ウィンクされたら死ぬ遊び

今日は山手線ゲームとか,ウィンクをされたら死ぬとかそういう遊びをした. 罰ゲームがマイヤーズをショットグラスで一気飲みでなければもう少し楽しめたのだが.

それからカタカナ言葉をしゃべったら罰ゲームというのもやった. 僕は大和言葉以外は外来語だと思って普段も気をつけて書いたり話したりしてるのでわりと楽だったけど. 俵万智が「短歌を作る」と言うのがとても汚らしく聞こえる. これは「和歌を詠む」または「うたをよむ」というのが正しいと思うんだが.

紅白の感想を読もうと思って日記をいくつか回って読んでみたが, ろくなことを書いてない. アムロナミエは感極まって泣いたのだと,みんな書いているが, あれは高い声が出なくて恥ずかしくなって泣いたのだと僕は今も思っている. 表情を見ながら聞いていればわかるはずだ. 僕と同じ意見の人も居るにはいた. あの「Can you celebrate?」という歌は一年前にいやというほど聞かされたので, わりと記憶に残っているほうだが, どう聞いてもこないだのアムロの歌は下手くそだった. 一年前ならあの程度の高音は軽く出していたのだ.

上田さんも同じようなことを書いている.安心した.

北島三郎が歌詞を忘れたのは確かに「忘れちゃならねえ」というところだった.

武田鉄也と和田あき子が熱唱だったのは認めよう. ただしあの手に持ったマイクはダミーだろう. 肉声をどこかの無指向性マイクが拾っているだけじゃないことは明らか, というか,現在の技術では, マイクを手に持って歌うことなどナンセンスなんじゃなかろうか.

昨日はだらだらとNHKの教育放送を見ていた. 教育放送はいかにあるべきかなどという話をまじめにやっていた. 郵政大臣当時の田中角栄が出てきたりした. 若い頃の田中角栄というのは実に良い顔をしているね. ロジャー・ペンローズとかスピルバーグとかも出てきた. なかなかすごい顔ぶれだった. 誰だったか,おにゃんこくらぶのプロデューサかなにかやったやつが, NHKは「幕の内弁当」だから記憶に残りにくいとか言っていた. 井上ひさしも出てきた. 僕はNHKの,10年か20年くらい前の,左傾化した人形劇のイメージがあって, それはきっと井上ひさしらの影響を受けていたんだろうなあなどと思いながら見てた. プリンセスプリンプリンなんてひどいものだった. ようするにジョンレノンのような平和主義というか, みんなが平和になると信じれば平和になるんだとか, みんなが戦争を望んでいるから戦争になるんだとか, そういう思想が僕は嫌いなのだ.

生涯教育や社会人教育を充実させるという意味では, 番組の内容はもっと高度でもよい, という考え方には賛成だ.というか,もっともっと高度にして良い. だけど,芸能とか演劇とか古典音楽とか僕には興味ないので, 別チャンネルにしてほしいけど(笑).

だいたいNHKが嫌いなやつは「幕の内弁当」的側面にだけ注目して批判する. そうしてそういう通り一遍な,言い古された,ありきたりの, ある意味「幕の内弁当」的な批判をして満足しているのである. 紅白歌合戦だってろくに歌聞いてちゃいないくせにさ. 僕だって毎年真剣に見てるわけじゃないが, こないだの紅白はなかなかおもしろい見物だった.

いや,民放にもおもしろい番組はたまにある. 昨日はインドネシアのコモド島までコモドドラゴンの手形を取りにいったりしたが, あれは見方によれば,バラエティ番組というよりもっとまともなドキュメンタリーとして見れた. クラゲを捕りにいったり,焼き物をやいたり,悪くなかった. しかし,どうしてヤラセというか偶然をよそおいたがるのだろう. ドキュメンタリーなら,取材したとおりを淡々とやればよさそうなものだ. 余計な脚色など不要だ.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.

脚気と結核

田山花袋の「一兵卒」と梶井基次郎の「のんきな病人」を読んだ.
「一兵卒」は日清戦争か日露戦争の頃に一兵卒が脚気で死ぬ話.
のんきな病人は,結核患者の話.
結核患者が風邪をひいて寝込んでいた.
野良猫が入ってきて,
首から蒲団の中に入り込もうとする.
体が動かないので,入れまいとすると,
反対の首のところから入ろうとする.
それも入れまいとすると,
今度は腹の上に丸くなって毛をなめ始める.
呼吸がすごく苦しいので,
やっとのことであぐらをかいて,
猫を思い切り部屋の隅に投げつけた,などという話.
昨日は薄着をして芋煮会で寝転がっていたら風邪をひいた.

 防衛庁第4研究所見学

淵野辺に行って, フライトシミュレータを戦車のシミュレータに改造したやつに乗ったり, 9眼のベースラインステレオ(ほぼ実時間で奥行きマップを計測する)やつをみたりした. なんかの写真で見たフライトシミュレータに初めて乗れたのがうれしかった. 戦車で山の上に駆け上り,急な斜面を降りようとしたら, 一瞬宙に浮いて地面に叩き付けられたのが楽しかった(笑). 富士の裾野を模してあるのだが, 富士山がなかなか絶景だったね.

防衛庁の技官の世界というのも初めて見聞した. 要するに,想像通りの世界だね. 地雷にさわったりもした. 火薬は入ってないとわかってても,万一入ってたら!と思うと怖いもんがある. 地雷を100%検出する方法というのはないそうで, 確実に除去するには, 戦車の先にローラをつけて,鎖をたくさんぶらさげて, 地面をばしばしたたきながら爆発させるしかないそうである. ところが,対戦車用の地雷は, 爆発すると半径8mくらいのクレータができてしまうくらい強力なもんだそうで, 爆発するたびにローラを交換しなくちゃならないそうだ.

なんでも,探知機というのは,地雷と周りの土の誘電率の境界面を検出するんだそうだが, 土の具合や湿り具合などで,境界面がまったく検出できないこともあるんだそうだ. 地面がでこぼこしてたり,草が生えてても深刻な影響を受けるという. 対戦車地雷は人が踏んだくらいじゃ爆発しないが, その周りに対人地雷が埋めてあったり, 取り除こうとすると爆発するような仕掛けがしてあったりするという. で,地雷除去の研究をしてる技官も,実際に地雷除去の作業をしたことはないそうで. まー,なんとも危なっかしい話だね.

自動走行車なども見た. 防衛庁の研究所というのは,けっこうすごいことやってるのだが, メディアへの露出はきわめて消極的だ. もっと情報公開すればいいのにね. その点民間企業は,見せるとこと見せないとこをうまくやってるのかなあ.

豆乳の凝固過程

大学で豆乳の凝固(ゲル化)過程の研究をしてる人もいるのだ.一度あって話を聞いてみたいものだ.しかし未だになぜ豆乳が凝固するのか,まともな説明を聞いたことがない.もしかしたら誰もほんとうのことは知らないのかもしれない.

凝固剤に塩化マグネシウムを使うと,大豆60kgから420丁の豆腐しか作れないが,硫酸カルシウムだと1500丁,グルコノデルタラクトンだと3000丁作れるという定量的(笑)なデータが提供されている.なんで大豆が60kgなのか. 60kgというのが卸売の単位にでもなっているのだろうか.まあそりゃそうと, 1丁とは何gなのだろうか.まあそれもどうでもよい.

さて,塩化マグネシウム(ニガリ),硫酸カルシウム(石膏),グルコノデルタラクトンの三つは,日本の豆腐の代表的な凝固剤である.こんど豆腐を買ったときには,添加物の表示に注意してみてもらいたい.この凝固剤の固まり易さの比が,420:1500:3000=1:3.6:7.1 だというのである.

固まり易いほど,同じ分量の大豆に対して余計に水分を含ませて固めることができるから,凝固剤に固まりにくい塩化マグネシウムを使った方が,大豆の割合が大きいので,結局おいしい豆腐になるという論法だ.

しかしそれはおかしな話で,水分が多いのはそもそも凝固剤が悪いのではなく,水分を余計に混ぜる製造元が悪い.グルコノデルタラクトンを使っても,大豆成分が多い豆腐は作れるのである.

他説によれば,ニガリは豆乳に混ぜるとただちに凝固を始め,均等に固めるのが難しいので,大量生産には向いてないという.それもまたおかしな話で,スーパーにはニガリ100%の豆腐はたくさんならんでいる.スーパーに置いてあるような豆腐で大量生産でないわけがない.まあそれにしても,ゆっくり均等に固まる方が大量生産には向いているだろう.

それから,中国の内陸部,麻婆豆腐が名物の四川とか,では,塩化マグネシウム(ニガリ)よりも硫酸カルシウム(石膏)を凝固剤に使うことが多いと思われるし,そのように書いた本を読んだことがある.ニガリを使うのは日本人だけかもしれない.

問題は水分の含量や凝固剤の固まり易さとかではない.水分と大豆の比率を一定にするなど,諸条件を同じにしたとき,いったいどの凝固剤を使うと一番豆腐がおいしいか,ということに尽きる.

私の感じでは,石膏とグルコノデルタラクトンはほとんど無味であるから,大豆や豆乳の風味をいかしたいのなら,こういう凝固剤を使うべきだろう.一方,ニガリは微量でも極めて苦いもので,しかも固まりにくいから大量に用いなくてはならない.それを薄めたり,後から抜いたりしても,最終的にはほんのわずかのニガリの風味が残る.ところがこれは苦みというよりも,独特の旨味として知覚されるらしい.現在,上記の三種類の凝固剤を配合して使っている場合は,ニガリを単に味付けに使っているんじゃないかと私は思う.

で,ニガリが効いてて,堅い豆腐の方がうまい,と世間では考えがちなのであるが,私はニガリがまったく効いてなくてふにゃふにゃな豆腐にも,それなりにうまい豆腐はあると思っている.豆腐の堅さと大豆成分の比率についても私は疑問を持っている.大豆成分が多くても絹漉だと柔らかいままじゃないかという気がする.堅ければ堅いほど大豆成分が多くてうまいというのはおかしい.そもそも充填絹漉だからまずいというのもおかしい.充填絹漉でもちゃんと大豆成分を増やせばおいしい豆腐になると思う.水にさらしたいわゆる木綿豆腐よりも,充填絹漉の方が大豆の旨味が封じ込められていてうまいのじゃなかろうか.私はあまり木綿豆腐はうまいと思わない.私が一番うまいと思うのはある種の「ざる豆腐」である.

グルコノデルタラクトンはハムなどにも添加される.ハムの色調を整えるためにはpH調節が必要で,そのためにグルコノデルタラクトンを加えるとのこと.ということは,グルコノデルタラクトンは加水分解してグルコン酸を生じるから, pHを下げるために使われるのかな.すると,グルコノデルタラクトンは多少すっぱいのかもしれん.

切腹の起源 2

いろいろ調べ始めたがさっぱりわからん.とりあえず岩波新書「武家の歴史」を借りた.わかったことといえば,平安時代の武家の源氏とか平氏とか藤原氏とか言うのは,かなりいい加減だということだ.あと岩波文庫の日本外史も借りる.頼山陽は,最初に切腹した人が誰か知っていただろうか.そういえば,靖国神社で「日本外史を読む」とか言う講座をやってたような気がする.

ちょっと検索してたら徳川慶喜所有の日本外史の版木で作った火鉢と言うのが出て来た.うーむ.たとえば ここ には「尊皇攘夷運動のバイブル「日本外史」」とか書いてあって,まさにそうなのだが,倒幕された側の慶喜がその版木で火鉢を作って使っていたとは.どういう心境だったんだろうなあ.慶喜が駿府に移って住んだ寺にあったものだというから,ほんとに使ってたんだろうな.昭和 15 年に失火したときに,住職が庭に放り投げて守ったとか書いてある.

ところで上の二つの頁はどちらも ntt.co.jp なのだが,NTT って郷土の歴史に力いれてるのかなあ.

切腹の起源

切腹は日本固有の風習だと言われている.
日本人以外に切腹という自殺方法を発明した民族はいないのである.
十八史略などを読むと,
武人はたいてい喉に刃物を当てて,
前に倒れて自分の重みで自決している.
これは西武劇で拳銃で自殺するのと意味的には大した違いはない.
作法として形は決まっているが,極めて合理的な死に方である.

で,誰が切腹を発明したか.
誰が最初に切腹して死んだのだろうか.
という疑問が沸いて来た.
おそらく戦国時代に何かのきっかけで急に普及したんじゃないかと想像したが,
goo で調べても大したことはわからない.
図書館に行って調べてみると,
なんと平安時代からあり,
源平合戦のころには既に一般化した,
とものの本に書いてある.
1000 年の長きに渡って日本人は切腹して来たのである.
明治政府によって非合法化されたが….

平安時代から,ということは,
日本に源氏,平氏という武家が登場したと同時に切腹も生まれたということだろう.
じゃあ最初に切腹した人は?
源氏か平氏か.
その原初的形態はどのようなものであったのか.
どのような経緯で普及したのか.
いつから介錯人が付くようになったのか.
まだ何もわからない.
もしかすると,もっともっと大昔からあったのだが,
武家が正式の自殺方法として採用しただけなのかもしれん.
もともとは宗教的な意味があったかもしれんなあ.
江戸時代の作法については詳しく書いたものがあるようだが,
起源がわからん.

ところで最後に切腹した人は三島由紀夫(の介錯人?)だろうか.

カオス

昨日は友人が遊びにきた.聞き取りにくい携帯電話で話をして,僕が「松陰神社前で待つ」と言うと,「改札はどこにあるのか」と聞くので,「世田谷線の駅に改札なんかない.ホームしかない」と言うと,なんか納得できないふうだった.世田谷線には終点の三茶と下高井戸にしか,改札はない.彼は世田谷線のことを時代錯誤だとかアナクロだとか言った.それはひどい.せめてレトロとかアンティークとか言ってやれば良いのに.世田谷線の電車の内装は,壁も床も板張りだ(樹脂のもいくらかはある).

吉田松陰の墓にお参りした.もう日が暮れて神社の門が締まってたので,こそこそと入りこんだ.安政の大獄で,みな三十代で(つまり僕くらいの年で)獄死したのだった.吉田松陰はちょうど三十才で死んだ.思い残したことややり残したはあったのかなかったのか.僕なんていまじゃ Linux くらいしか生きる楽しみがない(Linux だって別にしいて生きていたいほど好きなわけではない).などとふと思った(単に落ち込んでるだけかも…).つい一週間ほど前に携帯電話を買った,とても便利だ,などというので,つき合っている人でも出来たのかというと,そうだと白状した.ふむ.それじゃ簡単に死ぬわけにもいかないね.

僕が死んだら親が悲しむだろう.僕はつくづく退屈な人間なので,彼女が出来ても話すことがない,遊びにいくところがない,それで納得してくれるならつきあっても良いのだが,それだといっしょにいる甲斐がないから,何もしない方がましかもしれぬ.困ったものだ.そもそも僕は電話をしても長電話はしない.たまにすることがあっても特殊なケースで,それを毎日繰り返すなどというのは,あり得ない.これからそういう性格になることもないと思う.昔からそうかというとそうでもなくて,中学生のころまではよく話す方だったのだが.

僕のカオスのとらえ方はちと違っていたようだ.カオスというのは,力学系の話なので,
初期値によって挙動が全く違ってしまうようなのをカオスと言うのだと言う.それはまあそうなのだが.カオスというのは無秩序に近いものであり,無秩序と秩序の間にあるのは複雑系というのだそうだ.ふーん.

紫式部が鰯を食べていた証拠

三茶蔦屋に行ったら「インターネットカフェは 11 月 15 日をもって終了させていただきます」 と書いてあった。 よくわからんが、期限延長したらしい。 エレコムのマウスが 1580 円で売ってあったので、思わず衝動買いしてしまった。 そりゃそうだ。熟慮して衝動買いする人はいない。 さて、ちゃんとマウスを認識してくれるかな?と思いつつ、 つないで再起動しながら、私は無意識のうちにマウスを使っていたのだった。 マウスって便利だなと思いながら。 馬鹿だ。 再起動しなくてもすでにマウスは認識されていたのであった。 いやー。何はともあれ、 トラックポイントよりもマウスは数百倍使いやすい。

800×600のディスプレイで作業しててつくづく思うのだが、 Windows も Virtual Desktop にしてくれ! お願い!

文部省が中学でパソコンを必修にしようと計画してるらしい。 うぬ。Windows を使わせるつもりだろうか。 かわいい子には旅をさせろ、じゃないが、 UNIX の基礎からまなばせるべきだ(笑)。 いまこそ UNIX ユーザは団結して国会に代表を送れ!

日の本にはやらせたまふいはしみづまゐらぬ人もあらじとぞおもふ

紫式部が鰯を食べていた証拠といわれるこの歌だが、 ほんとうはいつごろ作られたものだろう。 江戸時代以降だと思うのだが。 元歌があるかもしれない。 もともとは 「日本で盛んに信仰されている石清水八幡宮にお参りしない人はいないだろうと思う」 という意味だろが、 国粋主義的(国学的)な匂いがするのは気のせいだろうか。 紫式部の真作である可能性もなくはないが。

他人の日記を批判してもよいかということだが、 (内容が)public なものなら批判してもいいだろうし、 private なものならしない方がよいと思う。 彼が街頭に立って民衆によばわる預言者であれば論争をいどむがよかろうし、 路上で仲間と騒いでいるだけなら無視すればいい。 それだけのことだと思う。

かしわ屋で「きす天月見カレーそば」を食べた。 立ち食いそばウィザードへの道を歩みだしたかもしれん。 食べおわったら気持ち悪くなった。 このきす天はころもが厚すぎる! アムス西部で「毛沢東の私生活(下)」を買う。 ついでに NHK ラジオ中国語講座を買う。 なるほど、中国語には濁音はないのだった。 代わりに有気音と無気音の違いがある。 外国人との付き合いがある人は、 有気音をわざと濁音で発音することがあるのだろう。 そういわれると中国人の話す日本語は濁音がなんかおかしい。 ファミリーマートで牛乳を買う。 ネスカフェのインスタントコーヒーは牛乳にとけるので便利だ。 AGFは、とけが悪いのである。

キーバインドをカスタマイズ出来ないのは、よくない。 特に、日本語と英数字の切り替えが Nooo Goooodって感じ。 やっぱ mule を拾ってきた方がいいだろうか。

ザババというバーはいわゆる オフラインチャットルーム(笑) という呼び方がぴったりなところかもしれない。 ここで私は「きょうじゅ」というハンドルで呼ばれている。 客の半数はハンドルで呼ばれている。 「レッド」とか「ボンバー」とか「大道具さん」とか。 「ボンバー」の姉は「ボンバー姉ちゃん」と呼ばれている。 「バカボンのパパ」のノリである。 確かに小学生のころはあだなというもんがはやったが、 大のおとながあだなで呼び合うなんてちょっと恥ずかしい 集団だ。閉鎖的というのかもしれない。 この店にきて静かに飲むことはできない。 なにかしら話しかけられるし、 話に参加してないと、暗いやつだと思われてしまう。 で、実在の人物と狭苦しい場所で、 ある意味必死になってお話する。 十人も入るともはやこの店はレッドゾーンで、 それも涼しくなってきた今ならいいが、夏なら耐え切れない。 以前は客が多くなると前の道にも座り込んで騒いでいたが、 近所の苦情が激しくなって、店の中だけで飲まざるを得なく なった。通報されてよく警察が来たりしたものだ。

こういう形態の店は多いようで少ないようで多いのかもしれない。 屋台のおでん屋とか、立ち飲みの焼き鳥屋とか、 路地裏のバーとか……(そのまんまだな)。 僕は必ずしもそういう店を渡り歩けるような性格ではなく、 たまたま近所にこういう店があるので、 気安くこれてるようなものである。

ASCII Internet なんちゃらという雑誌を読んでいて ふと思ったのだが、 たかが web page を書くために、 10 万円の web editor を買い、 さらにそのソフトの解説本を買い、 何百ページという説明を読んで、なおかついまだに ページが書けてないというのは、 なんかすごい馬鹿げた話だ。 僕みたいに text editor でじかに書いてれば、 お金かからないのに。 そもそも、最初のうちは、 paragraph tag だけ使って書いてたっていいわけで。 たいていの httpd やブラウザはそれでもそれでちゃんと 対処してくれるけどな。 そのうち heading tag も追加して、 anchor tag も使うと便利かな、 とかっていろいろ覚えていって、 それから html, head, title, body tags つけて まともな html 文書に整えていけばいいだけのような 気がするのだが。