これからは終活に専念する

土曜日に風邪を引いて火曜日から入院なんで(笑)、体調を整えるため寝てばかりいる。wordpress のバックアップを取ったり、そのためのシェルスクリプトを書いたりと、なんかあったときのために備えたりもしている。入院といっても以前にもやったアブレーションの手術なんで、よっぽどのことが無い限り生きて帰れると思うんだが、心臓の持病のおかげで結構頻繁に、そうねだいたい3、4年に一度くらいの頻度で入院してて、しかし職場は遠慮無く多忙な役職を当ててくるので定年前にすでに人生に諦念していたりする。もうこれからは終活以外やらん。新しいことをこれから始めたりはしない。1年半ほどかけて本を書き推敲し書き足し書き直ししてきて仕上げたばかりなのだが、こんなに長い時間1冊の本を根詰めて書くというのは、実を言えばもう二度とやりたくない。文字すかすかの新書くらい(せいぜい5万字くらい?)なら半年に1冊とか書こうと思えば書けるかもしれんが。25万字の本は書くべきではない。長ければ長いほどだんだん何を書いてるかわからなくなってくる。一カ所直すとほかの箇所にも影響するから、何度も全体を見直し書き直さなきゃならない。25万字を何度も何度も校正するのは正直うんざりする。1度か2度ならともかくとして根気が続かない。いろんなことを付け足したりしていつまでたっても終わらない。無限ループだ。とまあそんなことは実際に書いてみないと体験できないからみんな一生のうちに一度くらいは書いてみると良い(笑)。

とか言いながら「エウメネス」なんかはあれ50万字くらいあるんじゃなかろうか。われながらすごい長編小説を書いたものである。

和歌は31字しかないからほぼ完璧に推敲校正できる(可能な文字の組み合わせをほぼすべて試してみることができる)。25万字とか50万字だと、どんなに推敲しても決して完全には直せない。歌詠みから見れば歌にくらべて小説や評論なんて、どんなに頑張っても10%、せいぜい 30%くらいの完成度にしかならない。もし和歌と同じクオリティで50万字の小説を書いたらものすごい文章ができあがるに違いない。ゲーテはファウストを全部韻文で書いたというが要するにそれくらいやったとしても、せいぜい50%くらいの完成度ではなかろうか。

自分としてはやれることは完全にやりきった感が今回は非常に強いので、一度徹底的にやると飽きてもうやらんでいいかなと思うタイプなので、もしやるとしたら「エウメネス」「関白戦記」あたりを手直ししたいが、実をいえばこれらももう直す必要ないんじゃないか、というより、直したほうが良いには良いのだろうが未完成のまま遺して死んでも別に大差ないのじゃないかと思っている。「関白戦記」はたぶん完成度は高いと思うなあ。誰も読んでくれないけど。

村上春樹は小説を書くというのはジャズのインプロビゼーションみたいなもんだと言っていたが確かに長編小説というものはそんなふうな気分で書かないと書けないだろうし読者も読めないだろうと思う。音楽のように最初から最後まで時系列にするすると飲み込んでいくのであればいい。最初に読んでいたことは半ば忘れていても後の方も自然に読めるんならいいが、途中まで読んでだんだんわかんなくなってきて、最初に戻って読み直してみなきゃわからん、みたいな複雑な構成になっているとものすごく疲れてしまう。「エウメネス」なんて登場人物が何百人いるかわからん。普通こういう小説を人は読めぬものだ。書くのも難しい。私の中では何百人もいる登場人物の個性を一人一人書き分けているつもりだが、読んでいる人がわかっているかどうか自信はまったくない。バルシネ、アルトニス、ラオクシュナ、アマストリー、アパマ、キルケー、ピュティオニケ、オリュンピアスなどなど、みんなひとりひとり描き分けているつもりでいるんだが、どこまで理解されているんだろうか。

逆に登場人物が二人かせいぜい三人でストーリー展開もゆっくりで、しかも音楽を聴くように楽しみながら読めるのであれば、誰でも読めるだろう。村上春樹の読者があれほど多いということはそういう仕組みになっているのだろうと思われる。

いつも思うのだがなんで私はこんなふうな人間になったんだろう、なんでこんな仕事をしてこんなふうな執筆活動をしてこんなふうに死ぬのだろうか、実は私はもっと違う人間として生きて死ぬはずだったんじゃないかという気持ちが強い。なので、五十代になってから作曲を始めたりしてみた。まだなんか自分に試していない可能性があるんじゃないか、死ぬ前にちょっと試しておこうという気持ちがあった。しかしもう六十なので、逆にもうこれ以上ジタバタと諦め悪く往生際悪く無駄な努力をしたくない。定年過ぎているのにいつまでも仕事に未練たらたら昔の職場に顔出す人をよく見るが非常にみっともない。退職したらすっぱりやめりゃあいいのにと思う。働いているうちに定年後のことなど何も考えてなかったのかとも思う。

私は32才まではわりとまっすぐ生きてきたが、それから迷走し始めた。では32才のときに転職して全然違う人生を選ばなきゃよかったのかというとそれも違う気がする。転職するにしても全然違う転職の仕方はあり得た。というより32才で死んでても別に私の人生に大した違いはなかった気もする。46才で大病を患ったがしかし46才で死んだところで私の人生に大した違いはなかった気もする。明治天皇は59才で死んで私もいま59才だが、今死んでも私の人生大した違いはない気がするがしかし、今準備している本が出版されてそれが世の中にどんなふうに受け止められるか確かめてから死にたいとも思う。

70才、80才まで生きてもあんまり意味はない。払った年金が返ってくるからできるだけ長く生きたほうが得だ、長生きした方が勝ちで早く死ぬと損だとしか思わない。若いときとちがって体が動いてくれないから生きていてもさほど面白くない。やりたいこともあまりない。長生きして引っ越しなどして新しい出会いがありゃそれはそれで楽しいんだが、しかしいつまでも生き続けられるわけではないのだからそれもどうでも良いといえば良いことだ。

でも私もこれまでいろんなものを書いてきたから次に出る本がそんなに世間の注目を集めるはずもないってことは99.9%くらいは言える。でも0.1%くらいの可能性はある気がしている。私が生きているうちには理解されなくてもそのうち理解してくれる人が出てくる可能性はもっとあるように思われる。

ドナルド・トランプとウクライナ

櫻井よしこがfacebookで

トランプさんの考えていること一体何でしょうか
その行動の意味はなんでしょうか
世界中がトランプさんの心は読めなくて
右往左往しています
しかし今夜の言論テレビはトランプさんの言動の意味を
きっちり分析してみせたいと思います
ゲストは岩田清文さん、ジョセフクラフトさん
戦略の専門家と米国の専門家です
ほかでは聞けないアメリカ論を展開します
このあと夜9時に言論テレビでお会いしましょう!

などと言っているのを見たが、世間ではニュースでもSNSでもみんなトランプ大統領の真意をつかみかねて困惑しているらしい。しかし私からみればトランプの言うことはどれも至極当然のことだ。グリーンランドを買いたいとかガザを買いたいとか言ってることは奇抜で、一つの提案に過ぎないのだろうが、別にそのくらい検討してもよかろう。

ネトウヨらはゼレンスキーが中国と結んでいて中国がロシア支配を狙っている、だからトランプはゼレンスキーが嫌いだ、などという陰謀論を展開したがっているようにみえる。なんなんだよそれは。

ウクライナについてドナルド・トランプが言っていることは私がブログで今まで書いてきたことと同じだと思う。ゼレンスキーはベラルーシとともにウクライナをロシアの友好国に留めるべきだった。ゼレンスキー政権はそれまでのウクライナ政権を踏襲して親ロシア政権となるべきであった。そのうえで辛抱強く粘り強くクリミア問題や東ウクライナ問題をウクライナに有利なように解決していくべきだった。プーチンは遅かれ早かれ死ぬ。プーチンが生きているうちに拙速にことを運ぶべきではなかった。

ゼレンスキーをそそのかしたのは明らかにアメリカ民主党の一部とイギリスであろう。

ウクライナはかつてピョートル大帝時代にロシア帝国に組み込まれ、ソ連邦、ワルシャワ機構の一部だった。そのウクライナが、あー俺もうロシア嫌だなー、ロシアはもう落ち目だから俺もEUに入りたいなあとかNATOに入りたいなあと言えば、そりゃヨーロッパ君たちは大歓迎するだろうし、この機会に積年の恨みを晴らそうと、ウクライナ側についてロシアに宣戦布告するかもしれない。EU諸国はすでにウクライナに武器や資金を提供しているのだから、実質的にウクライナはすでにNATOであり、EUなのである。

しかしヤクザの組員が自分のところからよその組に移ろうと思ってもそりゃあ渡世の仁義が許さない。一度交わした杯をたたき割ってよそと契りなおすにはエンコの一つや二つも落とさにゃなるまい。

ウクライナ領はソ連時代に大雑把に確定していたにすぎず、それは単にソ連内の行政区間という程度に過ぎなかったから、そこには戦略的に非常に重要なクリミアや、ロシア人の方が多く住む地方もざっくりと含まれていた。ソ連が崩壊してもウクライナに親ロシア政権が続く限り問題は何も起きなかった。ウクライナがロシアを見限り、NATOに入ろうなんて言い出さない限りは。

もともとロシア組の子分だったウクライナがヨーロッパ組の子分になろうとする。そりゃ武力衝突するしかないわね。戦後の世界秩序だけでなく、イワン雷帝、ピョートル大帝以来の、スラブ民族間の歴史、ヨーロッパの歴史をみなきゃなぜ戦争になるかなんてわからない。ロシアにはもちろんロシアなりの大義がある。大義という意味ではウクライナ側のほうが弱いとも見える。少なくとも私には。ロシアが勝手にウクライナに侵攻して領土を割譲しようとしている、それは国連が定めた戦後秩序の書き換えになる、侵略はダメだ、などとテレビでは大真面目に言っている。

しかしだね。ロシアがウクライナ領を占領しているのはどこもウクライナ人よりはロシア人が多く住んでいる地域だよね。クリミアなんてロシア軍の基地もある。ウクライナとしてはそうした、ロシアが実効支配している地域を諦めて、それを手切れ金にして、ロシアと縁を切り、NATOに入る、EUに入るっていうんなら、ロシアが認めるかどうかはしらんが理屈は付く。ドナルド・トランプの停戦案はまさにそれだ。プーチンとしてはトランプに言われてしぶしぶ世界平和のために決断した、とでも言えばメンツは立つ。

もしそれは嫌だというならウクライナがロシアに大勝しなきゃならん。戦争によって勝ち取らなきゃ。だけどどうみてもウクライナだけの力ではそれはできない。ヨーロッパに味方になってもらってるけどヨーロッパも全然頼りにならない。

ではアメリカ様よろしくお願いします。それあまりに虫が良すぎないか。

私もロシアは好きではないが、別にウクライナが好きなわけでもないし、ゼレンスキーなんてまったく信用できないし、ヨーロッパは相変わらず自分こそ常に正義だと信じて疑わない。ロシアには負けてほしいがそれはプーチンが高齢で死ねば自然とそうなるだろう。もはやロシアにはウクライナやカザフなんかをつなぎとめておく力はない。となるとシベリアを統治することすら難しい。ウラジオストックあたりがロシアから独立して新政権ができる可能性だってある。ともかくウクライナのことなんかほっとけば良いのだ。遅かれ早かれスラブ民族どうしの力関係で落ち着くところに落ち着くしかないんだからさ。まして日本には何の関係もない。多少北方領土問題に関連してくるかもしれんが。しかし北方領土が還ってきたとして、北海道や秋田や能登半島にすら住みたがらない日本人があんなところへ移住しようと思うだろうか。

私はトランプが言っていることはごくまっとうなことだと思う。極めて現実的で常識的な判断だと思う。アメリカとロシアがウクライナの頭越しに停戦してヨーロッパが憤激する。国際政治でこれまで普通に見られたことじゃないか。何ら不思議なことはない。トランプに賛成する声がほとんど聞こえてこないのは不思議だ。そりゃアメリカ国民はロシア大嫌いなんだろうけどさ。

バイデン政権時代アメリカは相当ウクライナを見えない形で支援してやったと思う。ゼレンスキーが首都キエフに踏みとどまれたのも、緒戦でロシア軍の首都攻略を阻止できたのも、すべてアメリカのお膳立てだったのに違いない。ゼレンスキーを救国の英雄に仕立て上げたかったのはそもそもアメリカだ。アメリカ人がああいう演出を好むのはハリウッドを見ればわかる。

だが戦争が長期化してきてアメリカも飽きてきた。もしかしたらウクライナは強いのかもしれない、ゼレンスキーはもしかしたらウクライナ国民に熱狂的に支持されているのかもしれない、という淡い期待は消え去った。ウクライナはすでにアメリカという延命装置を外されたらすぐ死ぬ病人に過ぎない。

ベトナム戦争は20年経ってアメリカ人も飽きてきた。

アフガン戦争は40年経ってアメリカ人もさすがに飽きた。

ウクライナ戦争はまだ3年しか経ってない。ここでトランプがやめようと言い出したのはアメリカ人らしくなくて良い。

ホテルの風呂で風邪をひいた話

急速追いだきって、急速に追いついて抱き付くみたいで怖くないですか。

それはそうと業務で前泊する必要があったので某ホテルに泊まったのだが、ここは経費削減のためかエコを謳っているためか室温調整ができない。

私の場合ホテルで風呂に入るときはまず全裸でいても暑いくらいに暖房を効かせてシャワーをざっとかぶる程度ですぐに体を拭いて済ませてしまうんだが、このやり方だと寒すぎる。もともと風邪気味だったのかもしれないが鼻風邪を引いてしまった。

業務で泊まるホテルは選べないのでまたこのホテルに泊まることになりそうなんだが、このホテルに真冬に泊まり風呂に入ろうと思ったらまずバスタブになみなみと熱いお湯を溜めて体を浸して体を温めて、体を洗ったらすかさず体の水気を拭けるようにバスタオルを拡げて用意しておく必要があろう。

このホテルはわざと部屋を小さく作り、その代わりにテレビを大きく作っていると紹介ビデオで流して自慢していたが、要するにエアコンの経費をケチりたいのだろう。嫌いではないが決して好きにはなれないホテルだと思った。格安のビジネスホテルならそれでも良いかもしれないが最近はけっこうな金をとるそうじゃないか(繰り返しになるが業務で泊まってるので自腹で泊まったわけではない)。

人間の気分って結局脳内のケミカルな状態によって決まってしまうので、喜んだり怒ったりしても意味がない。絶望とか達成感にしてもそう。トラブルを起こさず仕事をすみやかにこなし無駄金を使わない。それ以外にやることはない。ツイッターなんてその脳内化学状態をかき乱すことでみんなやいやい書き込んでいるのだが、こちらのブログに書くようになってやっと本来自分のスタイルで書く方法を思い出してきたように思う。私は140字で切れ切れに書く人ではないし、課金して長く書こうとも思わない。ここにこんなふうに書いていれば十分だ。

楽天モバイル wifi ルーターの話をあちこちで見るようになったが、都心の賃貸で有線を新たに引くことを思えば悪くないと思う。持ち家なら有線を引いたほうが良いと思うが。

ウィンズ浅草

私が20年だか30年前に訪れた時(たぶん西暦2000年頃だと思う)の浅草(特に六区)は山谷のドヤ街並に非常にうらぶれてやさぐれた町で、ウインズ浅草はもう既に建っていたはずだが、その向かいには日活ポルノの映画館とストリップ小屋が建っていて、道ばたで浮浪者がパンツを履き替えたりしていたように記憶している。

競馬のノミ屋行為が事実上野放しとなり、1955年の浅草には約400軒の私設馬券売り場が存在していた。そのような街に場外馬券売り場を設けることは、日本中央競馬界にとっても地域にとっても意味のあることとなった。施設は、浅草公園六区の六区ブロードウェイの、かつて東急グループ系「新世界ビル」があった場所に建てられた。

などとウィキペディアには書かれているのだが、これさあ、要するに、ノミ屋、私設馬券売り場を禁止するという名目で場外馬券場作っちゃって、JRAが浅草に乗り込んできて居座ってしまい、合法賭博(笑)として、そのまんま利権化してるだけじゃん。それってどうなのよって話だよな。でJRAと浅草の商店は持ちつ持たれつなんだろうけどさ、浅草に場外馬券場がある必然性なんてもともと無いし、今はなおさら無いだろ。さっさと移転して、跡地はひょうたん池に戻すとかなにかすりゃいいんじゃないの。

ひょうたん池に続く商店街だからひさご通りというのだろうか。

今も浅草に残るあの異様ないかがわしさ、汚さ、あのタバコ臭さの中心にあるのがあの場外馬券場であるのは明らかだ。浅草はもっと洗練された、清潔な国際都市になって良いはずだ。インバウンドで景気の良い今こそそのチャンスだ。京都の街中に場外馬券売り場なんてないだろ?そんなもの風紀を乱すに決まってる。

奥深い町

某所でちらっとお見かけした人のツイートを見ていたら浅草ではしごしたと書いてあって、興味深く読ませてもらったのだが、私がふだん飲み歩いている界隈とまったく完全にかぶっているのにもかかわらず、私の行ったことのある店は一軒もなかった(行ったことはないがGoogleマップでチェックしたことがある店は1つだけあった)。なんて恐ろしい町なのでしょう。浅草というところは。

特に観音裏あたりは、カウンターだけの、五人とかせいぜい十人くらいしか入れない、事実上完全予約制の個人経営の店が多い。安くて気軽な店もあるがその真逆の店もある。うなぎや寿司やふぐなどの超高級店もあれば、がさつな安酒屋もある。性格や趣味が違えば通う店も町の見え方も同じ空間同じ地域であるにもかかわらず、まったくちがってくる。こんな町が浅草以外にあるのだろうか。京都の祇園や先斗町あたりがそうだろうか。

浅草にちょくちょく通い始めたのは三年前で、昨年末に浅草に部屋を借りて以来二ヶ月弱、ようやく浅草に飽きてきた。もちろんまだ知らない世界はいくらでもあるからそんな簡単に飽きてしまうということはないと思う。いまだに通勤するのもまた町歩きのうちみたいなところはある。ああこんな横町があったのか、こんな店があるのかと観察しながら町を歩いている。

某店は浅草が地元のおばちゃんたちのたまり場になっているのだが、吉原に最近新しいスーパーができたんだよねえなんて話をしている。ビッグエーのことだ。ビッグエーは正確に言えばディスカウントストアだけど。千束通りなどもおばちゃんたちはバスで移動するらしい。アーケードをはしからはしまで歩いたって10分くらいしかかからないんだけどね(おばちゃんの足だと20分くらいかかるのかもしれないが)。

浅草はインバウンド向けのテーマパークと化してしまったという某記事を読んだのだけど、それを言ったら京都の清水寺に登る坂道だって、新京極通りだってそうだろう。そういう観光客向けのキャピキャピした場所はあってもいいんだよ別に。合羽橋商店街だってインバウンドだらけだ。しかしそうではないところもある。日本人客でも容易に入っていけない、理解に時間がかかるところもある。入谷や吉原、山谷、向島などのかなり個性的な町も隣接している。何が言いたいかっていえば、よそからふらっと来てうわっつらだけみて浅い記事を書くなってことだよ。浅草を語りたいなら何日も何年もかけて通ってみて町に浸って同化してみて、それからあれこれ言ってもらいたい。なんなんだよ下町情緒ってさ。それってあなたの勝手な思い込みですよね?そういうの上野や鶯谷や谷中や赤羽や十条や浅草橋や錦糸町あたりにいけばいくらでもあるじゃん。絶滅危惧種みたいに言わないでほしい。

浅草にニトリやセリアや無印良品やドン・キホーテやオーケーやビッグエーやライフなんかの店がどんどん入ってくるのは良いことなんだよ。ドラッグストアに Tax Freeコーナーがあるからなんだっていうんだよ。人がたくさん集まるってことは良いことじゃないか(場外馬券場は要らんと私は思うが)。日本らしさってことよりまずは町に活気があることが重要ではないか。

日本随筆大成

日本随筆大成が国会図書館デジタルコレクションの送信サービスですべて見れることがわかり、いつでも読めるようにリンク集など作っているところだ。

この日本随筆大成は昭和2年から4年にかけて出版されたとんでもない力作なのだが、随筆と言っても江戸時代のものばかりで、古くて林羅山くらいから、新しいのでは勝小吉の夢酔独言とか成島柳北などは入ってない。漢文の随筆もない。新井白石の折たく柴の記、上田秋成の胆大小心録みたいな特に有名なものもわざと入れてないようだ。水戸光圀の西山公随筆や松平定信の花月草紙なんかは入っている。新しい人では八田知紀の桃岡雜記が入っている。

第一部から第三部まであって、編集者は交代していって、戦後に吉川弘文館が再版している。

戦前に出たものは著作権切れているんだから、さっさと一般公開してもよさそうなものだが、国会図書館のアカウントさえあればオンラインで読みたいときに読めるのでよしとする。これだけの本を買い集めるには相当金がかかるしそもそも本で家が埋もれてしまう。出版社にとってはつらいが読書するには良い時代になったと言うべきか。いずれにしてもこの手の本は図書館にいけば無料で読めるので、わざわざ読もうという人は図書館に行くだろうし、そうでない人は最初から読もうとさえしないだろう。

和漢三才図会、甲子夜話などは東洋文庫にもある。

だいたい世の中は随筆といえば「枕草子」と「徒然草」を読んでおけばそれで足りると思っている人がほとんどであろう。二百五十年の江戸時代とは実に長い時代だった。明治維新から現代までにさらに五十年足した長さだ。その長い長い近世に日本人はこんなにたくさん随筆を書いたのだ。これらをみんな読めば江戸時代のおそるべき長さを実感できるだろうと思う。とりあえず大田南畝の一話一言あたりから読んでいこうかな。


1-1 梅村載筆(林羅山)/ 筆のすさひ(菅茶山)/ 覉旅漫錄/ 仙臺閑語/ 春波樓筆記/ 瓦礫雜考/ 紙魚室雜記/ 桂林漫錄/ 柳亭記/ 尙古造紙揷/
1-2 雲錦隨筆/ 松屋棟梁集/ 橿園隨筆/ 近世女風俗考/ 蘿月庵國書漫抄/ 畫譚雞肋/ 煙霞綺談/ 柳亭筆記/ 磯山千鳥/ 橘窓自語/
1-3 玄同放言/ 都の手ぶり/ 織錦舍隨筆/ 睡餘小錄/ 八水隨筆/ 歷世女裝考/ 書僧贅筆/ 楢の落葉物語/ 金曾木/ 鋸屑譚/
1-4 上代衣服考/ 雨窻閑話/ 屋氣野隨筆/ 寸錦雜綴/ 半日閑話/ 泊洦筆話/ 辨正衣服考/ 心の雙紙/
1-5 過庭綺談/ 嚶々筆語/ 花街漫錄/ 遠碧軒記/ 風のしがらみ/ 著作堂一夕話/ 海人のくゞつ/ 遊藝園隨筆/ 善庵隨筆/
1-6 古老茶話/ 秉燭譚/ 四方の硯/ 梅園叢書/ 野乃舍隨筆/ おもひくさ/ 閑窻瑣談/ 還魂紙料/ 擁書漫筆/ 西洋畵談/
1-7 思ひの儘の記/ 用捨箱/ 向岡閑話/ 撈海一得/ 松陰隨筆/ 槻の落葉信濃漫錄/ 蒹葭堂雜錄/ 文會雜記/ 閑窻瑣談(後編)/ 畏庵隨筆/
1-8 北邊隨筆/ 燕居雜話/ 骨董集/ かしのしづ枝/ 幽遠隨筆/ 松屋叢考/ 宮川舍漫筆/ 駒谷芻言/
1-9 古今沿革考/ 異說まち/ 閑際筆記/ 獨語/ 又樂庵示蒙話/ 南嶺子/ 南嶺子評/ 世事百談/ 閑田耕筆/ 閑田次筆/ 天神祭十二時/
1-10 筆の御靈/ 東牖子/ 嗚呼矣草/ 齊諧俗談/ 一宵話/ 昆陽漫錄/ 續昆陽漫錄並補/ 南嶺遺稿幷評/ 秉穗錄/ 花街漫錄正誤/
1-11 年々隨筆/ 嘉良喜隨筆/ 烹雜の記/ 三のしるべ/ 好古目錄/ 好古小錄/ 奇遊談/ 茅窻漫錄/ 庖丁書錄/ こがねくさ/
1-12 耽奇漫録
一話一言(大田南畝) 上 / 下 /
嬉遊笑覧(喜多村信節) 上 / 下
和漢三才図会(寺島良安) 上 / 下

2-1 兎園小說/ 草廬漫筆/ 松屋叢話/ 提醒紀談/ 圓珠菴雜記/ 假名世說/ 一時隨筆/ 梅の塵/ 當代江都百化物/(787)
2-2 筱舍漫筆/ 萍花漫筆/ 兎園小說外集/ 兎園小說別集/ 八十翁疇昔話/ 牟藝古雅志/ 雲萍雜志/ 閑なるあまり/ 畫證錄/
2-3 兎園小說餘錄/ 兎園小說拾遺/ 保敬隨筆/ 梅園拾葉/ 新著聞集/ 雉岡隨筆/ 三養雜記/ 淸風瑣言/ 尤の草紙/ 近世奇跡考/
2-4 它山の石/ 筠庭雜錄/ 勇魚鳥/ 蜘蛛の糸卷/ 橘牕茶話/ 一擧博覽/ 萍の跡/ 筠庭雜考/ 目さまし草/ 反古籠/ 閑窻自語/ 雜說囊話/
2-5 玉石雜志/ 二川隨筆/ 飛鳥川/ 續飛鳥川/ 江戶雀/ 積翠閑話/ 尾崎雅嘉隨筆/ 閑窻筆記/
2-6 梅翁隨筆/ 櫻の林/ 新增補 浮世繪類考 附戱作者略傳/ 笈埃隨筆/ 玲瓏隨筆/ 十八大通/ 本朝世事談綺/
2-7 河社/ 多波禮草/ 本朝世事談綺正誤/ 桑楊庵一夕話/ 隣女晤言/ 蓴菜草紙/ 足薪翁記/ 奴勞師之/ 比古婆衣/ 西山公隨筆/
2-8 南留別志/ 可成三註/ 非なるべし/ 南留別志の辨/ あるまじ/ ざるべし/ 北窻瑣談/ 酣中淸話/ 三省錄/ 火浣布略說/ 年山紀聞/
2-9 遊京漫錄/ 胡蝶庵隨筆/ 柳庵隨筆初編/ 柳庵隨筆/ 柳庵隨筆餘編/ 曲肱漫筆/ 薰風雜話/ 立路隨筆/ 北國奇談巡杖記/ 南屛燕語/ 答問雜稿/
2-10 楓軒偶記/ 諼草小言/ 南柯の夢/ 猿著聞集/ 燕石雜志/ 靜軒痴談/ 閑散餘錄/ 於路加於比/ 只今御笑草/ 夏山雜談/
2-11 折々草/ 難波江/ 下馬のおとなひ/ 松の落葉/ 蜑の燒藻の記/ 闇の曙/

3-1 傍廂/ 傍廂糾繆/ ねざめのすさび/ 理齋隨筆/ 花月草紙/ 浪華百事談/ 異本洞房語園/ 洞房語園異本考異/ 洞房語園後集/ 筆のすさび(芝屋随筆 橘泰)/ おほうみのはし/
3-2 中陵漫錄/ 柳庵雜筆/ 古今雜談思出草紙/ 俗耳皷吹/ 消閑雜記/ 賤のをだ卷/ 醒睡笑/ 近世商賈盡狂歌合
3-3 天朝墨談/ 蒼梧隨筆/ 梅窓筆記/ 關の秋風/ 浪華の風/ 癎癖談/ 三餘叢談/ とはずかたり(中井甃庵)/ 近來見聞噺の苗/ 駿臺雜話/ むさしあぶみ/ 南向茶話/
3-4 後松日記/ 妙々奇談/ 見た京物語/ 天野政德隨筆/ 凌雨漫錄/ 莛響錄/ 訓蒙淺語/ 榊巷談苑/
3-5 百草/ 我宿草/ 愚雜爼/ 松亭漫筆/ 鳥おどし/ 孝經樓漫筆/ 金剛談/ 關秘錄/ 牛馬問/ 春雨譚/ 春湊浪話/ 松竹問答/
3-6 百草露/ 麓の花/ しりうこと/ 難後言/ 梅園日記/ 瀨田問答/ 後は昔物語/ 白石先生紳書/ 桃岡雜記/
3-7 甲子夜話 上
3-8 甲子夜話 下
3-9 盬尻 上
3-10 盬尻 下
3-11 翁草 上
3-12 翁草 中
3-13 翁草 下

梅村載筆はちょっと読んでみたのだがまるで校長先生の訓話みたいな当たり前なことを言っている。林羅山が書いた(とされるもの)はほかもたいていそんなふうだ。奇抜でもなく特別役にも立たないし、そもそも全然面白くない。なんでこんなものを書いたのかといえばやはり将軍家や旗本の子弟に勉強をさせるのに、林大学頭かもしくはそのスタッフが書いたり編纂したものなのだろう。藤原惺窩先生曰く、みたいな話も多い。

食卓と小榻

菅茶山『筆のすさび』巻之四「旧習改めがたき事」に

柴野先生に食卓(しつほく)と小榻(せうたふ)四つをおくる人あり。(中略)その具にて七宝羹を饗せんとて数人を招かる。(中略)その榻に踞して対酌す。

とある。卓袱(しっぽく)とは円卓で食べる中華料理のこと、長崎に伝わって今も残っている。

小榻だが榻(しぢ)と言えば牛車に人が乗り降りするときに使う踏み台、もしくは轅(ながえ)を置く台のことだから、小榻はおそらく、椅子というよりは、背もたれのないこしかけのようなものではないか。榻は床几(しょうぎ)とも言うようだが、床几にも背もたれは無い。

七宝羹は要するに八宝菜のようなものであろう。

菅茶山は主人柴野先生と、尾藤博士という人と、三人でそのテーブルと椅子で飲食していたが、主人がいない間は、椅子からおりて床に寝転んだ、生まれつき慣れないことをすると疲れる、という話で、当時の日本人にはこうして食卓を囲んで食事をすると疲れたという話。

卓袱、食卓、どちらもテーブルのことで、「しっぽく」と言うことがあったのだろう。

浅草の土曜の朝

土曜日の朝、7時くらいに浅草場外馬券場の前、六区ブロードウェイ商店街を通ると、まだひと気は少なく、空気もまだすがすがしく、タバコ臭くもないが、なんとなくピリピリとした空気を感じる。制服の上に防寒のコートをはおり明らかに職務中とおぼしき人たちが二人か三人くらいで一組になって通りを巡回している。浅草パークホールビルというホテルのような、オフィスビルのようなよくわからない建物からぞろぞろと20人弱の警察官のようないでたちの人たちが向かいの場外馬券場へ歩いて行く。あれは警察官ではなくて場外馬券場の警備員であろう。前日から泊まりがけでここ浅草にいて、その仕事始めなのだと思われる。これから浅草では土日二日にわたる狂乱の宴が始まるのだ。つくばエクスプレスA1出口脇にある弁当屋デリカぱくぱくも店先に弁当を積み上げて朝7時から客が来るのを万全の態勢で待っている。

これがもう9時くらいになると続々と競馬ファンらが出勤してくる。地下深くに作られたつくばエクスプレス駅から長蛇の列を作ってエスカレーターに運ばれて続々と人が地上にあふれ出してくる。

競馬の何がそんなに面白いのか私にはさっぱりわからない。いろんな人になぜそんなに競馬が好きなのか、聞いてみるのだが、よくわからない。そもそもそんな儲けている人もいないようだ。中には競馬のプロがいて、現金で国税庁にバレないように大金を動かしている人もいるのかもしれないが、そんな人はごく一部であって、ここに集まってくる人たちのほとんどは損しているに決まっているのである。株のほうがまだ儲かる可能性はある。というかやり方次第で株ならば確実に儲かる方法がある。競馬にはそれはあるまい。かなりの部分が偶然性でできているからで、確実性が高いギャンブルといえばまだパチンコの方がましだろう。競馬で儲かるはずがない。

飲み屋で会ったある女性は、お酒を飲むと体を壊すかもしれないけど、競馬は体に悪い影響なくてお酒を飲んだときと同じくらいハイになれるからやるんだと言っていて、なるほどなと思った。

浅草に場外馬券場がある必然性、なくてはならない理由があるんだろうか。渋谷にも場外馬券場があるはずだが、渋谷でも同じような状況なんだろうか。渋谷も浅草もとにかくどこか別のところへ移設するなんてことは考えてもいないのだろうか。

そうした殺伐としてタバコ臭くていかがわしい雰囲気が蔵前から浅草、山谷のあたり一帯、日曜の夜まで続くのだった。

浅草の店には勝ち馬投票券、つまり馬券を置いている店が多い。土日はたいていの店が競馬中継する。実に多くの人が路地にテーブルや椅子を並べて競馬を観戦している。相撲のあるときは相撲中継を見ている。

競馬を面白いと感じるのはホモ・サピエンスのバグなのだろうか。アーリア人にせよモンゴル人にせよ馬を乗りこなすことによって交易し戦争に勝利し、子孫を大量に残した。馬乗り好きな遺伝子がそうでない遺伝子を淘汰して残ったせいで人は競馬に理由もなく、無意識に魅了されるのではなかろうか。

浅草パークホールビルはJRAの事務所や駐輪場などが入るオフィスビルなのだそうだ。やっぱりね。確かにこの建物の2階と地下には謎の駐輪場がある。無料らしいが、通勤客が利用しても良いのだろうか。つくばエクスプレス駅にも駐輪場があるがこちらは有料である。浅草辺りは地面が平らだからものすごくたくさんの人が自転車に乗っている。運転マナーも決して良くはない。極めて危険だ。坂が無いからまだなんとかなっている。

デリカぱくぱくって向島にもあるんだなあ。あと青戸と足立にもあるようだ。

越生の梅干し

越生には越生梅林というものがあるというのは昔東上線沿線に住んでいたのでなんとなく知っていた。小田原には曽我梅林というものがあって、熱海にも熱海梅林というものがあり、梅林のあるところはだいたい梅干しが名物なので、越生にも梅干しがあるのかなと思ったらやはりあった。

これが安くてうまい。大粒で20粒くらいで1000円いかないくらい。塩と梅の実しか使ってない本格的な梅干しで1粒50円はかなり安い(追記。この梅干しは農家の人が自宅で作って市場で売っていたものだというので、多少安いのは当たり前なのかもしれない)。

しかもこの越生の梅干しは、あまり塩辛くもなく酸っぱくもなくそれでもちゃんと梅干しの味がして、皮も薄くてやわらかくて、おいしいのだ。

昔ながらの梅干しとか言って売られているものはやたらと塩分が高くて22%とかある。なるほど昔はそうした長期保存用に塩辛い梅干しを作っていたかもしれんが、今はそんなことする必要なかろう。

今スーパーで売られている梅干しは、いわゆる調味梅干しというもので、蜂蜜を入れたり、出汁や鰹節を入れたりして味を調整しているからほんとうの梅干しの味というものがわからなくなってしまっている。たぶん塩と梅だけで梅干しを作っても簡単にうまくはならないのでいろんなものを足してごまかしているのだ。越生の梅干しみたいにシンプルに塩味も薄くして酸っぱさも控えめにしてしかもちゃんと梅干しの味がするほんものの梅干しを作るってのはたぶん超絶技巧なのだと思う。すごく熟成期間なんかも絶妙に管理しているのではないか。こういうものが出回れば普通の梅干しなんて食べられたもんじゃないと思う。安くてほんとうにおいしい梅干しを食べているのは実は埼玉県民、或いは越生に近い群馬県民なのかもしれない。

だがしかし越生の梅干しが安くてうまいことがばれて需要が高まったら値段も上がってしまうに違いない。越生の梅干しはこれからもずっとこのままでいてもらいたい。

越生はしかし池袋から東上線で行くにも一時間半はかかる。いかにも遠い。池袋あたりで越生の梅干しは売られているのではなかろうか。

菅茶山の和歌

菅茶山は漢詩人で、頼山陽の師として知られるが、和歌もかなり詠んでいたらしい。木村雅寿という人が書いた「筆のすさび」跋にも

書き寄せし かひこそなけれ 山川に 生ふる藻草は 玉も混じらず

などとある。この「筆のすさび」には多く歌の引用もある。またその中に「歌道評論」と題して

江戸の友人、長流契沖以下の古体をよむ人の歌をあつめて一書をなす。或人見て、「真淵以後の人、中古の歌をそしる者多し、内々は何某公の歌の中にても、きこえぬありなどどいひてそしるもあり、今其そしられし人々の歌をかくあつめ見ば、此集と執れかまさらん、もし今の集まさらずば、そしりし人々心に慚ざらめや」といひし。此言はわれ人聞きて自ら警むべき事なり。
近頃の歌といふものは、拘ること多くしておもふ事もいひがたかりしを、長流以下の人々打やぶりしは、言葉の道の大功なり、これより女文字の文もよくする人出づ、京に蒿蹊江戸に春海など其選と見えたり、蒿蹊春海みな男文字をもよくよむ人なり。春海予に逢しとき、昔の歌よみ人は多半儒生なり、古今集の撰者の官職にても見るべしなどかたりし、春海名山の詩をこひあつむとて、予に浅間岳の詩をつくらしむ、其後程なく身まかりしと聞きぬ、其詩いくばくかあつまりけん。
同じ時千蔭にもあひし、みな木村定良を介とす、定良俗称俊蔵といふ与力衆なり。千蔭は隠居して総髪なり、顔色容貌さしも歌人と見えたり、耳しひて息女を傍におきて彼此の言を通ず。春海は半びんにて頭大に下ほそりたる顔なり、一面旧知のごとく磊落の人なりし。
蒿蹊は近江八幡の人京に住す、小男にて剃髪す、音吐大によく談ず。

などと言っているのだが、わかるようでわからない話である。「此集」「今の集」とは何を指しているのか。「長流契沖以下の古体をよむ人」とは下河辺長流や契沖を創始者としてその流れをくむ人たちが詠む歌が古体の歌だと思ってしまうが実はそうではない。ここに最初のつまづきがある。

「江戸の友人」は茶山と交際があった知人ではあろうがしかし茶山はむしろ「或人」の批判に同情しているのである。おそらく「江戸の友人」が編んだ「今の集」が送られてきたので、同郷の学友(或人)に見せたところ、いろいろと批評をされたので、そのことを書いているのだと思う。

「此集」「今の集」とは「江戸の友人」が集めた「古体」の歌集ということで、たぶんここには下河辺長流、契沖ら「中古」の歌は含まれていない。「中古」の歌とはつまりここで「そしられし人々の歌」であり、「此の集」「今の集」とは「そしりし人々」が詠んだ歌、江戸で流行した真淵以後の、いわば、「疑似万葉」「新万葉」の歌、つまり「古体」の歌をさしているのだろう。

真淵門下の「古体」を詠む人々が「中古」の歌をそしっている。「中古」の歌と「古体」の歌を比較してみて、「古体」が「中古」にまさっていなかったとしたら、「古体」を詠む人たちは恥知らずということになる。そう言いたいのだろうと思われる。

「中古」とはつまり江戸初期の長流契沖のような歌を言い、「古体」とは江戸中期以降の万葉調を言うのだと思われるが、これは江戸時代の人の感覚であって、現代人にはわかりにくいと思う。

たとえていえば今の人が「江戸仕草」とか「恵方巻き」など昔ながらの古いしきたりのように言うことが実は最近捏造されたものであって、全然古くもなんともなく、実は新奇なものであるのに似ていると言えようか。

「近頃の歌」というのは、「拘ること多くしておもふ事もいひがたかりし」それを「長流以下の人々打やぶりし」などと言っているのを見ると、こちらはどうも、江戸時代以前の歌、もしくは江戸時代に残った堂上和歌のことを言っているらしい。つまり時系列に古い方から並べると、「近頃の歌」「中古」「古体」となる。非常に紛らわしい。江戸時代には和歌はだんだんと古代にさかのぼっていくようにみえる。古ければ古いほど新しい。逆説的ではあるがしかしそれが当時の人々の自然な感覚だったのだろう。明治以降の人にとっては新しければ新しいほど新しいに決まっている。

「古代」ではないんだよな。「古代」の「体」なんだよ。古代を模した今の世の体。

江戸時代のぬるま湯に長い間浸かり固定した身分制度の中に生まれて死んでいった人たちは、時代精神の移り変わりとか社会の変動とか未来の変革というものがまったく想像できなかったのであろう。未来は虚無であり、存在するのは過去ばかりである。江戸時代には過去を探求する道具、古文辞学というものが飛躍的に発展した。江戸時代には未来を予測するのではなく過去へ遡る歴史学が最も発達し注目された、最先端の学問であった。宣長の研究もまたその類いであった。

それゆえ江戸後期の人々は、最近になって新しく確立され見えるようになった古い過去ほど新しく見えるという錯覚に陥ったのであろう。逆に明治の人は過去を無価値なものと切り捨て、未来や海外を見通して将来を予測することが必須の課題であった。両者は全然違う時代だったのだ。

そうしてみると茶山は、国学が興った後の下河辺長流、契沖、伴蒿蹊、村田春海、加藤千蔭らの歌が良く、同じ江戸時代でも真淵やその模倣者の歌は(新しすぎて)よくないと言っているらしい、ということになる。実際、村田春海、加藤千蔭は真淵の弟子ではあるが、彼らの歌は真淵とは似てもにつかない。茶山自身が詠んだ歌をいくつか見てみると春海千蔭の歌に良く似ている。要するに江戸後期に文人たちが詠んだ平々凡々たる歌だ。

明治以降の人は現代口語を使った歌のことを新しい歌と言う。しかしながら江戸後期の人たちは古い万葉の言葉を使った歌を新しい歌、今風の珍奇な歌だと思っていた。この感覚は現代人にはなかなかわかるまい。江戸時代にはまだ現代口語など影も形もなかった。標準語、現代口語なるものは明治政府や明治の文人らが共同制作した人工言語なのだから。

春海千蔭は師が編み出した「古体」の歌を捨てて「中古」に回帰したが、同時に真淵の流れをくんで「古体」を愛好した歌人らが江戸にはいて、春海千蔭とは同門ながら対峙していたように思われる。春海千蔭は真淵よりもむしろ宣長と親和性が高かった。万葉調の流行は江戸で起きたものであり、京都で万葉調の歌を詠む人はいなかった(香川景樹や本居宣長が万葉調の歌をまったく詠まなかったわけではないが)。

ということをこの文章から読解できる人がどれくらいいるのだろうか。私はこんなふうに解釈したけれど、他の人にはそうは読めないかもしれぬ。実に朦朧とした文章だ。歌人の風貌と歌の善し悪しと何の関係があるのか。

富士川英郎『菅茶山と頼山陽』には

旅衣 たちな急ぎそ 老いが身は またあふことも 末知らぬ世に

旅にあれば 家のみ思ひ 帰りては また行かばやと 思ふ大和路

などの歌が見えて、端正によく出来た歌だと思うが、おそらくこの時代の武家や公家の子弟は子供の頃に和歌や漢詩を仕込まれて、それで人並みの和歌が詠めるようになる、と言っただけのことで(茶山は一流の文人らしく人並み以上に詠めたようではあるが)、何か特別個性的なというか、何か巧んで、凝った詠みかたをしているようには見えない。幕末の伊達宗広や中島歌子などの歌と通じるところがあるように思う。そう、飽くまでも教養人の嗜みとして、当時のハイソサエティの慣習の範疇で詠んでいる、とでも言おうか。当時の人は別に字を書くのが好きで書道をやり、お茶を飲むのが好きだから茶道をやったわけではあるまい。歌道もまたそうした教養科目の一つだからやったまでで、そこに個性や創意工夫を追求しているのではあるまい。よく出来ているのだが、褒めようと思って良いところを探し始めるとぼんやりとぼやけてしまい良さが見つけられなくなる。うまくまとまりすぎているというか、秀才的というか。

こういった歌をいったいどこから見つけてきたのだろうか。頼山陽の母、梅颸の歌も多く引用されているから、そちら関係の史料にあるのかもしれない。或いは広島の県立図書館あたりに行けばそうした郷土資料がざらにあるのかもしれないが。

富士川英郎という人は戦前に岡山で高校教師になったとあるからやはりその頃に菅茶山や頼山陽に親しんだのだろう。こういう東洋文庫に本を書くような東洋学者というものは今はいったいどこにいるのだろうか。もうほとんど絶滅してしまったのだろうか。最近では荻生徂徠全詩というものが東洋文庫から出たが、ほとんど新刊も出なくなってしまっているように思う。

梅颸の歌も調べてみると面白いのかもしれないが、今はもうあまり手を広げる気もないのである。ところで頼梅颸という呼び名はどうであろうか。江戸時代の公家や武家は夫婦別姓であったはずだから、飯岡梅颸と呼ぶべきではなかろうか。細川ガラシャなどという呼び名をみると、いやそれは明治以降の呼び名で、本来は明智玉子だろうと思ってしまう。明治は現代まである程度連続しているからみんな明治を擁護したがるが、明治政府はいろいろおかしな(日本の伝統を破壊する)ことをした。

村田春海が「昔の歌よみ人は多半儒生なり、古今集の撰者の官職にても見るべし」などと言っていた、というのも変な話である。古今集の撰者がみな(半ば)儒学者だったなどと言っているのだが、そんなことを言えば江戸時代の武士もみんな儒者であろう。