ククルスドアンの島

ククルスドアンの島を見たのだが、最近の日本アニメってすごいんだな、というのが感想だった。モビルスーツはCGでかっちょよく動くし、キャラクターは正真正銘安彦良和の絵がなめからに動く。ストーリーもさすが富野由悠季、まったく破綻がない。セイラさんの口調がなんだか気持ち悪いのがなんとなく歴史修正主義みたいだがまあいいか。技術が向上し、お金も人もかければこのくらいは作れるんだな、という印象はあるが、意外性は少なかった。そりゃしょうがないよね。ドラえもんもクレヨンしんちゃんもそのほかいろんな日本アニメはみんなそうなのだ。長谷川町子原作のサザエさんは長年テレビでアニメ放送されているうちにすっかり毒気を抜かれてしまった。同じことがガンダムでも進行中なわけだ。ガンダムもまたどこかで見たことある日本アニメの一つになってしまった。

正直な話私はそうした類いの作品を見たいわけではないのだが、このククルスドアンはあまりにもよくできていたから最後まで一気に見てしまった。しかし何度も繰り返し見るタイプのものではないかもな。

改めてこの最新ガンダム作品を見てみるとアムロなんかがいちいち「アムロ中尉」などと呼ばれているのが気になる。昔からこんなにいちいち階級で呼んでいたのだろうか。さらに日本が作る戦争ものには共通のウェットさがある。義理と人情。浪花節。同じ感覚をvivantにも感じたし、タランティーノも日本映画(仁義なき戦いのことか)に影響されてレザボアドッグスを作った、などという人もいる。このククルスドアンでも特有の暑苦しさを感じた。日本料理に必ず醤油が使われているような。特色でもあるが呪縛でもあると思うんだ。もっとすかっと作れないんだろうか。

Reservoir Dogs

レザボアドッグスだが、話自体は単なるチンピラ映画ではあるのだけど、何度かじっくり見てみるとやはり、タランティーノの処女作だけあって価値の高い作品だ。

タランティーノ自身が演じるブラウンだが、一番みっともないダサい役だけども、役者というものはこういう役は敢えてやりたがらないだろうか、それを監督が自分で演じた、と言えなくもない。パルプフィクションでも同じなのだろう。

ブラウンを殺したのは潜入捜査官のオレンジだった。映像として見せてはいないが他には考えられない。

オレンジはまた、たまたま巻き込まれた民間人を殺してしまった。これもくどくど説明されていないが、反射的に殺してしまったのだろう。

ブラウンはさらにブルーも殺したとされているのだが、これはそもそもまったく映画の中で描かれてない。最終的にざっくり省略したのだろう。そもそもこの作品は強盗がダイヤモンドの卸を襲撃して奪うという筋書きであるのにその強盗シーンはさくっとカットしてあり、時系列もパルプフィクションと同じくわざとバラバラにしてあり、見せるところ、撮るところを大胆に取捨選択して順番を入れ替えている。ぼーっと見ているとかなりわかりにくいところもある。映画館で一度見ただけではわかるまい。映画館で見るなら何度か繰り返し見る必要がある。DVDならスロー再生したり、コマ送りしたりしないとわからないシーンも多い。そういう意味では『カメラを止めるな』に近い。

ブロンド役はキル・ビルに出てきた、ビルの弟役。

ピンクは最後まで生き残り、ダイヤモンドを持ち逃げすることに成功した、という解釈なのか。それとも外で張り込みしていた警察に結局は捕まったのだろうか。いろいろと裏設定はあるらしいが、すべてが説明されているわけではない。

ゲイとか黒人とか、今のポリコレ時代にはもう二度と作れないようなゲスい映画ではあった。

リアリズムとファンタジー

vivantについて、続きなのだが、そういえば私も特務内親王遼子とか潜入捜査官マリナとか、特殊な任務についた軍人や警官の話を書いたりもしたのだが、普通に考えて、そういう特務機関の存在を完全に隠蔽するのは不可能であろうと思う。特務内親王遼子では

「我が軍には、特務、などという機関も職種もないはず。それに軍命であれば、なおのこと、上官の命令によらなくては、私はあなたにお手伝いのしようがありません。」

「そんなことは、上等兵のおまえに言われなくてもわかっている。特務は特務だ。軍隊とは直接関係ないから、おまえが知らなくて当然だ。おまえの上官は誰だ。」

などという会話をさせたりしている。そういう特務機関が現代の日本に存在するという設定自体がこのvivant というドラマをファンタジーにしてしまっている。まあ、ファンタジーで良いんだというのであればそれはそれで良いのだけど。また、いくら射撃の腕前が天才でも、心臓の付近を撃って急所を外すというような撃ち方ができるはずがない。できたとしたら魔法だ。拳銃などというものはそんなに正確に狙えるものではない。

リアリズムとファンタジーは混在できない。リアリズムにファンタジーを混ぜようとすると結局すべてが夢の国の魔法の話になってしまう。それがvivantの最大の弱点であって、とりあえずシーズン1はそれでなんとか完結させたとしてもシーズン2以降の続編を作ろうとするとますますその設定が足枷となり、ちぐはぐなものになっていくような気がする。

homelandで登場人物はみな優秀だが欠点も持ち失敗もする。それが現実でありリアリズムである。ゴルゴ13は常に単独行動し狙撃を必ず成功させるがそれはゴルゴ13が漫画でありファンタジーであり、劇画でありギャグ漫画であるから許されるのであって、vivantで実はこれはファンタジーなんですと言われたらしらけるだろう。

vivant

最近ホッカイロレンという youtubeチャンネルをよくみるのだが、そこで viviant が紹介されてて、 netflix にも公開されているから、では見てみるかと見てみると面白くて一気見して2度目も見始めている。ドラマにしろ映画にしろあまり私はこういうことはしないので、よほど面白かったのは確かだ。

主人公が半沢直樹にしか見えないのは新鮮さを欠くと言って良いと思う。ちなみに半沢直樹は見てないのだが、印象が強すぎる。じゃあ他に誰を主人公にすれば良いのかと言われても私にはわからんが。たぶん半沢直樹の続編、和製ciaドラマを作ろうというのがおおもとの企画だったのだろう。俳優はみなだいたいはまってる。脇役がよく固めているのだが、二宮和也だけが浮いてる。演技はともかくとして、せめて顔をこんがり日焼け色にして髪の毛をぼさぼさにしてモンゴル人っぽくしてくれればだいぶなじんだと思うのだが、なんだろうこれは。これがいわゆる事務所の都合というやつなのだろうか。役所広司は必ずしもこの人でなくても良かったとは思うがこれも良い演技だった。阿部寛はなかなか良かった。

ciaドラマはよく研究されていると思う。本場アメリカのciaドラマにもアメリカ人固有の偽善というものがあり、それを克服しようとかなり努力した「ホームランド」ですらまだまだその「臭み」は残っている(視聴者がアメリカ人なのだから仕方ないのだが)。日本人にとっては当たり前の、フーテンの寅さん的人情話、浪花節というものが根底にあり、その上にciaものが乗っかっているので、だんだんとじわじわとものすごい違和感がわきおこってくる。「正義感」というベクトルが日本とアメリカでは似ているようで全然違ってて、警察もの、ciaものになるとその違いがよけい目立ってなんか気持ち悪くなってくる。

でも最後までなんとかそれをねじ伏せてまとめあげているから、これはこれで一つの前例として、よくできていると思う(つまり歴史的価値があると思う)。単なる妥協の産物に終わってない、よくできた作品だ。見終わった後にも、ではあそこはこうしたほうが良かったのではないか、というような瑕疵も出て来ない。ああするしかなかったんだろうなあとは思う。

日本でciaものを作るには、陸軍中野学校から三島由紀夫の盾の会みたいなものがどうしても絡んでくるのだろう。その絡ませ方が少し過剰な感じもしたがネトウヨにも多少サービスしたせいかもしれない。この程度であれば特に問題無いか。ただこの三島由紀夫的な方向へ続編をどんどん暴走させるということも可能であって、そうすると評価は分かれてくるんだろうなあ。

アクションものとしては派手さが足りないとか、韓国ドラマやアメリカドラマと比べてつかみが弱いとか映像的魅力が無い、エフェクトに迫力が無いなどという人もいるようだが、別にそんなくどい演出はしなくてよいのではないか。そういうポスプロ的な演出は本来おまけであって、それがシナリオより前に出てくるのは嫌味だ。映像作品なんだから絵で見せるというやり方もあるかもしれないが、どちらかと言えばこの作品の売りはストーリー展開なのだから、このくらい地味でも良いっちゃ良い。きちんと脚本が練れていれば派手なアクションシーンなんてなくて良い。

こういうciaもの特有の間の持たせ方とか焦らせ方とか伏線の張り方とかあるいは見る人間の予想をわざとはぐらかすやり方など、すべてはやり尽くされている手法ではあるので、私は用心しながら見ていったけれども、どれも丁寧に作られていて、飽きさせないのは良かった。

結局浪花節的なきれい事に終わっているのだがテロとか戦争というものはそんなきれい事じゃ済まないだろとも思うし、日本人に見せるだけならこれで良いかもしれんが netflix などで配信して海外からの収入も当てにするとなるとこれでは日本人の自己満足と言われても仕方ないのかもしれない。しかしアメリカのドラマだってディズニーアニメだってアメリカ人の自己満足には違いないのだから、これはこれでもう開き直るしかないのかもしれない。いろんなことを覚悟の上できれい事で逃げ切ったとも見える。

モンゴル、ロシア、中国(ウィグル)、カザフの国境が集まる地帯にバルカ共和国という架空の国のもうけるという設定も面白いし、そういう国に日本人の諜報部員が送り込まれたら当然そういうことも起きるだろうなという自然な設定になっている。ただ、ラスボスが自分の父親だったというのはスターウォーズを思わせるし、諜報部員が送り込まれて現地のテロリストの親玉になるというのは地獄の黙示録だし、大使館に逃げ込んで綱引き状態になるというのもどこかで見たような気もするし、いろいろと既視感のあるシーンも多いがどれも良く調べてうまく活かしたオマージュと言って良いかもしれない。逆に初めて見る演出やシーン、設定も多くて、どうやってこんなネタ仕込んだのかなとちょっと感心もした。

あと、ホッカイロレンに関して言うと、スターウォーズではマンダロリアンが一番(?)面白いとか言ってて共感したがしかし私はそもそもそれほどスターウォーズのコアなファンではないし、私は少年ジャンプとか特にワンピースみたいなのがまったく面白いと思わないので、感性とか好みにはかなり差はあるだろうなとは思った。ひろゆきと岡田斗司夫がスターウォーズネタで口論する動画など、面白いっちゃ面白いんだが、そこまで細かいことに別にこだわりはないしなーとも思った。

岡本綺堂、野村胡堂、池波正太郎

グランド・ブダペスト・ホテルという映画に冒頭、この物語を創作したとされる作家が、「よく誤解されがちだ。「作家は常に想像力を働かせ、絶えずさまざまなエピソードを発明している。何も無い所から物語を夢想している」と。ところが事実はその逆だ。作家と見るや人々はネタを持ちかけてくる。」などと語るシーンがあって、実際そうなのだろう。いったん売れっ子作家になってしまえば編集者が次から次にネタを持ち込んでくるだろうし、ファンたちも、場合によっては何の見返りも求めずに自分のネタを作品にしてほしいと提案してくるかもしれない。さらにはそのネタはもともと私が先に考えたものだと訴えてくる人もいるかもしれない。

野村胡堂の池田大作や銭形平次はかなり読んだ(というより朗読を聞いた)ので、だんだんパターンはわかってきた。これらにはたまに長編もあるがだいたいは短編もしくは短編と中編の中間くらいの長さで、岡本綺堂や池波正太郎らと比べても一番わかりやすい(朗読で聞いているだけでも読める。逆に岡本綺堂や池波正太郎を朗読だけで読むのは難しいかもしれない)。だいたい、一番犯人らしい人物がそうではなく、一番犯人らしくない人が犯人であった、というこしらえになっていることが多い。そういう、読者の推理を誤らせるような仕掛けが随所に仕掛けてあるから、読み慣れてくるとそういう手口には引っかからないぞとこちらも身構えるようになる。

岡本綺堂は江戸時代の人にしか知り得ないような、後の時代には創作もできないようなエピソードを拾ってくるのでそこが面白いのだが、純粋に推理小説として読みたい人にはそこが逆に邪魔かもしれない。非常に懐古的で、耽美的なところがある。池波正太郎となるとかなり現代小説に近づいていて、また、推理とか江戸情緒というよりは、かなりチャンバラ、つまりテレビドラマの時代劇にもともと近い内容になっている。鬼平などは中編から長編で長いものが多い。野村胡堂の作品がおやつのようにさらっと読めて楽しめるものだとすれば鬼平はこってりしたフルコースのようなものだ。

岡本綺堂、野村胡堂、池波正太郎。この三者を比較考察している人、いそうでなかなかいない。ちゃんと読むのは大変だし、たいていの人はテレビドラマで見知っているだけなのだろう。

ホームランドを結局全部そろえようと思っているのだが、なかなか手強い。3時間くらいのblu-rayが3枚組みで4巻くらいあるから、全部で40時間くらいはあるんだろう。久しぶりにきちんと最初から見ると以前よりずっとわかり良いのはやはり最初からブロディ軍曹がテロリストだってことをわかった上で見ているからだ。ブロディが死ぬまでが本編で後は惰性みたいなもんだろうから、最初のあたりはともかくきちんと見ることにする。