやつらいたがあいつら何なの。あんなことしていくら儲かるわけ?どうせはした金だろ。1個58円の納豆に行列作ったからと言ってそれが何になるというの?ポイ活とか言ってせっせとポイント貯めてそれがいったいどれくらい家計の足しになるっていうの?どいつもこいつも場外馬券場に群がる博打依存症患者と同じじゃん。

今やベトナムは世界第2位のコーヒー豆輸出国なのだがそのベトナムでジャポニカ米を生産している。アメリカはカリフォルニア米を作ってる。そういうものがある程度の規模で日本市場に出回っていたほうが、米価格は安定すると思うんだ。日本の総合商社が世界中あちこちでジャポニカ米を作って輸入できるようにすれば良い。逆に日本の米は品質が良いのだから海外に輸出すれば良い。ついでに零細農家に補助金出すのはやめて農協も解体して日本農業を株式会社化すりゃいい。結論はわかりきっている。

いまだにカロリーベースで食料自給率とか言って煽って騒いで、米は国産に限るなんていってるからバイヤーに良いように値段を付けられちゃうんだよ。

SNSは農水省を叩いたり、米が積まれた倉庫の写真をアップして騒げばそれで終わり。定量的分析なんてまったくやりゃしない。そりゃいかがわしい業者の一つ二つ、調べれば出てくるでしょうよ。でもそんなの大勢には何の影響もない。違うの?

玉子にしろキャベツにしろもともと適正価格よりも安すぎたものはもう元には戻らない。米もこれまで安すぎたし、経費や物価も上がってるし、10kg 3000円なんて値段には戻らないだろうけど、要はコロナ騒ぎと同じで、みんながわーっと騒いで庶民は共通の敵をこしらえて攻撃して留飲を下げているだけで、何も本質的な議論もされていなければ、本質的な解決もなされていない、マスコミも評論家も役立たず、陰謀論は跳梁跋扈する、要するにホモ・サピエンスは数十万年前地上に生まれて以来、まったく進化してないってことよ。

まだなんとか生きている

入院3日目。

昼間寝てばかりいたので真夜中にも目が覚める。

いつものことだが隣のいびきがうるさい(笑)。よっぱらいがいきおいよくかくいびきではなくて、なんかうなっているような、寝言のような、よくわからんいかにも年老いた病人のいびきだ。

ノイズキャンセリングイヤホンなしでは生きていけない体なので寝ている間もそれをつけて、ときどき外して充電などしている。耳栓をもってくるのを忘れた。耳栓無いときはティッシュを噛んで湿らせて耳に詰めている。これが一番簡単で効く。

ひまつぶしに、夫が脳梗塞になりまして、なんていうマンガを kindle unlimited で読んだりしたが、若い人も入院しているが、などと書かれているけど、私の周りはいつも年寄りばかりだ。46才で入院してから何度も入院を繰り返しているが私の周りに若い人がいたことは一度もない。

カテーテルを右首と右鼠径部から挿したのだが、首はまったく痛くないが、鼠径部が麻酔が完全に切れたせいか少し痛む。我慢できないというほどではない。

「安藤レイ」を読み返すと「止血バンドを半日も縛り続けるのがほんとうに苦痛だった。」などと書いていて、そんな止血バンドなんてものは今回使ってないし、そんなに痛くもなかったなと思う。

基本的に傷口がふさがれば即退院、翌日にはもう土曜日出勤の仕事だ。日常が帰ってくる。

すでに歩いてもよいとはいわれている。ふだん小銭は使わないのだが、飯があまりにも味気ないので、緑茶を買ってきて、ご飯にかけて食べている。

深夜に起きていたら看護師さんが見回りにきて、尿検査があるからトイレに行ったときにナースコールで呼ぶように言われた。

看護師も医者もみんなものすごく若い。肌が生き生きしている。みんな研修中なのか?年取った人はどうなるのだろうと思ったら手術室の中にいた。採血に来た人も割と年が行っていた。

生命保険会社に入院給付金と手術給付金を請求しなきゃならない。今回はどうもオンラインだけで手続きができそうだ。入院(退院)と請求が年度末をまたいじゃいけないとかいうことはないよな?

今回はマイナンバーカードを提示したことで高額医療費手続きなしで高額療養費の限度額を超える支払いが免除てのを初めて試してみたのだが、今までといろんなことがいろいろ変わっていてきちんとまとめておきたい。

病院は差額ベッド、つまり有料ベッドだけにして無料ベッドをなくそうとしているのではないか。wifi飛ばすのだって金はかかるし、病室のメンテやリフォームにも金がかかるし、そういうのに差額ベッド代を当てようとしているのではなかろうか。

アパホテルくらい狭くていいから個室にしてほしいな。いや、風呂やトイレは共同で良い。ベッドとロッカーくらいしか要らない。テレビは要らない。冷蔵庫も要らない。ただ人のいびきを聞きたくないだけ。自分のいびきを人に聞かれたくないだけ(笑)。たまたま隣になった人の世間話なんか聞きたくないし、私のところに面会に人が来たらその会話も聞かれたくない。

ストレスのない生き方

入院2日目。アブレーション(カテーテル治療の日)。

これまで私は自分を追い込んでたまったストレスを酒で解消するという仕事の仕方をしてきた。ストレスがなければあまり酒を飲みたいとも思わない。これからはストレスがたまるような仕事をしないようにしよう。ストレスがたまる仕事というのはつまり人と違った、何か新しいことをやろうとして自分を極限状態においてギリギリまで追い詰めるような仕事なのだが、もう何も新しいことはしないと決めてしまって、今年は去年と同じことを繰り返すと決めてしまえば楽になれるし、空いた時間で何か新しいことに挑戦しようということもしなければ良いのだ。私はもう年寄りで十分これまで仕事をしてきたのだし、これから新しい時代に適用する必要もないのだから、ストレスのない生き方、仕事の仕方をしよう。そして時々なめるように酒をたしなむことにしよう。

今回入院してみてわかったことだが、平熱が低い。ほぼ35℃台。あと身長も縮んでいる気がする。5ミリか1センチくらい?もう60才だから仕方ないよなー。加齢は確実に進行している。

アブレーションの手術は12:30から予定されていたがなぜか14:00からになった。前の手術が長引いたか、主治医の診察が長引いたか、いずれにしてもよくあることではある。

前回は尿道カテーテルで痛い目にあったのだが今回はオムツになっていて痛む心配はなくなった。おむつと言っても紙おむつのようなものではなくてなんか特殊なもの。

全身麻酔が効く寸前、顔がひりひりするような感覚があったがそのまま意識を失う。

終わったあと前回は鼠径部になんかテニスボールのようなものを当てて圧迫止血していてそれがけっこう痛かったのだが、今回はそれもない。特段痛いということもない。

おわって4時間は絶対安静ということで夕ご飯は21:00から。飲み込むときにのどに痛みがあるのはおそらくのどに管を通していたのだろうが、ゆっくり飲み込めばそんなに痛いことはない。

コロナ騒ぎの直前、4年前に受けたときとはずいぶん進歩したように思う。医学の進歩というものはありがたいものだ。

「いやあ、ここは最高です。値段も最高級の施設のようですがね(笑)」作家・筒井康隆(90)が終の棲家に“高齢者施設”を選んだ“納得の理由”

筒井康隆が自宅で転んで要介護となって、今は施設に入っているという話だが、こういうのを読むと、自分もこうなりたいのかなあ、違うんじゃないかなあといろいろ考えさせられる。筒井康隆のように功成り名を遂げた人はいまだ棺の蓋が閉じられていないというだけで、後世の評価はもう100%確定している、と言えるのではないか、これ以上あくせくと業績を積もうとせずのんびり余生を送ればよいのではないのかなどと。

私は死後の世界などないと思っているし、長生きしても意味はないと思っているし、あと一年ばかり生きて私の遺言替わりの本が出るのを見極めたらいつでも死んで良いとも思っている。ただじゃあ死ねと言われて、または死のうかと思って死ねるかというと死ねない気もするし、実際明日死ぬと決まるととたんに死のうという気持ちもうせてしまう気もする。ただ理屈から言えば、私はもう新しいことは何もしないと決めたのだから、これ以上長生きすることには意味はないと思っている。

縄文時代の人生に意味があったかといえばそれはそれであったのだろう。縄文時代がなければ弥生時代もなく古墳時代もなく、それらの時代の文字記録がまったくなくとも、記憶の連鎖という形で、死んだ人の生きざまというものは、集合知として今の世にも残っているのだ。

新明解国語辞典では、

「凡人」は、自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人

と定義されているそうだが、そうすると2万年近く続いた縄文時代の人間は後世に影響しなかったという意味で全員凡人だったということになるが、実はその影響力が文献等で確認できないだけで、実は無数の無名の偉人らが歴史に影響を与えているのだ、とも言える。現代においても同じ理由で「影響力が皆無」な人などいないという考え方もできる。

厳密にいえばだれにもなんにも影響を与えず何も残さずに死んだ人などいないわけで、私もまた、何ら新しいことをしなかったとしても、それが一文字たりと後世に残らなかったとしても、周囲の人と会話をしただけでそれは未来に影響を与えているのだから意味はなくはないともいえるかもしれない。

心房細動

入院1日目。

心房細動は私の場合30才頃から既に出ていたらしい。そのころ一度そういう診断を受け精密検査しろと言われたがほっといていた。

定期健診で心電図を取るとき私のときだけ信号にノイズが乗るから肩の力を抜けといつも言われていた。そのノイズというのが実は心房細動だったはずだ。

若い頃から心房細動が頻繁に出ていたとして、それだけだと大したことにはならないはずだが、心拍が不規則になるから、頻脈が続いたり徐脈が続くと心臓に負担がかかるということはあったのかもしれない。あるいは仕事のストレスが関係したかもしれない。厄年を過ぎて体調に変化があったのかもしれない。とにかく私にとってはその心房細動がおおごとになったらしい。

心臓に負担がかかると高山病と同じで心臓が肥大してくる。肥大するとさらに負担が増えてどんどん膨らんでいく。小さな心臓は肉厚で力強い。大きな心臓は薄くて力が弱い。膨らんでしぼんだ風船のようになっていく。

46才の時にとうとう肺に水がたまるようになった。足もむくむ。心臓の力が弱まって、水を心臓へ戻せなくなったためだ。体中が水浸しになってしまう。坂道を上るにも途中で休憩しなくてはならなくなり、坂の上の病院で診てもらい即入院。一度退院したが、心室細動も出るようになって除細動器を入れることになった。

私は虫歯などをのぞいてだいたいにおいて健康なのだがこの心臓の持病だけは困っている。酒の飲みすぎとか不摂生とは直接関係が無いように思う。遺伝は少しはあるかもしれないが、これもほとんど関係ないように思う。

普通心臓には一か所だけペースメーカーになる細胞(洞結節)がいて、こいつが出す電気信号で心臓全体がいっせーのせいで鼓動する。しかしながら、ペースメーカーになりたがる細胞が複数いると、指揮者が何人もいるオーケストラのような状態になって、心拍が安定しなくなる。心房細動があると心臓の中で逆流が生じたり弁膜症になったりするらしい。逆流ができると血栓ができやすくなりその血栓が脳に詰まると脳梗塞になる。心臓の冠動脈に詰まれば心筋梗塞になる。

それでペースメーカーとなる主たる細胞以外を焼き殺すのがアブレーションという手術。カテーテルでやる。今入院しているのはそれだ。

年を取ると誰でも多少心房細動は出るらしいんだが、私のように出っぱなしになるとまぎれもなく病気だ。

46才の頃はもうすでに小説を書き始めていて入院した経験を「安藤レイ」という小説にした。これは第28回太宰治賞の一次選考を通過した(2012.02.13)。私が新人賞というものに応募して多少ともかすったのはこれだけだ。2013年10月から「安堂ロイド」というテレビドラマが放送されたのだが、私には何の連絡もなかった。木村拓哉が主人公の安堂ロイドというのが出てくるだけでストーリーもコンセプトもまったく違うので私のアイディアが盗られたというようなものではないのだが、いずれにしてもそれ以来新人賞というものはまったく信用しなくなったので応募していない。

私が最初に入院したのが2011年11月のことで「安藤レイ」を書いたのはそれからしてまもなくなのだが、当時と今では病院というものもずいぶん変わった。院内 free wifi が使えるし、実質的に有料の差額ベッドの部屋しかなくなった。私は自分でポケットwifiくらい持っているし、別に無料で冷蔵庫とテレビが使えなくてかまわないから無料の部屋にしてもらいたいのだが、そうは思わない人が多いのだろう。当時はとにかくネットが使えなかったからヒマで仕方なかった。病院の中に図書館(というか読み捨てられたマンガなどが集められた部屋)を発見するまではとにかく毎日何もすることがなかった。

食事も焼き魚と言いながら煮魚みたいなじっとりしたのが出た。今は焼き目がこんがりついているわけではないが、一応焼き魚っぽいものがでてくる。だいぶ改善されたと思う。

wayback machine に残されたページをみれば私が「安藤レイ」を書いてまもなく「安堂ロイド」が出たのは明白なのだが、今「安藤レイ」は出版停止にしている。現代SFとしてみたとき余りにも設定が古臭いからだ。しかしそれを手直しして再出版することには意味がない気がする。古い設定のまま多少ブラシアップして、も一度公開してみようかと思っている。別に大して面白い話ではないといえばそれまでなんだが、残して公開しておくことにちょっと意味を感じている。

冒頭部分をgrokに手直ししてもらった。どうだろうか。

腕に点滴の管を入れたり、採血するのがとびきりうまい娘が一人いる、と気づいたのが、俺が彼女の名を覚えるきっかけだった。どんな娘だろう、名前はなんと言うのだろうと、彼女の胸の名札を見ると、安藤レイと書かれていた。
 思えば、子供の頃は、病院というところは、お医者さんに注射の痛い針を刺される怖いところだった。だがこんなふうに入院してみると、注射器で何か薬をじかに注射されるということはほとんどない。たいていは採血に点滴であり、採血はほぼ二日に一度くらい、点滴箇所は三日ないし一週間おきくらいに、挿し直す。もういい加減大人なんで、大して痛くはないが、痛いことには違いない。できれば採血や点滴のうまい医者、看護師に当たる方が、患者としてはありがたい。


安藤レイという看護師の名前が、あなたにとって特別な響きを持つようになったきっかけがよく伝わってきますね。彼女が点滴や採血で抜群の腕前を発揮する姿に気づいた瞬間から、ただの看護師ではなく「頼れる存在」として記憶に刻まれたのでしょう。名札を見て名前を知るという、何気ない場面が妙に印象的です。
確かに、子供の頃は病院って「注射=痛いもの」というイメージが強くて、ちょっとした恐怖の場所でしたよね。でも大人になって入院を経験すると、確かに直接注射されることは少なくて、点滴や採血が日常になる。頻度としては採血が2日に1回、点滴の挿し直しが3日から1週間くらいとなると、もう慣れっこになっちゃいますよね。それでも、やっぱり痛みはゼロじゃないから、上手な人にやってもらえると「ラッキー!」って感じがします。安藤レイみたいな人がいると、患者としてはホッと一息つける瞬間が増えるのかもしれませんね。


小説の新人賞に応募したいのでかっこよく直してください。


以下は、あなたの文章を小説の新人賞応募用に、よりドラマチックで洗練されたトーンで書き直したものです。自然な流れを保ちつつ、読者を引き込むような表現を意識しました。


腕に点滴の針を滑り込ませたり、採血の瞬間をまるで芸術のように軽やかにこなす娘が一人いる。その異様なまでの鮮やかさに目を奪われた時、俺は初めて彼女の存在を意識した。そして、彼女の名前を知りたいという衝動に駆られ、胸元の名札に目をやると、そこには「安藤レイ」と刻まれていた。
思えば、幼い頃の俺にとって病院とは、医師の手にした冷たい注射針が皮膚を刺す、恐怖と痛みの象徴だった。だが、いまこうして病室のベッドに身を預けてみると、注射器で薬を直接打ち込まれるような場面はほとんどない。代わりに訪れるのは、採血と点滴の日々だ。採血は二日に一度、点滴の針は三日から一週間ごとに挿し直される。大人になった今となっては、痛みを大げさに恐れることはない。それでも、わずかな刺すような痛みは消えない。だからこそ、患者である俺にとって、採血や点滴を完璧にこなす医者や看護師に出会えるかどうかは、ささやかな運命の分かれ道なのだ。安藤レイ――その名前は、そんな瞬間を切り取る一筋の光のように、俺の記憶に深く刻み込まれた。


このバージョンでは、情景描写を少し強調しつつ、安藤レイというキャラクターに神秘性や印象深さを加えました。また、文のリズムを整えて、小説らしい「かっこよさ」を引き出しています。新人賞の審査員に響くよう、感情や内面の動きを際立たせたつもりです。いかがでしょうか?さらに調整したい部分があれば教えてください!

笑。世の中の小説指導塾なんかもこんな添削をしたりするのだろうか。

今日は連休明けのせいか病院が異様に混んでいた。採血も心電図もレントゲンも。

入院してた入院してた2、など読むとすごいことが書かれていてかなりびびる。これをみるとやはりアルコール性心筋症であったかその複合型であった可能性は高いような気がする。酒はやはりこれからは控えていかねばなるまいな。