亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘詠歌’ Category

04.01.2017 · Posted in 詠歌

うつせみの このよのことを しるほどに わかかりしひは しらざれど しりにしのちは あぢきなく しなめしなめと おもへども いまだにいきて ただゑひて 日々をおくりて はるはきて いつかはしなむ いまこそしなめ

反歌

愚かなる 世に生まれけり 愚かなる 我が身に生くる かひなかりけり

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和歌の道は花鳥風月から入るべし

12.23.2016 · Posted in 和歌, 詠歌

根岸に住む人に歌を見てくれと言われて見た。

春の朝うぐひすの声は聞かねども根岸の里はのどかなりけり

人の歌を添削するというのは難しいものだ。 私なら、

うぐひすのはつねはいまだ聞かねども根岸の里に春はきにけり

とでも詠むだろうか。 特段良くなったわけではないが、古語を使い、古典の言い回しを使えばこうなると思う。

「根岸の里」というのが、和歌というよりは俳句であまりに有名なフレーズで、 逆に扱いに困るのだが、 実際根岸に住んでいるというのだからしかたない。

上野山鳥はなけどもうぐひすの声はいまだにとどかざりけり

わかる。でも私なら「とり」はたとえばだが「ももちどり」、 「鳴く」は「すだく」として、

ももちどりうへのの山にすだけども いまだまじらぬうぐひすのこゑ

とでもするだろうか。まあ、そもそもこういう歌をいまさら私は詠まないと思うのだが。

花鳥風月から和歌の道に入ろうというのは今時の人には珍しい。 今はいきなり口語で短歌を詠むでしょう。 いきなり時事問題を扱ったり。 恋人と逢った別れたと。 あれは私は好きではない。 俵万智だっていきなり口語で詠んだとは思えないのよね。 でも彼女の追随者たちはみな、古典をすっとばしていきなり短歌を詠んだ。

でまあ、私が根岸に住んでいたら、写生の歌を詠むと思う。 使い古された単語ではなく、言い回しではなく、 写生によって古いことばに新しい命を吹き込もうと思うだろう。 目の前の光景をそのまま切り取って。

それはでも一通り、花鳥風月で練習したあとのことだと思う。 まわりくどくふるくさいやりかただとは思わないでほしい。

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04.19.2016 · Posted in 詠歌

「虚構の歌人」に載せた自詠の歌の一つに致命的な文法上のミスを発見してしまった。

恥ずかしい。しかし印刷したものは直せない。 まあ、人間は過つものだよな。

しぬばかり 酒飲むことも ありけむや いまはおぼえぬ わかかりし日に

世の中の 人とたはぶれ 酔ひしれて 歩くはおそろし 老いにける身は

年取ったせいでなんとなく昔より文章が書けるような気がしたのと、 これ以上年取ると頭ぼけてくるから急がないとってのと、 死に損なったので、 慌てていろいろ書いたりしたのだが、 まそれも一段落して、 すでにこれまでに書いたものをかき集めただけでも、 後世の人は私がどんな人だったかってことはわかるはずで、 これからさらになんか書いたからって世の中に何かをよけいに残せるわけではない気がする。

小室直樹も「ソビエト帝国の崩壊」より後は書いても書かなくてもよかった。 50歳前に死んでいても小室直樹は小室直樹だったはずだ。 むろん一時期テレビに出てたことや、その後の著作活動なんかも、 彼を有名にし、世の中に彼の評価が定着する役にはたったわけだけども、 本質的な部分は、「ソビエト帝国の崩壊」と、そのあとの「アメリカの逆襲」あたりまで読めば十分なわけだ。

そうしてみれば、私がこれから多少頑張ったところで、 或いは本の部数が多少増えたところで、大したことはなくて、 むしろいかに何もせず、自分が楽に生きるかってことを目標に生きたほうが良いのではないかという気がする。

周りの人が間違っているように見えても、 また実際これまでずっと間違った判断をしていて、 自分が属する組織や社会を悪い方向へもっていこうとも、 それを指摘したり、改善しようとしたり、戦う必要はない。 それは私の仕事ではないし、私に向いてもいないし、そもそもする必要がない。 人のペースに巻き込まれて無理に酒を飲む必要もない。 自分が一番楽な生き方をすれば良い。 ある意味それが今の私がやるべき仕事だと思う。

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春一番吹きたる日に酔ひて詠める

02.15.2016 · Posted in 詠歌

ツイッターにツイートしたのを適当に直してある。

つれづれと 行き交ふ人を ながめつつ いくさかづきを けふもかさぬる

しるしなき ことを思はず しるしなき 酒だに飲まで 世を過ぐさまし

おほかたの 酒てふ酒は 飲みつれど 我が世に何の 慰みはありし

浮かれよと 春のあらしは 吹きぬれど 酔ふほど沈む 我が心かな

春は来て 人みな春に 酔ひしれむ 千代よろづよの 春のごとくに

春を待つ 心づもりも なきままに けふしもまだき 春風ぞ吹く

いまさらに 春はたのまじ 春来とて やまひの癒ゆる ものならなくに

使ひても むなしきものは ひとときの 酔ひをあがなふ 金にぞありける

あらがねの 土より生まれ あらがねの 土へとかへる 我が身なりけり

五十路にて 名を残したる 信長に 我もならまし 焼け死なむとも

最近何もなくてもじんましんとか胸焼けがするようになったのは、 病気、あるいは、 病気を抑えるための薬からくるストレスではなかろうかと思うのよね。 あるいは更年期障害? よくわからんが体調があまりよろしくない。

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02.07.2016 · Posted in 詠歌

冬さらば 人は知るべし 春来むと 我は何をか 知り得べかるらむ

鶴亀の 齢は持たで いかにして ちとせの後に 名をや残さむ

いかにして 人に知られむ しろかねも 黄金も玉も 我にあらなくに

うつせみの 我が身はまだき 酔ひにけり わづかばかりの 金は惜しめど

春や来む ゆふべもさまで 寒からず うれしくもなし いそぢ過ぐれば

金は惜し 命だに惜し なにもかも されどとりわけ 名こそ惜しけれ

何をかは なして残さむ ななそぢや やそぢばかりの よはひのうちに

ももとせの 半ばを過ぎて 知りも得ず 我はなべての 聖ならねば

夢のまに 時は過ぎにき きのふけふ 生まれ出でしと 思ひしものを

あらざらむ のちの世までは たのまじよ されどこの世の 頼み難さは

わすらるる みをばおもはず わすられぬ 身にしならずば 死ねど死なれず

ちとせへて たれかはわれを おぼゆらむ いのちはかろし 名は残さまし

春こむと 春まつほどの 夜半にさへ あしたも知れぬ 我が身なるかな

若かりし 日には力も金も無し 老いては夢も あくがれも無し

かへらばや 守るもの無き 若き日に 失ふものも 無かりし頃に

残りても むなしきものは いたづらに 老いぬるのちの よはひなりけり

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12.12.2015 · Posted in 小説, 詠歌

実はこないだ久しぶりに中編くらいの小説を書いて新人賞に応募したのだが、これは落ちてもKDPで出す予定がない。 新人賞が取れれば多少恥をかいてもよいが、そうでないのなら人目にさらしたくはない、そういうものだからだ。

私の場合あまりネタを使い回すことはなく、一つのネタを使うとネタが貯まるまで時間がかかる。 通常複数のネタを組み合わせて一つの話を作る。 まあ、二年くらいあければなんらかのネタはたまってくるから、今後も完全オリジナルな小説は書けなくもなさそうな気がする。 しかし余り年を食うともう頭がぼけてくるから書かないほうが良いと思う。 耄碌した老人を、たくさん見てきた。彼らも60歳くらいまでならまあ普通だが、 それからだんだんあやしげになる。 たぶん自分もそうなるだろうと思うから、早めに書いておかなきゃならんなと思う。

私の場合、積極的にネタを拾いに行くことはできるかもしれん。 そう、根は非常に臆病者なので、天涯孤独ならできるかもしれんが、いろんなしがらみで動けない。 あと病気持ちなんで怖い。 旅行いくのも最近はおっくうになってしまった。 もっと若いうちにいろいろ旅行しておけばよかった。 熟年とか定年後によくみんな旅行にいこうと思うなって思う。

小説以外にもいろいろ書きたいものはあり、書き始めて、同時並行で下調べをしていて、 ものすごく大変だってことがわかって書けなくなる。 いろんなものが途中で放ってある。 これがまあ、必ず売れるとわかっていればやるんだろうが、これまで売れたためしがない。

ツイッターは便利だが、危険でもある。 ブログのほうが安全だなと思う。

なぞかかる愚かなる世に生まれ来て今日また酒に酔ひてかも寝む

酔ってこういう感じの歌を詠んでそのまんまツイッターに書いて、翌朝忘れた頃にまた見て、びっくりするということがあった。 そういう危険な歌の詠み方をしてはいかんなと思う。 いったん紙とペンでメモるべきだ。

私はもともと理系だから理系の空気というものを身にまとっている。 文系の人は文系の空気を、芸術系の人は芸術系の空気をまとっている。 同族であるかどうかはその空気でわかる。 理系の人間が文芸出版の世界へ入っていくのはその空気を身にまとっていないのでかなり難しいと思う。 その、私から見ればなれ合いというか既得権益のようにしか思えないその空気をかき乱してやりたい気になる。 そしてますます入り込めずにいる。 だがまあ、文系の人間が文系の文芸を書くのは当たり前のことであり、 そこで世界が閉じていて面白いわけがない。 その世界の高度な専門性をもっていて敬服する人もいるのだが、 単に閉じこもっているだけとしか思えない人もいる。

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或老人之歎歌一首並反歌四首

10.07.2015 · Posted in 詠歌

我が書きし ふみのかずかず 我が詠みし 歌のかずかず

うつせみの うつし人にて あらむ間に 残しおかむと

たくめども ときのまにまに いそとせは むなしくすぎて

身とともに 心も老いて あたらしき 思ひも出で来ず めづらしき ものも見出でず

名をのこす 人はさはにあれ かなしくも 我はさにあらで

なにはえの うもれぎとなり 後の世の 人にわすられ

いまさらに 何をか残さむ ことさらに 何をかうたはむ このうつし世に

反歌

うつし世に 見るべきものは すべて見つ 詠むべき歌も 詠みや果てつる

うつし世の 人はたのまじ ただ神と のちの人にぞ 歌は詠むべき

あきらけく をさまりし世の おほ君に 学びしならひ 忘るべしやは

しぬまでの よはひにかへて のこさまし わがかきしふみ わがよみしうた

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たがよべばとて 春は来るらむ

02.10.2015 · Posted in 詠歌

水戸に出張したときに作った詩。今更題を考えるのが面倒なのでとりあえず無題。

関東水戸城 一夕偶来泊 饗宴雖招吾 憂心欲独酌

水戸にたまたま一泊した。みんなで呑もうと誘われたが、そのあと独りで飲みに行った、という話。

いそぢこえてなほいきめやもそのことと望みも無きにはるさめの降る

今年50歳になるわけだが、 割とやりたいことはやってしまって、 今更工夫がしたいということもない。 いや、違うな、このくらい努力したらこのくらいの結果が出るというのが見えてしまっているので、 やるまえから萎えるというべきか。 仕事への情熱などなくはやく辞めたいのだがまた春が来るなあという話。

ひさかたの 月日のすぐる かひもなし 誰がよべばとて 春は来るらむ

最終稿を提出して少しひまになった。 こういうものは期限を決めないと全然終わらない。 私の場合書いているうちにどんどん詳しくなって新しい発見があってそれを旧原稿に盛り込もうとすると、 構成全体が変わってしまって校正のスパイラルから抜け出せなくなってしまう。 だから期限決めてそこまでで一旦終わりにするしかない。 これはもうしょうがないこと。

で、もっと書きたければまた書けば良いし、書き直したければ第2版で修正。

もうたぶんダメだしとかなしにこのまま3月くらいにゲラの校正があり4月くらいにでるだろう。 普通のハードカバーで値段もそれなりなやつになる。 若干反応があればいいがないともうどうしようもないなあ。 キンドルだとまた売れなかったな(笑)で済むが。

著者名は田中久三ではなく久三のところが雅号みたいなのになる。 今のところ新人として書くことになっているので、しばらくその名前は出さないが、 だいたいタイトルと内容ですぐわかると思う。

思いついた順にだんだん書き足していくのだが、 重複したのをまとめたり順番を入れ替えたり。

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詠草

08.26.2014 · Posted in 詠歌

若かりしころに学びしたのしさも よはひとともに消えはてむとす

いつよりかなりはひをかくいとひけむ たのしかりけるほどもありしを

世をはなれ歌のみ詠みて暮らさまし むかし学びしことも忘れて

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ほととぎす

05.29.2014 · Posted in 詠歌

ついさっき、うちの近所でホトトギスの鳴き声を聞いた。

キョッ、キョッ、キョキョキョ、つまり、ホットットギス、みたいな鳴き方。 わりとゆっくり。 ユーチューブでも確認したから間違いない。 のどから血を吐くような声、というわけではない。わりと澄んでいる。 かなりでかい声だが。

時期もぴったりだ。旧暦で言うとさつき。夕暮れ時。 すげえこんな町中にもいるんだな。 竹藪みたいなところだった。 急に親しみがわいてきた。 ここで一つ和歌でも詠まねばならぬところだが、 ホトトギスを詠んだことないので、すぐには出てこない。

鳴く声におどろかれけりほととぎす奥山にこそすむとききしか

何かに似てる。そう、「人知れずこそ思ひそめしか」だ(笑)。

鳴く声におどろかれけりほととぎす奥山にこそすめと聞けども

のほうがいいかな。 係り結び的に。 うーん。 いや、前ので良い気がしてきた。

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