『センター・オブ・ジ・アース 2』という映画があってこれは『センター・オブ・ジ・アース 』の続編なのだが、全然地底探検になってないのにこの日本語タイトルにした人はどういうセンスなんだろうねしかし。 『サスペリア』と『サスペリア2』の前例もあるしもうどうでもいいんだろうねマーケティング的には。
『センター・オブ・ジ・アース 』は原題が『Journey to the Center of the Earth』で、原作はジュール・ヴェルヌの『地底旅行(Voyage au centre de la terre)』だから、これはいいんですよ。『センター・オブ・ジ・アース 2』の原題は『Journey 2』。まあこれじゃ邦題考えるの大変だったかもしれんね。
で、雰囲気は完全に『ジュマンジ』(新しい方の)なんだけどさ。まあいいんですよ。さらっと最後まで見れたので、嫌いじゃないです。 ヒロインはほとんどララ・クロフトだった。 プロットはほとんど『天空の城ラピュタ』だった。というかオマージュのつもりなのか? 何にも考えずに飯食いながら見るには良い作品で、『ターミネーター』みたいに途中胃が痛くなるような展開もなくて、淡々と楽しく見させてもらえる作品だと思った。 日本でいうところの劇場版ドラえもんみたいなものか。
ツイッター見ているといつも「何言ってんだこいつ」ってリプライかリツイートしたくなって、精神衛生に悪いので、見ないで、あるいはそこはいったんためといて、ブログなぞにグダグダ書くのが良かろうと思う。 学者が馬鹿だというのは自明の理であって、 社会に適合して器用に生きることを諦めて、その代わり、学術的に何か生産的なことをやって、 世の中の片隅に住まわせてもらおう、そういうやつだけが、学者として良い仕事をする。 社会に出ればたちまち無用の長物になってしまう。いや、社会で役に立とうとすれば立たなくもないかもしれないが、そういう宮仕えは死ぬほどいやだ、 だから学術界に引き籠もっているのだ。
いやしかし馬鹿で社会不適合でしかも学才もなく貪欲でしかも世の中に害悪を垂れ流す連中がたくさん淘汰されずにいるのも事実であるが、それは淘汰の仕組みがうまく働いていないのが悪い。で、淘汰がうまく働くようにしようとすればするほどその仕組みは改悪されていくので、手をつけないほうがまだましだ、というただそれだの理由でなかば放置されている。だから、ああいう盲腸みたいなものが出てくるのはある意味仕方ない。 膨大な無駄遣いをしてるのもある程度まではその性格上しかたないと思う。 自然淘汰は無駄を省くこともあるけれど、必要がなければそのまんま放置することも多い。それだけのことだ。
盲腸も別に炎症を起こさないのであれば大した実害はない。わざわざ開腹手術をして摘出するほうが体に害になる。 だから、ほっとけばよいのだが、これが腐敗して、化膿して、体中に毒素をまき散らす状態になったら、そりゃ手術したほうがよい、ということになる。