ベルツの日記

岩波文庫の菅沼竜太郎訳のベルツの日記は、ドイツ語原文の匂いがまったくしない。おそらくこれは1974年に出た英訳をもとに、和訳したものだろう。

Baelz, Erwin. Awakening Japan: The Diary of a German Doctor. Indiana University Press (1974). Translated by Eden and Cedar Paul. ISBN 0-253-31090-3.

1931年にシュトゥットガルトでドイツ語初版が出版されたらしいのだが、それはかなりの部分が省略されたものであったらしい。では欠落のない、ドイツ語の完全版はどこで手に入るのかというと、そんなものは実はどこにも存在しないのかもしれない。

追記。岩波文庫版は1951年と1979年に出ている。

村上春樹

まだ1Q84をちらっと読んだだけだが、私の知っている作家の中では、小林秀雄の文章に似てるなと思った。村上春樹と小林秀雄が似てるといってる人はいないかとググってみたが、どうもいない。

小林秀雄は戦前のフランス文芸の影響をうけた人で評論家になった。一方、村上春樹は戦後のアメリカ文芸を受肉化して小説家となった人だが、村上春樹の作品は小説という分類からはかなり外れているように思う。その本質は「やおい」であり、小説という体裁を使って書かれた何かだ。冗長で内容に乏しいが読める。小林秀雄の文章と同じだ。ある種の依存、麻薬中毒なのではないか?けなしているつもりはないがほめているのでもない。小林秀雄の文章も評論という体裁を使って書かれた何かなのだ。それはもう小林秀雄節というしかない。

村上春樹の文章はどこもかしこもことわざめいた言い回しで埋め尽くされていて、もちろん全部違うが全部同じような既視感がある。イスラム建築の回廊をぐるぐる回っているような感じというか。それが私にとって心地よいかといわれれば、はぐらかされているような、おちょくられているような、つまりは車酔いにも似た不快な感じがして、村上春樹が嫌いな人も同じことを感じているのだろう。奇妙な言い回しで同じところをぐるぐる回っている、回らされている感じ。

もちろん何かのストーリーとか落ちとか展開とか伏線というものはあるんだろうが、たぶんそれは小説という体裁を整えるために付け足されたもので、あると落ち着くが無くても済む、日本建築の床の間のようなものではないか。

あ、違うな。読者を登場人物に感情移入させるための何かの仕掛けがしてあるわけだ。そして、明らかに、私にはその辺りの設定が、存在しないくらいに透明で、まったく感情移入できない。心の琴線の固有振動数がまったくあってなくてぴくりとも共鳴しない。だから、ただ美文だけ延々読まされる感じがする。あるいは、絵に例えると南画みたいな朦朧体みたいな感じ。

「やおい」だが「読める」というのは日本文芸のお家芸といってもよく、「やおい」だが美麗なアニメ絵でむりやり作品に仕上げたのが新海誠ではないか。村上春樹と新海誠の雰囲気も似ていると思う。

戦前の日本人が小林秀雄に眩惑されたように、今は村上春樹と新海誠がそうしていて、世の中の磁場が非常にゆがみ始めていることを感じる。その磁場の中心が何かはだいたい想像がつく。やはりそこが日本文芸の核であり、読者のマジョリティなのかと、諦念にも似た気持ちになる。

例えば1Q84を映画化しましょうとか言って、できないよね。映画監督に指名されたらとても困る。タルコフスキーなら喜んで作るかも。ていうか、ある意味タルコフスキーの映画とも似ているよね、村上春樹は。超絶退屈だが、好きな人は好き。それなりにファンもいる。よく女の子が六時間も七時間も長電話してしまいにゃ話しながら寝てしまう。でも話す内容はとくになくて覚えてもいない。そういう需要があるってことは、知識としては知っている。だからそういうものを書いて提供する人がいて、実際に売れている。

世界から猫が消えたなら

どういう本が人によく読まれるのかということを知るために読んでみたのだけど、まあこのくらいあざとくないといけないんだろうなと思った。

悪魔と契約して「猫を消せなくて自分が消える」という、基本的なコンセプトはこれだけで、コンセプトがシンプルだというのも売れる本にとっては良いことなのだろう。ものごとは単純化したほうがよいこともある。

そして、飼い猫を消せなくて自分が消えることにしたということに、共感できる人には面白い本で、
それ以外の読者は捨ててる潔さもよい。

文体は、よくわからんのだが、これが村上春樹風というのだろうか。「文章が稚拙」というレビューもあったがそれは違うだろうと思う。「稚拙」にみせるテクニックはあるかもしれない。「あれ、これなら自分にも書けるんじゃないかな」と読者に思わせるくらいが親近感があって良いのかもしれない。中島敦とは正反対な戦略と言える。

神や悪魔については、これもこのくらいシンプルなほうが一般受けするのだろうが、私には絶対受け入れられないものだ。完全にステレオタイプ化され、ブラックボックス化されていて、そういうものだというのが前提で話が構築されているが、そうね、私の書くものはまず、そのブラックボックスを壊して開いてみるところから始まる。なので、こういう話の展開には決してならない。

猫がかわいい。家族や恋人は大事。友情は大切で、戦争は悪いこと。ここをまず疑い否定するところから近代文学は始まるのではないか(?)というのはたぶん私の思い込みなのだろう。前提がまず違っている。これを「感動的、人生哲学エンタテインメント」とうたっているところがもう不倶戴天な感じがする。

まともかくこういうのを喜んで読む読者というのがいて、そういう読者に本を買って読ませる業界というものがあるというのはなんとなく理解した。私が抱いていた「売れる本」というものに対する漠然とした疑問と不安を、明確に突きつけてくれた本、と言える。そう。こういう本を、私は書いてはいけない。というより、こういう本を否定するために、私は本を書かなくてはいけない。

さらに余計なことを書くと、この本の著者は、「「文系はこれから何をしたらいいのか?」この本は、理系コンプレックスを抱える文系男が、2年間にわたり理系のトップランナーたちと対話し続け、目から鱗を何枚も落としながら、視界を大きく開かせていった記録だ。」 というコンセプトで 『理系に学ぶ。』という本を書いているのだが、 この人は文系でも理系でもない。学問とは無縁な世界の人だと思う。学問と無縁な人を文系というのならアリかもしれないが。

村岡典嗣『本居宣長』

村岡典嗣『本居宣長』

自分の門弟たちには、どうも歌文の道を好む人が多く、自分の学問の本旨である、古学をする人のないのは、嘆かはしいことである。それゆえに御身も、先にも言つた様に、神代の道を明らめることを専らとして、歌文といふごとき末のことに心をとめるな

門弟の服部中庸という者に、宣長が死の直前に戒めたことばだというが、とても信じられない。宣長が「歌文といふごとき末のこと」などという認識を持っていたはずがない。これはおそらく服部中庸が平田篤胤とともに謀ったことか、或いは篤胤が服部中庸から聞いたということにして勝手に広めた説ではなかろうか。

とくに平田篤胤は信用できない。

『うひ山ぶみ』を見るだけで明らかなように、宣長は「歌文」について、特に「歌学」についてそうとう細かなことを記している。歌学について書いた分量と他の記述の量を比べてみよ。

いずれにしても、こういう他人の逸話というのは信じるに値しない。宣長は、自分の考えはすべて著書にして遺した人で、門人に何か秘伝のようなことを遺す人ではない。また、宣長の書いたものと、門人が伝えることに齟齬があるとすれば、それは門人が間違っているか、嘘をついているのだ。宣長はそうやっていろんな人に勝手に解釈され利用される人だった。

モーセとレビ族

モーセを出したレビ族は謎である。イスラエル12氏族は普通に数えると13氏族ある。しかしながら、非常に重要な祭司の一族であるレビ族は、継承する土地を持たなかったため、12支族には数えない、らしいのである。

民数記 01:47

レビ人は、父祖以来の部族に従って彼らと共に登録されることはなかった。

民数記 01:49-51

レビ族のみは、イスラエルの人々と共に登録したり、その人口調査をしたりしてはならない。
むしろ、レビ人には掟の幕屋、その祭具および他の付属品にかかわる任務を与え、幕屋とすべての祭具の運搬と管理をさせ、幕屋の周囲に宿営させなさい。
移動する際には、レビ人が幕屋を畳み、宿営する際にはレビ人がそれを組み立てる。それ以外の者が幕屋に近づくならば、死刑に処せられる。

民数記 02:33

しかしレビ人は、主がモーセに命じられたように、イスラエルの人々と共に登録されなかった。

民数記 26:62

彼ら(レビ族)はイスラエルの人々のうちに嗣業を与えられなかったため、イスラエルの人々のうちに数えられなかった者である

フロイトは「モーセと一神教」の中で指摘している。
p.069

(レビ族は)いかなる伝承も、この部族が元来どこに住んでいたのか、あるいは、征服されたカナンの地のどの部分がレビ族に配分されたのか、はっきりと言明していない。

あるいはEdマイヤーという人の説

モーセという名前はおそらく、そしてジロの祭司一族のなかのピンハスという名前は、・・・疑いようもなくエジプト語である。
もちろんこれは、この一族がエジプトに起源を持っていたと証明しているのではないが、

を引用している。

これらを素直に解釈すれば、レビ族はエジプト人、少なくともエジプト化したイスラエル人であった。普通のイスラエル人のように、パレスチナに土地を持った部族ではなく、エジプトから移り住んだ、となる。

至誠所は臨在の幕屋の中にある。幕屋というのは遊牧民のテントを思わせる。定住せず、移動・宿営を繰り返していたようだ。レビ族は、エジプトに土着した遊牧民であったかもしれない。やはり彼らがヒクソスなのではないか。いや、そもそも、イスラエル人とは、ペリシテ人(パレスチナ人)の土地に侵入したヒクソスのことなのではないか。ヒクソスはアラビア人の一氏族なのではないか。